『青い棘』
監督:アヒム・フォン・ボリエス
脚本:アヒム・フォン・ボリエス、
   ヘンドリック・ハンドレーグデン
原作:アルノ・マイヤー・ツー・キュイングドルフ
撮影:ユッタ・ポールマン
出演:ダニエル・ブリュール、
   アウグスト・ディール、
   アンナ・マリア・ミューレ
2004年/90分/ヴィスタ/カラー
10月29日よりBunkamuraル・シネマ
にて公開
『青い棘』公式サイト 
http://www.aoitoge.com/
『青い棘』は、1927年、ワイマール共和国時代のベルリンで起きた「シュテークリッツ校の悲劇」と呼ばれる事件をもとにした映画だ。19歳の学生ギェンター・シェラーが見習いシェフのハンス・ステファンを射殺したのち自殺。現場に居合わせたのはシェラーの友人パウル・クランツ、シェラーの妹のヒルデガルドとその友人のエリの3人。しかし事件を実際に目にしたのはクランツひとりで、しかもシェラーとクランツのふたりが書き記した、ステファンとヒルデガルドの殺害をほのめかした手紙が見つかったため、クランツに容疑がかかる。裁判によって明かされた事件の真相は当時の世相を大きく揺るがすものだったという。
しかし、この映画で描かれるのは、あくまでもその事件に至るまでの、当事者である5人の若者の心情の機微、関係性であり、事件後のことにはほとんど触れられていない。つまり、この映画からは、なぜこの事件は起こったかを問うのではなく、事件当日にいたるまでの数日間の彼らの姿を描こうとする姿勢が伺える。監督のアヒム・フォン・ボリエスは、事実に忠実でありながらも、それが「普遍的なテーマ」であり、「時代を超越した映画をつくりたかった」ことを強調する。


「この話に惹かれたのは、まず自分自身が若かった頃の気持ちを思いだしたからです。自分は誰なんだろうとか、幸せはどこにあるんだろうとかいった若者特有の気持ち。自分が死ぬほどちっぽけな存在に感じたかと思ったら、次の瞬間には神より偉大なすごい存在に思えたり……。もちろん1920年代という時代設定にも惹かれたわけですが、そのように自分が普遍的に感じられるテーマを20年代という舞台で翻訳しながら映画化できるということに非常に魅力を感じました。だから、音楽、衣装、台詞の言葉などすべてにおいて、しっかりとした時代考証のもと選定してはいるけれど、それを前面に出すのではなく、今でもまったく違和感なく見てもらえるように考えました。たとえばカラーではなくモノクロにするという手もあって、実際DVDではそうしようかと考えたりもしたんですね。でもそうすることで、これは昔の話だということに見る人の意識がまず向いてしまって、本来の主題がぼやけて見えてしまう危険性も出てくると思ってやめました。史実に忠実でありながらも、50年前に見ても50年後に見ても、同じように見てもらえる映画にしたかったんです」

同じく若者の刹那的な事件を描いた映画ということで、たとえばソフィア・コッポラの『ヴァージン・スーサイズ』などを思い出す人もいるかもしれない。だが、少女たちにしかわからない、しかし、少女であるがゆえの虚無感を映し出した『ヴァージン・スーサイズ』に対して、この映画の少年少女たちは終始酔いながらも醒めているように映る。それは、彼らの視線が常に定められているからだろう。

「視線というのは千の言葉よりもアピール力があると思います。でも、その動きについて特に何度もリハーサルを重ねたりはしませんでした。皆若いため決して演技経験が豊富なわけではありませんが、俳優さんたちにかなり自由裁量の余地を与えるようにしました。配役に関しても脚本を書いている時点でほぼ想定していましたし。監督によっては台詞を言い終わったらすぐカットと言う人もいると思うんですけど、私は台詞を言い終わった後にも俳優が何か表現しているのを感じ取り、待ってあげるよう心がけています。撮影というのは、いわばひとつのサーカスのようなもので、監督はそのサーカスの場を提供してあげるものだと理解しています。もちろんその場ではすべての当事者の相性が合っていることが大事で、その関係性をつくりだすのが監督の仕事だと思っています」

この映画は、『ラン・ローラ・ラン』のトム・ティクヴァや『グッバイ、レーニン!』のウォルフガング・ベッカーといった若手監督らによって設立されたX−フィルム・クリエイティヴ・プールが製作している。ボリエス自身も、『グッバイ・レーニン!』の脚本を手掛けていた。あるいは主演のダニエル・ブリュールも『グッバイ・レーニン!』『ベルリン、僕らの革命』といった若手監督の映画に立て続けに主演している。そういう人脈図に限らず、それらの作品自体もどこか同じ傾向を持っているようにも見える。

「いまドイツらしい映画ができてきていると言えるのかもしれません。実際、外国の観客たちはドイツの映画にアメリカ的なものを期待していないと思うんですね。ヴィム・ヴェンダースも初期の作品のほうが好きではありますが、アメリカで撮るようになってもアメリカ映画を撮っているのではない。ウォルフガング・ペーターゼンなどは完全にアメリカ映画をつくっているわけですが……。
いまドイツはあるモラルの危機に晒されているような状況にあると思うんですね。『ベルリン、僕らの革命』も若き主人公が何か拠り所を探していくという映画だと思うんですけど、ドイツはここ10〜15年で壁の崩壊もあってすごく変わった。そして今、実際これからどこへいくのかがなかなか見えない状況があります。そのことは私たちの映画にも大きく影響していると思います」