ニュースアグリゲータ

『X‑MEN: フューチャー&パスト』ブライアン・シンガー結城秀勇

nobodymag journal - 木, 07/03/2014 - 13:27
「X†MEN」シリーズが結局あまり好きになれないのは、プロフェッサーXが「導く」ところのミュータントと人間の共生が、つまるところミュータントだけの自律した世界(エグゼビア・スクール)をつくることに他ならないからだ。外部から隔絶した環境で、カッコつきの「マイノリティ」として認めてもらうこと。そこが本当にブライアン・シンガーの鼻持ちならないところで、かつて『スーパーマン・リターンズ』について書いたよう...

ナショナル・シアター・ライヴ2014『ザ・オーディエンス』

荻野洋一 映画等覚書ブログ - 火, 07/01/2014 - 18:53
 近年シネコンでは必ずしも映画作品だけでなく、ポール・マッカートニーやローリング・ストーンズ、ビリー・ジョエル、サイモン&ガーファンクルといったビッグ・アーティストのコンサート・ムービーや、パリ・オペラ座の歌劇とバレエの公演映像が上映されるケースが増えている。かつて私の子ども時代には「フィルム・コンサート」というものがあって、来日を望めそうもない海外ミュージシャンのライヴ映像が公民館などで上映された。中学時代、四谷の公民館でフレッド・フリス(元ヘンリー・カウ)のフィルム・コンサートを見たし、新宿5丁目の黙壺子アーカイブでレッド・ツェッペリン『狂熱のライヴ』なんかを見たのもその流れである。
 1980〜90年代のバブル時代前後は、日本の好景気、国際的地位の向上と共に、ピーター・ブルックのような高名な演出家とロマーヌ・ボーランジェをはじめとする豪華キャストがホテル西洋銀座に長期滞在して、銀座セゾン劇場で来日公演を打ったりした贅沢な時代もあった(当時、友人が銀座の「つばめグリル」でブルックとボーランジェが昼ご飯を食べているのを目撃したりしている)。現代でもミュージカルの分野ではブロードウェイの引っ越し公演がおこなわれたり、オペラやダンスの分野ではパリやヴッパータールからの来日もないことはない。しかし、ことストレート・プレイ(ミュージカルではない普通の演劇)における海外アーティストの来日公演となると、日本の国際的地位の低下とともに激減し、いや激減というよりほぼ皆無に等しくなった。首都・東京でさえも1年に何件もない海外演劇の来日公演を、私自身なるべく見逃さないように努めているが、しょせん雀の涙である。

 TOHOシネマズのチェーンが今年シリーズで開催中の《ナショナル・シアター・ライヴ2014》は、イギリス演劇の最高峰ロイヤル・ナショナル・シアター(ロンドン サウス・バンク)の舞台上演を、ハイビジョンの高画質で英国外の観客に見せようという企画である。そして現在上映されているのは、エリザベス女王と歴代12人の首相たちの「謁見(The audience)」を風刺的に描いた喜劇『ザ・オーディエンス』である。戯曲を書いたのはピーター・モーガンで、この人は映画界でもスティーヴン・フリアーズの『クィーン』(2007)で同種の題材を手がけたほか、ロン・ハワードの『フロスト×ニクソン』『ラッシュ プライドと友情』、クリント・イーストウッド『ヒア アフター』のシナリオも担当している。演出は『リトル・ダンサー』『めぐりあう時間たち』の監督スティーヴン・ダルトリー。主役のエリザベス2世を演じるのは、『クィーン』でも同役を演じたヘレン・ミレン。女王と歴代12人の首相たちの謁見で交わされる会話は、まさに良質そのものと言っていい喜劇に仕上がっている。ロイヤル・ナショナル・シアターの観客のヴィヴィッドなリアクションともども、伝統あるイギリス演劇の魅力をこの目で知る機会となる。
 海外演劇の日本語字幕付きシネコン上映の波は、もっと広がってもいいのではないか。ロイヤル・ナショナル・シアターのような最高峰のもの以外にも、私たちが旅行しなければ見ることのできない素晴らしい演劇は、もっとマイナーなものもふくめ、世界中にごろごろしているのだから。


《ナショナル・シアター・ライヴ2014》シリーズはTOHOシネマズ日本橋ほかで巡回開催
http://www.ntlive.jp

2014-07-02

『建築と日常』編集者日記 - 火, 07/01/2014 - 15:00
6月30日の深夜に、西沢大良さんが集団的自衛権に関してツイッターで発言されていた。それが建築界隈にとどまらず大きく広まっている。と同時にそれなりの数の批判を受けている(いずれも下記リンク先参照。ページ下部にコメント欄がある)。 西沢大良さん;集団的自衛権で貧困層が戦地に http://togetter.com/li/687487 米国で行われている経済徴兵制とは http://togetter.com/li/687532 事実誤認を指摘することには意義があると思う。ただ、今回の西沢さんの例に限らず ...

『オール・ユー・ニード・イズ・キル』 ダグ・ライマン

荻野洋一 映画等覚書ブログ - 日, 06/29/2014 - 19:52
 トム・クルーズ映画のハズレのなさ加減は異常なほどである。日本のラノベ原作だろうとなんだろうと、今回もしれっと料理しアクションの好篇に仕立てられているが、トム・クルーズは現代の奇跡なのではないか。先日の『X-MEN: フューチャー&パスト』評でも述べたが、この『オール・ユー・ニード・イズ・キル』は、またしても地球文明の終焉を描くカタストロフの映画である。それはもはや現代映画が抱えるオプセッションであり、ループ現象と言っていい。本作において、異性からの物体との戦争に無理やり参加させられた主人公(トム・クルーズ)が戦死を遂げ、タイムループの中で戦死の前日にリセットされる。時をつかさどる能力をもつ敵の中心的存在をたまたまやっつけたことで、そうしたタイムループの能力を得てしまったとのこと。彼は戦死の前日と当日をなんどもやり直していくうちに、強大な敵と張り合うノウハウを徐々に身につけていく。
 スピルバーグの『プライベート・ライアン』(1998)の前半でくり広げられたノルマンディ上陸作戦がここで反復されている。そして、ちょっとした失敗がすぐにリセットを引き起こす。歴史はこのようにくり返すのだろうか? 人生はこのようにリセットされうるのだろうか? 観客はこの反復をクルーズと共に追体験しながら、自問自答するのである。ちょうど大島渚『帰ってきたヨッパライ』(1968)のごとく、砂浜で眠りから覚めて反復が開始され、青山真治『ユリイカ』(2000)のごとく、乗り物が一度目はカタストロフとして、くり返しとしては再生の契機として出現する。


7/4(金)より丸の内ピカデリー(東京・有楽町マリオン)ほか全国で上映予定
http://wwws.warnerbros.co.jp/edgeoftomorrow

2014-06-30

『建築と日常』編集者日記 - 日, 06/29/2014 - 15:00
初めてデモに参加した。首相官邸前で行われた、集団的自衛権の行使容認の閣議決定に反対するデモ。といっても大声を出すわけでもなく、1時間ちょっと、あたりをウロウロしていただけだった。同じく初参加でウロウロしていたという岡さんのグループと遭遇。 建築の社会性とか公共性とか、そんな話がぜんぶ吹き飛ぶような事態が進んでいると思う。 もし建築家を特筆大書するなら、理想主義者であるべきだと僕は思います。[…]現代世界が一番めちゃくちゃなのは、あした戦争が始まっても不思議ではないところです。理想主義という場合、そこ ...

連続講義「怪奇映画天国アジア」/第5回「タイ人が本当に怖いと思うのは、どのような映画か」

映画研究者の四方田犬彦氏が、レアものの抜粋上映を交えつつ、バンコクとジャカルタに長期滞在した成果を披露していく連続講義です。第5回は、現代タイ映画のニューウェーヴの旗手、ウィシット・サーサナティヤン監督の国内未公開作「見えざる者」を上映します。

『ぷくぷく、お肉』(おいしい文藝 第一弾)

荻野洋一 映画等覚書ブログ - 金, 06/27/2014 - 18:06
 ウシ・ブタ・ニワトリが日本における3大食肉であるのは、ここ1世紀半くらい変わっていない。しかし必ずしもこれらが3トップとは限らず、日本で古くはイノシシ、ウマ、カモ、キジ、シギなどが先んじて食肉として愛されてきた。安藤広重の浮世絵なんかを見ると、「やまくじら」なる看板が描かれていたりするけれども、もちろん山にクジラが生息するはずはなく、シシ鍋など獣肉を喰わせる店が世間をはばかってそう自称したに過ぎない。室町時代の高名な禅僧に一休さんがいるが、アニメでは頓智に長けた坊主としか描かれていなかったものの、じっさいの一休さんは女を抱き放題、肉を食い放題だったという。人間が動物性タンパク質を欲するのはしごく自然なことなのである。
 これにウサギ、ハトや、シカなどのフランス系ジビエもふくめ、寒くなる季節にはなんとも悦楽への切符となる。わがエピキュリアン的欲望が満足されるのは、寒い季節にジビエ、そば屋でカモ、上野周辺でとんかつ、そして京割烹でスッポンにかぶりつく時だ。ステーキだけは難物で、これは一流の店で食べたことがなく、いまだいい思い出がない。自分で焼いたステーキのうまさ以上のものを、外で食べたことがないのである。はばかりながら、私は肉食系男子だ。きょうも朝からヒツジを野菜といっしょに炒めてガブガブ喰らった。朝食に肉、というのがわが一日のパターンだ。
 でも、私にとってのオプセッション的な肉といえば、ラムチョップである。「これを与えておけば、子どもも文句はないだろう」という心境で母が焼くのが、いつも仔羊の骨付き肉(ラムチョップ)だった。たしかにこれは普通のヒツジより癖がなくてうまいことはうまいが、ただいつも食べているとちょっと飽きるというか胸焼けするというか、いやそれはラムチョップのせいではなく、若き日の母が醸す罪滅ぼし的、取りなし的な気分が自分には重かったのだろうと思う。

 河出書房新社から今回出た『ぷくぷく、お肉』は、肉食に関する随筆をあつめたアンソロジー本である。赤瀬川原平、阿川弘之、池波正太郎、伊丹十三、色川武大、内田百ケン(ケンはモンガマエに耳)、開高健、邱永漢、檀一雄、古川緑波、向田邦子、山田太一、吉田健一、四方田犬彦など、私の大好きな書き手たちがこぞって肉を喰らうことの快楽を述べていて、本屋の新刊コーナーで立ち読みしていたら思わず買ってしまった。グルメガイド的な本を読むのは気恥ずかしい気分がある。映画監督の山本嘉次郎が書いた『たべあるき東京 横浜 鎌倉地図』(1972)のようなお墨付きのものなら大丈夫で、我ながらそういうところはなんとミーハーなのだろうと思う。
 本書を読んでいて意外の感も抱いたし、またうれしくも感じたのが、現代の書き手たちが上の先達たちに伍して健闘以上の文を見せてくれていることだ。角田光代、川上未映子、菊地成孔、久住昌之、島田雅彦、馳星周、平松洋子、町田康といった書き手たちである。とくに馳星周と角田光代の文には感銘を受けた。油断禁物なり。ところで私の早大の卒業アルバムには角田光代の角帽姿も出ている(早大は角帽なのである)が、ほとんど見た目は今と変わらない。

『アメリカの兵隊』@ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー映画祭2014

荻野洋一 映画等覚書ブログ - 水, 06/25/2014 - 16:19
 1階の「カフェ・テオ」でデア・レーヴェンブロイをたのんで、2階のオーディトリウム渋谷に上がる。ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー映画祭2014で『アメリカの兵隊』(1970)を見る。ファスビンダー主宰の劇団アンチテアーター総出の初期作品。今作は初見。ファスビンダーのファンを自称しておきながら、未見作品がちらほらある。
 ドイツ出身でアメリカに渡ったベトナム帰還兵リッキー(=リチャード ドイツ語発音でリヒャルト)が殺し屋稼業となり、ミュンヘン警察から受けたいくつかの極秘の依頼を淡々とこなしながら、安ホテルの一室や小汚いバーでバランタインを瓶ごとラッパ飲みするのが何度もくり返される。途中、ミュンヘン郊外の実家に立ち寄り、母親と弟に久しぶりに再会するシーンがあって、そこで母親がやっぱりバランタインをラッパ飲みするので、ああこれは遺伝なのだなと合点した。
 リッキーといい仲になる刑事の情婦ローザ・フォン・プラウンハイムを演じたエルガ・ゾルバスは、本作のあと『ニクラスハウゼンへの旅』(1970)、『リオ・ダス・モルテス』(1970)、『インゴルシュタットの工兵隊』(1971)、『四季を売る男』(1971)とつづく初期ファスビンダー映画の顔となる女優だが、少したるんだお腹、いかにもゲルマン的なブロンドヘアともども、なんともコケティッシュに写っている。また、去年『ハンナ・アーレント』で大いに株を上げた女性監督マルガレーテ・フォン・トロッタがホテルのメイド役で結構きれいなプロポーションを見せているほか、来月に同じくオーディトリウム渋谷で開催予定のダニエル・シュミット映画祭でたくさん拝むであろうイングリット・カーフェンがバーの女性歌手として出ている。
 そしてなんといっても、ペーア・ラーベンのサントラのすばらしさ。かつて中原昌也とペーア・ラーベンのすばらしさについて一晩中語り明かしたことがある。ラーベンの白々しくも慈しむべきメロディにギュンター・カウフマンの薄らざむい歌声(誰かの声に似ていると思うのだが、それが誰なのか、四半世紀くらい思い出せない)が乗っかってくると、これはもうトリップ的ファスビンダー的世界そのものである。
 主人公の “アメリカの兵隊” リッキーを演じたカール・シャイトをググったら、2009年4月に68歳で亡くなっていた。遅まきながら合掌。原題の『デア・アメリカーニッシェ・ゾルダート(Der Amerikanische Soldat)』は、今にしても思えば、ノイエ・ドイチェ・ヴェレ(ジャーマン・ニュー・ウェイヴ)の盟友ヴィム・ヴェンダースの最良の作品『アメリカの友人(Der Amerikanische Freund デア・アメリカーニッシェ・フロイント)』(1977)によって後韻を踏まれただろう。主人公のニックネームが「ムルナウ」だったり、情報屋の女が「フラー」だったり、バーの店名が「ローラ・モンテス」だったりするのが、それを証明している。


ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー映画祭2014がオーディトリウム渋谷(東京・渋谷円山町)で開催中
http://a-shibuya.jp/

2014-06-26

『建築と日常』編集者日記 - 水, 06/25/2014 - 15:00
なんとなくYouTubeで見てみた「自衛隊に入ろう」(1969)。もはや古典。そして古典がリアリティをもつ現在。 今まで意識したことがなかったけど、高田渡が蟻鱒鳶ルの岡さんに似ている。そう思って他の動画も見てみると、下のなんかはかなり似ている。途中で挿入される若い頃の映像はぜんぜん似ていないのだけど。 そういえばすこし前、古谷さんの偽日記に、三好銀『もう体脂肪率なんて知らない』(KADOKAWA/エンターブレイン、2014)という漫画の主人公の少年が僕に似ていると書いてあった。ネットで見た表紙画像 ...

特集上映「ダニエル・シュミットの悪夢─彼が愛した人と映画」

「ダニエル・シュミット映画祭」を締め括る企画として、シュミット監督の人生に大きな影響を与えた4人の映画作家ファスビンダー、シュレーター、ヴィスコンティ、プラウンハイムの作品と、彼が愛してやまなかった8本の映画を特集します。

『プロミスト・ランド』 ガス・ヴァン・サント

荻野洋一 映画等覚書ブログ - 月, 06/23/2014 - 21:29
 ガス・ヴァン・サントの新作『プロミスト・ランド』を東銀座の松竹試写室で見る。ヴァン・サントは『永遠の僕たち』(2011)のような極甘の陶酔劇も、『ミルク』(2008)のような行動原理だけの禁欲的映画も撮れる。今回は後者。何をやっても中途半端だったスティーヴン・ソダーバーグ(嫌いじゃないけど)とは、器が違う気がする。今年はもう62歳になるというから、むかしならとっくに押しも押されもせぬ巨匠といっていいが、依然として若手の気風を残しているのがヴァン・サントらしい。彼と同世代のコーエン兄弟も同じようなものだ。
 シェールガス革命に一石を投じた社会派サスペンスと呼んでいいだろう今回の『プロミスト・ランド』を見ながら、なんとなく浮かんできたのがシドニー・ルメットの名だった。考えてみれば、たとえばシドニー・ルメット(1924-2011)が快作『セルピコ』(1973)を発表したのはまだ48歳の時であったし、その翌年から『オリエント急行殺人事件』(1974)、『狼たちの午後』(1975)、『ネットワーク』(1976)と続く。私がこれらルメット70年代の佳作群を見たのはテレビ放映だったが、じつにわくわくさせられる面白さだった(依然として『ウィズ』は未見)。そしてついに初めて劇場で見たルメット映画が『プリンス・オブ・シティ』(1981)である。ニューヨーク市警の麻薬捜査員たちにはびこる汚職を、地味にねちねち延々と3時間近く描くさまは、どうにも咀嚼困難なものを感じたものだ。うむこういうものもまたアメリカ映画である、と無理やり納得するほかはなかったことを憶えている。
 本作『プロミスト・ランド』をスモールタウンもの、あるいはジリジリとした一攫千金ものとしてとらえながら、アンソニー・マン監督『神の小さな土地(公開時邦題 真昼の欲情)』(1958)も思い出した。この作品はDVDリリース時(2006)に梅本洋一からDVDを借りてようやく見ることができた。いろいろと参照的に他作品を思い出してばかりで恐縮だが、社会派という点で『プリンス・オブ・シティ』が、スモールタウンものという点で『神の小さな土地』が出てくるというのも、この映画の醸す魅力だとのみ伝えておきたいと思う。
 マット・デイモンが『グッド・ウィル・ハンティング』(1997)以来じつに15年ぶりに脚本・主演でヴァン・サント作品に参加している。


本年8月にTOHOシネマズシャンテ、新宿武蔵野館ほか全国で公開予定
http://www.promised-land.jp

2014-06-23

『建築と日常』編集者日記 - 日, 06/22/2014 - 15:00
柴崎友香『星よりひそかに』(幻冬舎、2014)を読んだ。『パピルス』の2009年5月号から2013年10月号にかけて連載された6編の連作短編+書き下ろし1編。前にも引用した文だけど(2013年2月3日)、柴崎さんの短編集『週末カミング』(角川書店、2012)のあとがきに下のようなことが書かれていて、 いちばん時間の経っている「蛙王子とハリウッド」から、数か月前に書いた「ここからは遠い場所」まで、「週末」という共通点以外は、つながりを設定していたわけではないのですが、通して読むと、ある小説のすみっこが ...

2014-06-22

『建築と日常』編集者日記 - 土, 06/21/2014 - 15:00
レオス・カラックス『ホーリー・モーターズ』(2012)、ハーモニー・コリン『スプリング・ブレイカーズ』(2012)をDVDで観た。

ダニエル・シュミット─思考する猫

「ダニエル・シュミット映画祭」第2弾。シュミット監督の人生に重要な役割を果たした人々へのインタビューと豊富な映像資料によって、彼の人生と映画の迷宮を描き出したドキュメンタリーをロードショーします。

『青天の霹靂』 劇団ひとり

荻野洋一 映画等覚書ブログ - 金, 06/20/2014 - 21:08
 現在公開中の作品に『X-MEN: フューチャー&パスト』と並ぶタイムスリップものとして、劇団ひとりが監督・助演した『青天の霹靂』もある。『X-MEN: フューチャー&パスト』はいわばシリーズとしてのこれまでの物語全体を自己否定する動きを見せるという点でアクロバティックたりえているわけであるが、事実関係のつじつま合わせに終始しているだけということも言える。これに対して、『青天の霹靂』は完全にオーソドックスな自分探しの物語となっている。
 私はわがままな人間で、こういう「劇団ひとり」などという甘ったれた芸名じたい大嫌いなのだが、それでも作品は一応見る。マジシャンの主人公(大泉洋)が何ごともうまく行かずうだつの上がらぬ自分を呪っていると、稲妻が彼の体を撃ってくれて、生まれる直前の1973年にタイムスリップする。この1973年という年はなぜか『X-MEN: フューチャー&パスト』でウルヴァリン(ヒュー・ジャックマン)がタイムスリップする年と符合する。かつて、ヴェンダース、エリセ、シュミット、イーストウッドを顕揚するために蓮實重彦が特権化した年号だが、『X-MEN』も劇団ひとりももちろんそれは埒外である。そして自分を捨てて去ったと聞いていた母(柴咲コウ)とダメ親父(劇団ひとり)の愛の形を目の当たりにするという、メロドラマが展開される。パパ-ママ-ボクをめぐる関係修復のメロドラマとしてだけでなく、柴咲コウという女優の三十路に達した一番美しい季節を目に焼き付けるという楽しみを無駄にすべきではない。
 しかしこの映画の一番いい点は、演芸の街として機能し得た最後の時代の浅草を愛惜をこめて描いていることだ。荒川土手での死体発見というまがまがしい導入から始まって、浅草の人情味と非情さの両方が写し出されている。ひょっとして、浅草が映画の舞台になるのはこれが最後ではないか、という感慨を抱きながら本作を見た。


TOHOシネマズ日本橋ほか全国で上映中
http://www.seiten-movie.com

2014-06-21

『建築と日常』編集者日記 - 金, 06/20/2014 - 15:00
田中信太郎・岡粼乾二郎・中原浩大「かたちの発語展」をBankART Studio NYKで観た(〜6/22)。岡粼さんとのお付き合いが長い方たちと話をしながら回ったので、岡粼さんのパートに関して、より多視的に観ることができたように思う。ただ、立体の大作や新作が並ぶなか、僕がもっとも惹かれたのは、おそらく小品と言っていい、おかざき乾じろ名義の《エンディミオン》(2003)という粘土の彫刻だった。それは僕の個人的な好みということだと思うけど、一方で抽象的な造形の作品を観る自分なりの観方がまだ身についていな ...

ダニエル・シュミット レトロスペクティヴ

「ダニエル・シュミット映画祭」第一弾。スイスに生まれ、ニュー・ジャーマン・シネマと並走し、世界を魅了した映画作家ダニエル・シュミット。言語や国境の壁、そして現実と虚構の境界をたえずすり抜けてきた彼の作品をふりかえります。

『X-MEN: フューチャー&パスト』 ブライアン・シンガー

荻野洋一 映画等覚書ブログ - 金, 06/20/2014 - 01:18
 近年の映画界が飽きることなく地球の終わりや人類の絶滅を描きつづけていることは、このブログ上でも繰り返し言ってきた。この傾向が顕著なのはアメリカ映画だが、日本の黒沢清監督『回路』(2000)が見せた破局のビジョンは、「自分が生きているあいだに、こんな光景は絶対に見たくはない」と思わせるインパクトを観客に与えた。
 そして興味深いのは、これらのディザスター・フィルムに「トレーニング効果」ともいえる経験値の累積がだんだん見えてきている点だ。後発作品の登場人物たちに、またそれを見る観客にも、先行作品でさんざんくり返されたビジョンに対する耐性が生まれているのだ。そして現在公開中の『ノア 約束の舟』は、物語こそ旧約聖書から採られた古いものではあるけれども、じっさいは滅亡ビジョンについての最新ロットを示そうとするもので、『回路』の返答的リメイクと言っても過言ではない。
 『X-MEN』シリーズの最新作『フューチャー&パスト』も、この文脈につらなっている。ミュータントと人間のあいだで延々とつづく戦争に登場人物の全員がうんざりし、飽き飽きしている。「もうこんなことは、最初からなかったことにしたい」という厭戦気分が、この映画のテーマだ。──そこで思いついたアイデアはようするに、このシリーズで語ってきた物語そのものをご破算にしよう、暴力連鎖のきっかけとなった出来事を、誰かが過去にさかのぼって阻止してしまおう、ということだ。そしてウルヴァリン(ヒュー・ジャックマン)が選ばれて、1973年時点にタイムスリップする。
 シリーズ第3作『ファイナル ディシジョン』(2006)と前作(といってもシリーズ全体の前日譚を語っている)『ファースト・ジェネレーション』(2011)の両方の続編として書かれたシナリオは、アクロバティックな仕事ぶりだ。パラレルワールドを語るSF映画はたくさんあるけれども、2つの時代それぞれに別々の前作から引き継ぐべき文脈が存在するというのは前代未聞だと思う。ただ、シリーズの不真面目な観客でしかない私が、この二元的に構成されたディテールをすべて受け止めきれたかというと、甚だ心許ないところだ。


TOHOシネマズスカラ座(東京・日比谷)ほか全国上映中
http://www.foxmovies.jp/xmen/

2014-06-20

『建築と日常』編集者日記 - 木, 06/19/2014 - 15:00
『建築と日常』建築講座(テスト回)開講のお知らせ 下記のとおり、このたび『建築と日常』は、建築に関する小講座を試験的に1回開講します。この試みに手応えが得られれば、検討すべき点を検討し、あらためて数回のシリーズで開講したいと考えています。 本講座のきっかけの一つには、本誌編集発行者である私・長島が、この4月から某専門学校で「建築・都市概論」(→)なる全14コマの講義を始めたことがあります。その講義について、建築関係の仕事をする同世代の友人たち何人かが「自分も受けてみたい」ということを言ってくれました。 ...

2014-06-19

『建築と日常』編集者日記 - 水, 06/18/2014 - 15:00
ふと思い立ち、今更ながら『建築と日常』の媒体案内(全号目次+取扱店一覧)のPDFをホームページにアップしてみました。普段はA5判の両面印刷でチラシ的に使っていますが、文字が小さいのでA4で印刷したほうが見やすいかもしれません。ご参考まで。 『建築と日常』媒体案内PDF http://kentikutonitijou.web.fc2.com/kentikutonitijou.pdf
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