池部良も高峰秀子もノマドだった

2011年4月20日

 

 朝日新聞の夕刊で藤原帰一の連載が始まった。福沢諭吉にちなんだ「時事小言」と題されている。地震、津波、原発についての言説を追いながら、「わたし自身をとらえる通念や偏見をできるだけ突き放し、何ができて何ができないのかを考えること。それがこのコラムの目的である」と結ばれていた。後出しジャンケンではなく、現在形で思考することを宣言した誠実な文章だと思った。国際政治学者らしく、東西冷戦が終わった後も、言論が、いかに冷戦的な通念に囚われていたかを書き、「時事評論とは現在を語るものではなく、過去を現在に当てはめる文章の別名に過ぎないのではないか。書き手としては、それがこわい」と正直に書いている。

 政治家へのインタヴューを通じてオーラル・ヒストリーを実践している御厨貴は、「戦後」ならぬ「災後政治」という概念を提供している。曰く、3.11は、「戦後」に匹敵する出来事であり、「災後」とは明らかな転換点であり、ヴォランティアの数多さなどを見ていると、新たな公共性の概念が生まれつつある。政治史の側から、こうした出来事にアプローチした例は、後藤新平だろう。彼のプロジェクト型の実行力は参考になるだろうが、今、政治の世界に後藤は見当たらない。今後、世代交代の中で、後藤のような政治家がグループとして登場するような土壌を作ることが自らの役割だと、御厨は述べていた。

 もちろん後藤新平についての共著(『時代の先覚者・後藤新平』藤原書店刊)もある御厨が、台湾総督や満鉄総裁もつとめ、統治について常に為政者の側にあった後藤新平の長所も短所も理解した上での発言だろう。渋谷区の中学で学んだぼくは、表参道や外苑の誕生について「後藤新平の大風呂敷」として社会の時間に学んだのを思い出す。後藤新平邸は確かアントニン・レーモンドの設計だったし、結局はアンビルトに終わったが別邸の設計をライトに依頼していた思う。彼は有能なプロジェクト・リーダーでもあったけれども、表参道や自邸の設計をレーモンドに依頼したことなどを思い合わせると、極めてセンスのいい人だったわけだ。戦前の超エリートの時代にノスタルジーを感じても仕方がない。政治家にセンスを求める時代はずっと以前に終わっている。

 「災後」の三陸再生のために、御厨が後藤新平を持ち出すことを考えると、そのためにはオースマンのパリにおける都市改革と同レヴェルの作業が求められることになるだろう。だが、後藤新平もオースマンも過去の人だ。歴史から学ぶという作業はぜったい必要だが、その作業ばかりを繰り返しているだけでは、藤原帰一の言う「過去を現在に当てはめる」作業に過ぎない。「災後」という「事後」の時点から過去に遡行するのでは、釜石は、製鉄所の町、気仙沼は静かな漁港に戻すしかあるまい。震災以前の渦中の釜石製鉄所は、著名ラグビーチームを手放さなければならないくらいに低落していたし、気仙沼を始めとする漁港のダメージは計り知れない。歴史から学びはするが、「地域の意見」を聴取するが、無くなったものを懐かしむというノスタルジーに浸っていては、「事後」のヴィジョンを想像することさえできない。昔は良かった。震災以前の、原発事故以前の昔の時間を取りもどせ、というスローガンしか生まれない。「以前」の時間とは、堤防に守られて、安全神話に守られて、原発と束の間の共存が可能だった時代のことだ。だが、それらのすべてが再審に付されたことだけはまちがいない。だから、戻れない。昔には戻ることができないのだ。

 最近、池部良や高峰秀子など昨年亡くなった往年の名優の文章ばかり読んでいる。池部良なら『江戸っ子の倅』、高峰秀子なら名著の誉れが高い『わたしの映画渡世』などだ。ローレン・バコールやイングリッド・バーグマンなどハリウッド女優には素晴らしい自伝が数多くあるし、ぼくはジーン・ティアニーの『Self-Portrait』やジョーン・フォンテーンの『No Bed For Roses』といった自伝も大好きだ。それにくらべると、最近、素晴らしい自伝を出版した岡田茉莉子といった例外はあるけれども、池部良や高峰秀子のような文章を書ける俳優は、日本映画において極めて少ない。池部良の比喩の適切さには舌を巻くし、高峰秀子の、題名そのままを表したようなドスの利いた文章は爽快だ。

 そうした例外的な映画俳優の自伝から言えること。彼らにはいろいろなことが起こっているということ。同じ場所に同じ人々と暮らしているだけでは決して起こらないような、多様で、多彩で、嬉しくも悲しくも素晴らしくもあるような素敵なことがたくさん起こっているということ。もちろん戦争もあったし、映画俳優という職業柄、いろいろな人の人生を生きる必然性もあったけれども、それ以上に、過去を肯定するのではなく、現在で過去を乗り越えて、過去に縛られないこと。そんな潔さが、彼らの文章のエンジンであるように感じられる。ちょっと撮影所が嫌になれば、パリにでも逃げる。最初はちょっと気分が乗らなくても、人に勧められたものを初めて食べてみると、これがすごくうまいことが分かる、などなど、自分自身に拘ることなく、一瞬、一瞬を冒険の時間に変えていく。どっしりと腰を落ち着けるのとは反対の、尻軽で身軽で、変幻自在。こういう感じを、昔、ジル・ドゥルーズは「ノマド」と呼んでいたと思う。

 三陸の再生のヴィジョンのひとつとして「ノマド」はどうだろう? 定住はやめる。丘の上ならいいかもしれないが、低地は、遊牧民(ノマド)のパオだ。身軽で可動的で、すぐさま引っ越すことができ、たとえ津波に流されたとしても、たかがテントだ。ぜんぜん平気。それに何よりも、テントに執着する人もいないだろう。財産なんて関係ないさ。船から下りてテント作りの家へ帰る。どうだろうか?