——堀江さんは『いたくても いたくても』を撮られる前に、『リスナー』(2015)というオムニバス映画の中の一篇である『電波に生きる』を監督されていらっしゃいます。そこで嶺さんが初めて堀江さんの映画に出演されるわけですが、最初にお会いしたときの印象、また監督としての嶺さんについて堀江さんはどのようにお考えだったのでしょうか。

堀江貴大:嶺さんとは『電波に生きる』のオーディションで初めて会いました。ただ前から存在は知っていたし『息を殺して』(2014、五十嵐耕平)も見ていたんですが、監督作の『故郷の詩』(2012)だけはずっと見てなくて、最近初めて見ました。というのも『故郷の詩』を撮影前に見てしまえば、これから自分が撮る映画も変わるだろうなと思ったし、嶺さんとはあくまで俳優としての付き合いに留めておきたかったんです。たとえば藝大時代の同期は嶺さんとバンクーバー国際映画祭に呼ばれて行ったり、大学からの知り合いだったりして「嶺くん、嶺くん」っていうふうにいつも言ってるんですが、僕はいまだに嶺さんとしか言えません。その同期から「お前何で『嶺さん』なんだよ!」って言われたこともあったけど、それは僕にとって大事なことで、俳優に対しての尊敬がつねにあるからなんです。だから簡単に「嶺くん」とは呼べない俳優としてのすごさをオーディションのときに感じたこともあって、普段こうして一緒にいても敬語になっちゃうんです。

——「嶺くん」でも「豪一」でも全然大丈夫ですから(笑)。堀江さんのやりやすいほうで。

©東京藝術大学大学院映像研究科

堀江:気持ちとしてね、そこは(笑)。だから葵役の澁谷麻美さんも、現場でたまに突き放されたように感じていたみたいです。だけどそこは僕なりの距離感を大事にしたいというところがありました。

——俳優との距離のお話が出ましたが、一方でスタッフとの距離は普段からどのように考えていらっしゃいますか。

堀江:スタッフとはそんなに距離はないと思います。ただ俳優やスタッフにしても、僕の言ったことに対してその通りに全部やってくれる人たちを選んだわけではないです。何か疑問があればちゃんと言ってほしいし、誰かが現場を止めてでも発言できる場を自分がつくらなければいけないと。それが映画の善し悪しにどれだけつながるのかはわかんないですけど、そういうことを言える現場こそ最終的な映画の良さにつながるんじゃないかなとは信じています。嶺さんも現場では疑問に思ったことやこうしたいと思ったことは言ってくれました。

——このたび公開される『いたくても いたくても』は「プロレス恋愛活劇」という大胆なキャッチコピーの名のもとにありますが、そもそもプロレスや通販を組み合わせるアイデアはどういった過程の中で思いついたのでしょうか。

堀江:友人との企画会議の中で出てきたネタがプロレスと通販の話でした。プロレスに関しては学生時代からずっとアマチュアプロレスをやっている友だちがいて、彼の得意技は椅子とプロレスができることなんですね。それで某大手企業の最終面接でその技を自己PRで披露したら、見事に受かったんです(笑)。結局彼はその内定を断ったらしいんですが、後日たまたまその重役と出くわして、かなり罵倒されたらしいです……。でもその話がすごく自分の記憶の中に残っていたこともあって、モノとプロレスの組み合わせを映画の中に取り入れてみてはどうかと考えるようになりました。通販に関しては通販会社の動画制作をやっている友人と忘年会で呑んだときに、その通販動画を見せてくれたことが大きかったですね。本人曰く誰にも教えられていない独自のノウハウでつくったらしいんですけど、これがまためちゃくちゃおもしろいカルト通販動画でして、いきなり早送りされたりするんですよ(笑)。通販動画ってこんなのもアリなんだなと思いながら、主人公は通販会社で自社商品とプロレスしていて、その動画を配信している設定がおもしろいのではないかと考えたんです。いまと全然ちがうんだけど、映画の原型はそういった他愛もないきっかけからでした。

——通販のモノを売りたいはずなのに、その商品を使ってプロレスをするという矛盾にツッコミたくはなりましたが(笑)。

堀江:実際に学生プロレスの興行を見に行ったこともあるんですが、最初の1試合目は笑えるぐらいのネタプロレスで始まって、最後の試合がメインマッチの流れなんですね。だから映画の中の1試合目はネタプロレス、2試合目は本気で殴り合ってしまうプロレス、3試合目は本気でプロレスをするという流れで脚本を考えていきました。最初は1試合ぐらい冷蔵庫にプロレス技をかける試合を入れたいとお願いしたんですが、プロデューサーからは「時間がないからやめて」って言われちゃいました(笑)。

——『いたくても いたくても』というタイトルには、プロレスによる身体の痛みであったり、人間関係から生まれる精神的な痛みが込められていると思います。堀江さんは映画がともなうこれらの痛みを、映画の中でどのように演出しようと考えたのでしょうか。

堀江:俳優は実際のプロレスラーではないので、それらをすべて本格的にやってもらうことはなかなか難しかったんですが、相手の身体には技が当たってないんだけど、まるで当たっているように見せる映画なりの嘘を見せようとは考えていました。プロレスの試合をアクションではなくドラマとして撮ることが目的だったし、感情の痛みに還元されるようにプロレスの試合も描かないといけないというのは、撮影前から思ってましたね。スタッフとは「この映画の肝はプロレスの試合を通してどういうふうにドラマを変化させていくのかってことだよね」っていう話もしていたので、最初は通販商品を使った社員たちのネタプロレスを本当に技が当たっているようなコメディとして見せて、中盤に星野と戸田の本気の殴り合いになってしまう試合、そしてラストは本気のプロレス試合を見せる流れでつくりました。それに「いたくても」っていうのは、頑なに「居たくても」っていう自分の場所に居続けようとすることなんです。それは自分がずっと映画の中でやってきたことで、どうしようもなくダメな状況なのに、その場所に居続ける人たちを描くことなんですね。

——嶺さんはそうした痛みやそこに居ることを感じながら星野を演じていらっしゃったのでしょうか。

嶺:脚本の段階でセリフの中に「ずぶずぶの星野くん」ってあったんですけど、優柔不断で何となく普段から流されている主人公が、プロレスを通して成長していく話なんだなっていうのは理解してました。ただ元々のタイトルは『チャンピオン』(仮)で、『いたくても いたくても』になったのは編集の後でした。だから痛みや居続けることに関しては正直考えてなかったです。でもその痛みに関しては星野よりも彼女の葵が気づくもので、星野はとにかくプロレスのことしか頭にないんですね。プロレスも肉体的にはそこまで痛くはないし、演技を通して痛がるフリでもあるんで、どちらかと言えば星野自身の痛みというより、彼女の葵やそれを見ている人の心の痛みになればいいなとは思ってました。

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