カンヌ映画祭総論 ツリーがパルムへ

 ツリーがパルムに

カンヌ映画祭2011 総論

 ジャン=マルク・ラランヌ(「レザンロキュプティーブル」編集長)

 マリックがパルム・ドール、ダルデンヌ兄弟とヌリ・ビルゲ・ジェイランが再び(グランプリ)受賞。映画祭そのものよりもインスピレーションに欠けた受賞結果となる。

  一年半前から、すでに『ツリー・オブ・ライフ(原題)』が2010年のカンヌ映画祭のイベントになると考えられていた。しかし最終的に2010年の映画祭には間に合わず、テレンス・マリックの新作は、翌年の映画祭まで、この世に誕生するのを待つことになった。まるでこうした作品が日の目を見るためにはカンヌ映画祭を必要としているかのようだ。時間をかけて構想する(=妊娠する)という選択は報われ、『ツリー・オブ・ライフ(原題)』はパルム・ドールを獲得した。

 この評価が逆説的なのは、それが予想されていたことであると同時に、思いがけないことであったからだ。予想されていたとするのは、新聞紙上では、マリックがパルム・ドールを獲得するのは当たり前のように思われていたからだ。テレンス・マリックは、現代映画界において、よい意味でも悪い意味でも、徐々に、もっとも強力な神話のひとつになってきた(よい意味では、それは彼の途方もない才能のために、悪い意味では、姿が見えない、ほとんど現れないという、天才についての多少古びた神話を生きているから)。しかしカンヌでの上映以来、パルム・ドール受賞はそれ以前より確実ではないように思えた。『ツリー・オブ・ライフ(原題)』はカンヌ映画祭の多くの観客を当惑させ、そして意見は大きく分かれた。

 この作品にパルム・ドールを与えることは、最終的に、かなり強固、頑固とも言える意志に貫かれた行為であると言えるだろう。なぜなら『ツリー・オブ・ライフ(原題)』は、だめな部分を見過ごしても、とにかく好きになるべき作品だからだ。そしてこの作品を好きになることはそんなに難しいことではない。マリックという物語作家の才能、点描画家のように小さな出来事を細かく拾い上げながら、ひとりの男の人生、そして人類の軌跡を語るその方法は驚嘆させられる見事なものだからだ。したがって、常軌を逸していて、見事であると同時にどこかぎくしゃくとしたこの作品を目にすると、『ツリー・オブ・ライフ』がパルム・ドールを受賞したことは毅然とした選択に思える。

 その他の受賞作品については、それよりは毅然とした選択だとは言えないだろう。グランプリを二作品に与えたことは、折衷主義的な審査団が了解に至るのが難しかったことを示唆している。おそらく、ダルデンヌ兄弟の作品をこれまで一度も見たことのなかったアメリカ人俳優は、『自転車に乗った少年(原題)』に新鮮な驚きをおぼえたのだろう。しかしこの兄弟の映画のファンにとっては、そこまで重要な作品に思えなかったかもしれない。ダルデンヌ兄弟にもう一度、重要な賞を授与することの意義はあまり感じられない。しかも受賞経験があり、グランプリも二度目であるヌリ・ビルゲ・ジェイランにも同じグランプリを与えている。少なくとも、『ドライヴ(原題)』(非常に才気ある選択であるか、逸話的な選択と考えるか、おそらく両方だろう)をどのように思うにせよ、ニコラス・ウィンディング・レフンに監督賞を授与したことは、発見しようという審査団の意欲を示しているだろう。

 しかし、この受賞リストに不在の作品を思うと、この結果には失望を感じざるを得ない。多少なりとも順応主義的な傾向にあるとは言え、カンヌ映画祭でつねに高く評価されてきた二人の作家、アルモドバルとカウリスマキの新作が受賞しなかったことは驚きだ。より大胆な傾向にある作品、たとえば素晴らしいボネロの『アポロニド、娼館の思い出(原題)』が受賞しなかったことはまったくもって悲しいことだ。そしてアラン・カヴァリエの『パテール(原題)』についても同様だ。『パテール(原題)』は映画祭には「大きな」作品が相応しいという考えを再構築し、転換させる作品の一本である。小さいながらも、同時に大きな広がりを持ち、映画がこうであると考えられていたり、製作されていたりするのとは逆を行く、この非常に現代的な作品に賞を与えることができたら、昨年の『ブンミおじさんの森』のパルム・ドールと同じぐらい力強い態度を示すことができただろう。2011年度の審査団がその機会を逸してしまったのは残念である。今年は、二本の「大きな」フランス映画がコンペティションに出品された。『アーティスト(原題)』の主演男優ジャン・デュジャルダンと、マイウェンの『ポリス(原題)』だ。審査員たちはこの2本に賞を与えることを選択したのだ。

 しかしながら、強い印象を残す決断があった。それは記者会見でのラース・フォン・トリアーの暴言にも関わらず『メランコリア(原題)』にひとつの賞(主演女優賞)を与えたことだ。カンヌ映画祭当局は監督本人の出場資格は剥奪しても、映画の出品を取りやめることはしなかった。審査員たちはこの自由を大いに行使し、何はともあれ、彼の作品を支持した。そして主演女優賞を受賞したキルスティン・ダンストの演技はまさにそれに値するものだったと言えるだろう。

 こうして今年の受賞結果は、私たちが体験した映画祭のレベルには到達せず、複雑な感情を生むことになった。そう、私たちは非常にいい映画祭を過ごしたのだ。