『シネ砦 炎上す』を読んだ  黒岩幹子

私が初めて安井豊作さんが書いた文章を読んだのは二十歳の頃でした。最初に読んだのがどの文章だったのかは、この『シネ砦 炎上す』に収められた文章のどれかではあるでしょうが、憶えていません。よく憶えているのは、「あるものはある」という文章を読んだ時のことです。その頃、大学に通っていた私は、本書でも何度かその名前が出てくる梅本洋一さんのゼミを受講していました。そのゼミでは、「カイエ・デュ・シネマ」を創刊したアンドレ・バザン、そして彼のもとに集ったヌーヴェル・ヴァーグの作家たちが書いた批評を毎週ひとつずつ読むという授業をやっていて、毎回ふたりの学生が一緒にレジュメを用意してきて発表することになっていました。そこで私が発表を担当したのがジャック・リヴェットの「ホークスの天才」というハワード・ホークス論で、参考文献のひとつとして指定されたのがそのリヴェットの文章について書かれた「あるものはある」だったのです。レジュメを作るためにまず文章を一読した私は文字通り頭を抱えました。そして一緒に発表を担当することになった友人Sの目黒のアパートに丸二日泊まりこんで、ウンウン唸ったり奇声を発したり呆然としたりしながら、そこに何が書かれているのか理解しようとしました(当時使っていた掲載紙のコピーが手元に残っていたのですが、無節操に引かれたアンダーラインはともかく、余白を覆うように書きこまれた謎の円や矢印、“表象”“あるもの”といった単語の走り書きが不気味で、当時の困惑ぶりが窺い知れます)。結局どのようなレジュメを書き、発表の際に何を言ったのかはびっくりするほど憶えていないのですが、映画体験ならぬ映画批評体験と呼べるものがあるとすれば、私はそれをあの時の体験を抜きに語ることはできません。なぜならば、私はあの時初めて自分の言葉で映画というものはいったいどういったものなのかを真剣に考えようとしたのだと思うからです。もっと言えば、おそらく私はそれまで映画というものを、自分が見ている映画というものを疑ったことがなかったのです。

今振り返って思うのは、あの時、もし「あるものはある」を読まずに、「ホークスの天才」だけを読んでいたとしたら、Sの家に二日も泊まりこむことも、謎の円形や矢印をプリントの余白に書き込むこともなかったのではないかということです。それは「ホークスの天才」がわかりやすく「あるものはある」がわかりにくいということではありません。ただ、「あるものはある」を読まなければ、私は「ホークスの天才」をわかったような気にはなっていたかもしれません。私にとって、「あるものはある」は「ホークスの天才」をわかりやすくしてくれるものではなく、「ホークスの天才」をわかったような気になることを妨げるものだったのです(そう言えば『シネ砦 炎上す』には、《なんだかわかったような気がするが、わかったような気というのは、なんでも明晰をたっとぶ哲学では、もっともいけないことかもしれない》という田中小実昌さんの小説の一節が引用された文章も収められています)。では、「ホークスの天才」をわかったような気になるというのはどういうことでしょう。それは、リヴェットがその論文の末尾に記した《ホークスは歩くことによって運動を明らかにし、呼吸によって生を明らかにする。あるものはあるのである》の《あるものはあるのである》をわかったような気になるということに他ならないのではないでしょうか。

豊作さんが書いた「あるものはある」という文章は、リヴェットの「ホークスの天才」において《なぜ「あるものはある」は最後にあるのか》に注目するところから始まり、《「あるものはある」は本当にあるのだろうか》という《根本的な疑問》を提示しながら終わります。言ってみれば、その文章はリヴェットのホークス論について書かれたものではなく、リヴェットのホークス論に書かれた《「あるものはあるのである」という断言》――その断言がリヴェットのホークス論の他の記述に対して、論文そのものにおいてどのような役割をはたしているのか、そして《「あるものはある」という断言によって指示される映像》とは何か、《「あるものはある」という断言によって「ある」といわれた「あるもの」》とは何か――について書かれたものなのです。つまり、《おそらく、この断言は、ホークスの映画を明瞭に指示するものであろう》としながらも、ここではホークスの映画、リヴェットがホークスの作品名を挙げながらその「天才」を説明した「ホークスの天才」の大部分の記述についてはまったく触れられていません。豊作さんの関心は、リヴェットのホークス論の末尾に置かれた《あるものはある》という断言それ自体にあるのです。

私が二十歳の頃、「あるものはある」を読まずに「ホークスの天才」だけ読めばあれほど読むのに苦しむことはなかったのではないかといったのも、そこに原因があります。私が「ホークスの天才」を読んでそれについて発表することにしたのは、ホークスの映画もリヴェットの映画も好きだという軽い気持ちからだったでしょうし、リヴェットがホークスの映画についてどういっているのかを理解すればいい、リヴェットの言葉に従ってホークスの作品について考えればいいのだと思っていたからでしょう。実際、「ホークスの天才」はそれだけを考えながらも読むことはできます。《あるものはあるのである》という断言を、ホークスの演出の透明性といった言葉に置き換え、ホークスの作品のさまざまな場面を思い浮かべて《ホークスは歩くことによって運動を明らかにし、呼吸によって生を明らかにする》ことを認めることもできます。ですが、ただリヴェットがホークスの作品について書いていることをホークスの作品を思い浮かべながら読むだけでは、「ホークスの天才」という論文をわかったことにはならないのです。《あるものはある》という断言と豊作さんが《天才の証明》と呼ぶそれ以外の記述が《完全に分裂しているように見える》ことを放置したまま読んでも、「ホークスの天才」というひとつの論文をわかったことにはならないのです。さらにこうも言えるでしょう。リヴェットが書いた《天才の証明》を読めばホークスの映画について多少なりともわかった気になるかもしれない。しかし、それがどこまでもわかった気でとどまってしまうのは、ホークスの映画が「映画」であることがわからないからなのです。それは、リヴェットが「ホークスの天才」を書いた動機や「ホークスの天才」という論文そのものがわからないというだけでなく、リヴェットが見るホークスの映画が「映画」であること=リヴェットが見るホークスの映画がわからないということでしょう。つまり《あるものはある》とはいったい何であるのかを見ない限り、「ホークスの天才」もホークスの映画が「映画」であるかどうかもわからないのです。

《たとえば完璧な円を描く満月を美しいと感じる人もいれば、表面の凸凹がつくりだす影にウサギを見る人もいるだろう。だが、その月と天空との関係において境界線を見いだす人は案外少ないのだ。それはあるようでないが、また、ないようである》と、豊作さんは「あるものはある」の中で書いています。これは「ホークスの天才」という論文の円環構造を指摘し、《天才の証明》が円環の内部にあり、《「あるものはある」の「明白さ」》が外部にあり、その間に《論理》が潜んでいるとする記述のあとにあるもので、《天才の証明》が鮮やかであればあるほど、《論理》は意識されず、外部にある《「あるものはある」の「明白さ」》も不必要になるということのたとえとして書かれているものです。けれども、私にはこのたとえが「ホークスの天才」についての記述にとどまらないものであるように思えます。これは映画を見るという行為についてのたとえにもなっていないでしょうか。「たとえばある映画を見て、その映画の形式を美しいと感じる人もいれば、その映画のある映像に何かの表象を見る人もいるだろう。だが、その映画と〈これは映画である〉という同語反復的な断言との関係において論理を見いだす人は案外少ないのだ。それはあるようでないが、またないようである」といったふうに……(ちょっと無理はありますが)。そして、安井豊作さんはひとつひとつの映画を、その映画と《あるものはある》という断言、映画は映画であるという断言との関係において見ている人、その間に潜んでいる《あるようでないが、また、ないようである》ものを見いだそうとする人なのではないかと思うのです。

豊作さんは「あるものはある」以外の文章でも、《あるものはある》という同語反復を何度も繰り返します。それは《ゴダールの宇宙》とも呼ばれています(《ゴダールの宇宙は「それはそうである」という同語反復的な断言命題でしかない》)。「あるものがある」も含まれるこの本の第一章はそのまま「ゴダールの宇宙」と題され、この《あるものはある》《それはそうである》という同語反復的な断言命題に貫かれています。さらに、「ゴダールの宇宙」の前に位置する序章でも、小川(紳介)プロダクションの後期作品を《「それがそうであるという同語反復を証明するために費やされた壮大な」記録(ドキュメント)》だと書いた文章があります(「シネマへ、そしてシネマ以前へ」)。また第三章に収められた、豊作さんがヴェンダースに次いで多くの言葉を費やしでいるだろうラース・フォン・トリアーの映画についての論考にはこのようなことが書かれています。《(前略)つまり映像の実体・内容・意味・被写体に微妙な差異を見いだそうとするよりも、むしろそのような差異を同じものとして解消してしまうことによってしか、「ないものの存在」である映像は知覚されない》、《もし映画の存在論があるのだとしたら、それは映像を解消し、そこに実体(レファレント)を見いだそうとすることではなく、その逆なのだ。「ないものの存在」を知覚する「抽象力」(マルクス)が必要とされる》。そして、第二章「アメリカのシネマと構造」に出てくる《キャメロンの時代》というテーゼや《すべての黒人映画は同じひとつの物語を語っている》といった定義も、《差異を同じものとして解消してしまうこと》から生まれたものであるように読めます。こうして《ゴダールの宇宙》に導かれて本書を読み進めると、「シティ・ロード」の星取表の五つ星評価で、豊作さんが常に星ひとつか五つかのどちらかで採点していた理由も、ただの天の邪鬼では片付けられなくなるでしょう。なぜならば、それもまた映像(の実体・内容・意味・被写体)の差異を同じものとして解消することによって、「ないものの存在」である映像を知覚しようとする実践であったはずだからです。

さて、すでに依頼された字数を大幅に超えてしまっているのですが、最後に『ないものの存在』という本を書いた田中小実昌さんのことに、豊作さんが小実昌さんの本について書いていることに触れておきたいと思います。「あるものはある」を初めて読んだ一、二年後だったでしょうか、私は初めて豊作さんにお会いしました。その時、私は豊作さんが「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」で書かれていた小実昌さんの追悼文(「田中小実昌追悼」)がとても好きだということを話しました。私はなぜその追悼文が好きかを伝えようとして、「だって小実昌さんの文章と同じだから」というようなことを言った憶えがあります。あれから十年がたった今、『シネ砦 炎上す』を読みながら、私はそのことを思い出していました。あの時、私は「田中小実昌追悼」という文章を指して「小実昌さんの文章と同じだ」と言いました。しかもそれはその文章に書かれていることというよりも、ほとんど小実昌さんの文章の引用でつくられたその文章の文体や書かれ方を見て言ったことだったように思います。しかし、『シネ砦 炎上す』を読んで、私は自分が「小実昌さんの文章と同じ」であることの真意を理解しないままその言葉を発していたことに気付きました。あの追悼文は、文体やその書かれ方だけでなく、そこに書かれていることも「小実昌さんの文章と同じ」でした。そして、小実昌さんの本について書いた文章に限らず、豊作さんの文章には小実昌さんの文章にあるものと「同じもの」があるのではないでしょうか。少なくとも私はこの『シネ砦 炎上す』を小実昌さんの本と「同じもの」として読んだのです。豊作さんは「映画の本」と題して(なにか映画の本を紹介して書いてほしいという依頼だったのでしょうか)、小実昌さんの『カント節』のことを書いています。そこにはこういう文章がありました。《「映画を見た」という経験も、「見た映画」があるという実感も、少しくらい「どういうことか」と考えてみてもいいだろう。映画とは、カントのいう物自体みたいなものかもしれないのだから》。

なんだかよくわからない文章になってしまいました。『シネ砦 炎上す』という本のことをよくわかっていないということでしょうか、それとも『シネ砦 炎上す』についてどう書けばいいかをわかっていないということでしょうか。たとえそのどちらであったとしても、よくわからないなりであっても、私はこの本について書きたかったのです。なぜなら私は豊作さんの本や小実昌さんの本から、すぐにわかるものはつまらないことを教わったのですから。

マチュー・アマルリック

シネ砦 炎上す

安井豊作 著
A5判・上製・406頁
2011年12月20日発行
以文社
定価 3,990円 (税込)