10/13 おれの足の手入れなどほっておけ

ズーン ・モン・ トゥー『ブアさんのゴザ』 。老婆の持つゴザとヴェトナム戦争との見えない関係、そして彼女を取り巻く村の人々の生活を描く。
ブアさんがゴザを洗うと発作が起こる前兆だと近所の人は言うのだが、実際にはブアさんの発作は映画の中で起きない(上映後のQ&Aで監督は、撮影を始めた頃からブアさんの発作の症状が治っていったと言っていた)。ただ、それは別に映画にとって悪いことというわけではない。風が吹くと桶屋が儲かる的な、必ずしもくっきりとしたつながりが見えるわけではない原因と結果、兆候と出来事。むしろゴザとブアさんの病気の関連性が直接見えないからこそ、婚外子の多さや小さな村の住民たちがなぜこんなに仲がいいのかといったようなことと、ヴェトナム戦争とのかすかな関係について、自由に思いをはせることができるような気がする。
ブアさんは戦争当時、傀儡政権の兵士を解放軍に寝返らせるための工作を「色仕掛け」でしていたと語り、ちょっと「え?」と思うのだが、その後でチラッと出てくる彼女の娘さんを見ると「ああ確かに寝返っちゃうかもな」と思った。

エラ・プリーセ、ヌ・ヴァとトゥノル・ロ村の人々による『何があったのか、知りたい(知ってほしい)』。クメール・ルージュの歴史について住民が映画を製作するという、これもまた歴史と演じることについての作品。
だが『なみのこえ』や『殺人という行為』ほどには、演じるという手法自体の存在をあまり感じない映画だった。『殺人という行為』もこの『何があったのか、知りたい(知ってほしい)』も劇中で作られる映画そのものがどのようなかたちで完成されたのかは明らかにされない。だからこれらの作品は、どこか劇中劇のメイキング映像のようなものとしてある。監督名に「トゥノル・ロ村の人々」とクレジットしてしまうような、「みんなでつくったんですよ」といういかにも人道的な選択を批判する気は別にないが、そのことによって結局ここでは語り尽くされることがない劇中劇自体を、いったい誰がつくり誰が責任を負うのかという問題が消えてなくなるわけではない。だから酒井濱口両監督の、語るという行為自体にはあったが映像として記録されたものからは消えてしまうようなエモーションを、なんらかのトリックと映画の嘘(「おと」から「こえ」、そして「うた」へというフィクション化のプロセス)を使ってでも取り戻そう、そしてその嘘についての責任はおれたちがとる、というスタンスの方がはるかに倫理的だと感じるのだ。
しかしそんなことよりも、なんでトゥノル・ロ村の人はこんなに整った顔立ちの人が多いのかとびっくりする。ブサイクな子供がひとりもいない。これはかわいい子供だけを選んで撮影したというレベルではない。美男美女の名産地だったりするんだろうか。

ランチを食う場所がないという声をよく聞くのでグルメ情報も書いておこう。基本的にメシに困ったら、麺類にしとけば間違いない。よほどのことがなければ、どこで食ってもうまい。でもそれだけじゃあまりにそっけないので、どうしてもご当地ラーメンみたいなものが食べたければ「龍上海」に行けばいい。日曜の昼時なのでけっこう混んでいた。

とくにきちんとした予定を立てるでもなく、日々小耳に挟んだ情報と思いつきだけで映画を見ていると、クリス・マルケルを見にいくのを忘れる。ということで空いた時間で『空気の底は赤い』の前半だけを見る。

ユッカ・カルッカイネン、J-P・パッシ『パンク・シンドローム』。フィンランドの知的障碍者パンクバンドのドキュメンタリー。ありがちな音楽もの、ありがちな障害者ものなんじゃないかと高をくくっていたが、ナメすぎだった。こいつらは本物のパンクだった。
まず、ヴォーカルの書く詩、それのメロディへの消化の仕方、そして身体をずっと前後に揺らし続ける歌唱スタイル(歌ってないときも揺れてるんだけど)がとにかくめちゃくちゃかっこいい。とりわけすばらしいのは、(おそらくグループホームの決まりで定期的に受けなければいけない)フットケアをヴォーカルがさぼろうとするのを発端としてバンドメンバーが喧嘩を始める場面で歌う曲だ。
"なんでフットケアの施術士なんて職業が存在するのか意味わかんねえ
おれの足の手入れにまで口出しするな"

家に帰ると、両親と弟が朝からの上映だった『うたうひと』を見てきたと言う。「おもしぇがったわ」と言われたので「んだべ」と答える。