2004/1/4(sun)
『阿修羅のごとく』森田芳光

 

 

4姉妹のうち3人は、過去の森田作品で主演を飾った女優たちである。それを、スタジオ全盛時代を経験しているヴェテラン俳優たちが支えるという編成である(本作は仲代達也と八千草薫が、『模倣犯』(02)では山崎努)。いわばここ10年の「森田組」の華がそろったというわけだ。
物語の舞台は昭和54-55年。時代考証は微細なところにまで施されていて、電話ボックスには黄色い電話器、食卓の牛乳パックは森永の懐かしいデザイン、そして居間にあるTVは木製の箱形だ。では、屋外に広がる風景を見てみよう、とすると、それがない。べつに厳密な歴史的再現云々を指摘したいわけではないから、そこに何が映り込んできてもかまわないのだけれども、選択と排除の意志でフレームが埋め尽くされているのがわかる。杉並区の路地の奥行きは上り坂でふさがれていて、浮気現場の公園は木々で囲われている。花やしきのシンボルタワーや鳳名館別館がフィルムに映ったのも、それが東京のささやかなモニュメントだからというより、「いまも変わらぬもの」によってフレーム内を安心させたかったからではないだろうか。
明確な時代設定のなかで昭和54-55年の徹底した内部空間を作るわけでなく、またその外部も映らないこのフィルム。同じようなことは他のフィルムにもあるとか、24-25年前は再現するような過去ではないとか、そういったことはここでは問題にならないだろう。つまり、森田にとって昭和54-55年とは1979-80年なのである。このときすでに自主映画監督であった森田の、とりあえずの結節点をつくっていたのが他でもないこの2年間だったのである。それ以前に『水蒸気急行』(76)『ライブイン茅ヶ崎』(78)などを8mmで撮り、その後『の・ようなもの』(81)で彼はいきなり35mm処女作を撮る。フィルムの幅が変わっても、そこに映っていたのは間違いなく同じ時間の東京だった。都心の国鉄、深夜の歌舞伎町、川向こうの下町。フィルムはすこぶる活き活きと都市の空気を呼吸していた。
もうすでに、あのように東京を見る眼は失われてしまったとつぶやいて、『阿修羅』は1979-80年の東京を見つめる。この作業はきわめて倒錯的だが、しかし森田はなおも冷静だといえよう。彼はこの2年間に監督とキャメラマンの兼任をやめていて、『の・ようなもの』では監督の眼とキャメラのレンズのあいだに距離が生まれた、それを森田は自覚しているだろうから。8mmキャメラを手放した彼は、文字通り世界に飛び込む必用がなくなっていった。そしていま彼は倒錯的に「Paradise Lost」を宣言した、これは言い過ぎではないだろう。

(衣笠真二郎)

 

2004/1/3(sat)
『A Talking Picture』マノエル・デ・オリヴェイラ

 

 

船出を飾るエンリケ航海王子の像やアクロポリスの神殿やピラミッド、イスタンブールの港で船を迎えるホテルの直線的な矩体と色彩。移動と時間が積み重なれば積み重なるほど、被写体は単純な幾何学的図形に還元されていく。それはオリヴェイラ自身の歩みにも重なるなどとも言えそうだが、だとすれば彼自身が「長生きする事がそれほどめでたい事だとは思わない」とつぶやいていたような意味でのある種の憂鬱が、目に映るものの持つ途方もない明証性の裏にへばりついている。それは達観とは違う。
船の舳先が海を切り裂いていく、しぶきを上げる波で画面を横切る斜線が、その都度異なる形に乱れる。港からの引きのショットでは荒れ狂う海で船がぐらりと揺らぐ。この極めて不安定なものたちをオリヴェイラは完全に強固な形象に変えてしまう。それを支えているものはタイトルの通り「Talking」なのだが、しかしそれは聞き手のわかる言葉で語る、あるいはわかってもらえるように話す、そういう個人の能力や技術によってもたらされているのではない。各々が違う言葉で語りなおかつ各々がそれを理解可能である、という船上に展開されるつかの間のユートピアは、会話の主導権を握っている話者の言語能力ではなく、聞き手によってこそはじめて生まれる。この決定的な断絶を乗り越えて強固な関係を築いたうえで――それ自体が辿り着くことが極めて困難なものであるにもかかわらず――オリヴェイラはいとも簡単にそれを崩壊せしめる。
イレーネ・パパスの歌と同じ位に果てしなく爆発がリフレインする。絶望に限りなく近い。だが、彼女の歌は永遠に続くかに思えた爆音の後にもまだ響いている。沈みゆく船の上で、新たな船を建てねばならない。

(結城秀勇)

 

2003/12/23(tue)
『ブラウン・バニー』ヴィンセント・ギャロ

 

 

ここにはギャロの肉体しか映っていないのだと、貧しい風景しか映っていないだと言われればそれはそうかもしれないのだが、そこに反論するよりもまず、いかに映っているかということを考えてみようと思う。こう言うとき、私の頭にはいくつかのショットが思い着いているが、何よりもまず冒頭のモーターレースのシーンがその後展開される事柄の多くを語っているのではないか。
250ccのレーサーであるバドは、まず東海岸はニューハンプシャーで、あるレースに参加する。そこで5分かそれ以上か、サーキットの中をぐるぐる回るバイクを延々目にすることになる。その間、私は木の周りをぐるぐる回ってバターになってしまうトラのことを考えている。しかし速度より、その時間だけが意識される回転運動に巻き込まれるうちに、バターになって溶けてしまうのはトラではなくその背景の方なのだと気付く。
ジャン・エプスタンはこのように言ったそうだ。「時間の加速は事物に生命と精神を与える。鉱物は成長し始め、植物は動物化する。反対に、時間の減速は事物を壊疽にかからせ、物質化する。例えば、人間の形象から精神が奪われる。眼差しからは思考が消え、身ぶりからは意志や自由をあらわすぎこちなさが奪われる。人間全体がもはや滑らかな筋肉の塊に過ぎなくなる。さらにもっと減速すると、あらゆる生物がもとの粘性に戻り、生来のコロイド状の本性を表面に浮き立たせるのだ」。
そして何もなくただただだだっぴろいレース場を突っ切って走るバイク。あるいは整備のために回転数だけを限りなく上げるバイク(このシーンを、モーターもこちらの鼓膜も灼けつくまで見ていたかった)。モーターの回転数は速度をあげてその形象を変化させてしまうか、速度には全く変換されず行き場のない轟音に変質するか。速度と形象の相関関係は、直に時間への思考に誘う。時間についてのこのフィルム、まさにセルロイドの光と時間による変質(それが緻密なデジタル加工を施されているとはいえ/いるからこそ)を見続けていると、焦点が合っているのは運動するギャロなのか、動かない背景なのか、93分間のあいだに次第に曖昧になってゆくのだ。

(結城秀勇)

 

2003/12/18(thu)
『ラスト・サムライ』エドワード・ズウィック

 

 

二つのよく似通った映像がある。一つは、トム・クルーズが何度も思い起こす映像である。騎兵隊の襲撃によって殺されていくネイティブ・アメリカンたちの姿が、青白い光の中、スローモーションと映像処理によって“幻想的”に映し出される。これは明らかに回想シーンであり、トム・クルーズ自身かつてその光景の中に、襲撃する側として参加していた。この映像が彼の目の前に浮びあがる度、彼は苦々しく顔を歪め酒へと溺れていく。もう一つ、渡辺謙が一度だけ見る映像がある。映画の導入シーンで、独り座禅を組む渡辺謙の脳裏に浮かぶそれは、前者とは打って変わって不明瞭である。青白い光の中、スローモーションで動く人々の姿は、トム・クルーズの回想シーンと何らの変わりはないが、そこに映し出された人々が何ものなのか、現実に起こったことの回想なのか、虎の絵が描かれた旗を振る人物は誰なのか、彼自身はそこに参加しているのか、全てがあいまいなまま、渡辺謙の見開いた瞳によってこの映像は完結する。トム・クルーズが助けられるのは、旗を振り回しながら数人の男たちに向かっていく姿が、渡辺謙の見た映像と一瞬だけ一致したからである。何故助けたのか自分にもわからない、と渡辺謙自身語っているように、この映像を言葉によって語ることはできない。ロマンティシズムやヒロイズムに満ち溢れたいくつもの言葉は、出来事の核心をかすめ取ることしかできない。ただ一つの映像、その存在すら曖昧なままの映像によって、二人は引き合わされる。
トム・クルーズが言葉によって戦争を語る時、それは自分達の多くの仲間たちが(上官のせいで)殺されてしまったことを指す。しかし、映像の中での戦争は、自分達の手によって死んでいくネイティブ・アメリカンたちの姿である。彼の軍人として感じているらしい絶望・後悔の要因がどこにあるのかよくわからないままなのは、彼が示す言説としての戦争と、映像としての戦争との間に、大きな隔たりがあるからだ。大村の送った刺客達に囲まれた時、彼は新たな回想シーンを見ることとなる。だが、それはかつてあった戦いの映像ではなく、たった今起きたばかりの戦いである。数人の男達に囲まれながら、一人で男達を切り倒していく様子を、一旦通常のスピードで見せた後、まったく同じシーンをスローモーションによって繰り返す。そして、再び現実のスピードへと引き戻された瞬間、彼は数人の死者たちを目にすることとなる。現在と過去が限り無く一致してしまった時、トム・クルーズにとっての戦争は、過去から現在へと移行する。
真田広之の戦う姿は、何の感慨をも引き起こさない。弾が腹を貫通しようとも、変わらぬ顔で馬にしがみつき、そして知らぬ間に転がり落ちる。全ての者たちの死が、何らかの意味やロマンティシズムに結びついている中で、彼の死だけが、ただ彼自身の死として扱われる。誰かをかばって死ぬのでもなく、最後の言葉を残すのでもなく、ありのままに当然のように死んでいく。『ラスト・サムライ』の本当の終戦は、渡辺謙の切腹によって引き起こされるのではなく、トム・クルーズの潤んだ瞳によってもたらされるのでもない。戦いは、何時何処でそうなったのかすらわからない、真田広之の死によって終わったのだ。映画の語り手でもあるアイルランド系のジャーナリストは、荒野にできあがった空間を背にし、カメラを抱えたまま一人山を降りていく。そこにはもう見るべきものは残されていないのだ。

(月永理絵)

 

2003/12/16(tue)
『珈琲時光』ホウ・シャオシエン

 

 

有楽町朝日ホールでの上映が終わって外へでたマリオンの向かい、格子模様の窓ガラスの喫茶店がふと目が留まる。もしかしたら、と心の中で呟きながらよくよく目を凝らしてみると、どうやら間違いないようだ。急な勾配の階段を昇りいそいそと店に入ると、そこには、見終えたばかりの『珈琲時光』で陽子(一青窈)と肇(浅野忠信)が訪れた喫茶店があるではないか。道を尋ねられて心和むリアクションを見せたマスターがいる。壁には、もう冬だというのに、映画そのまま、アイスコーヒーのポスターが張ってある。珈琲を一杯頼んで、二日間の小津シンポジウム、そして今見たばかりの『珈琲時光』についてしばし語り合う。そして、帰途につき、山手線から併走する京浜東北線の方を見遣ると、二つの列車ですれ違う一青窈と浅野忠信のことが思い出される。そう、今先ほど見終えたばかりのフィルムは、間違いなく、ここ東京で撮影されたのだ。
そう断言した端から、ふと一つの違和感が頭をもたげてくるだろう。あれは、本当にこの東京で撮影されたのだろうか。「8月2日、長野県上田にてクランクインした本作は、高崎、東京での撮影を経て、9月26日クランクアップ」、配布されたパンフレットには確かにそう書いてある。けれども、あそこにあったのは、本当に八月の強い日差しの東京なのだろうか。『フラワーズ・オブ・シャンハイ』や『ミレニアム・マンボ』、最近ではとりわけ田壮壮の『春の惑い』で、繊細な室内の光を捉えて見せた、李・屏賓はここでもまた、陽子の部屋や幾つかの喫茶店、肇の営む古書店、上田の実家などで抑制されつつも繊細なニュアンスに富んだ室内の光を映し出してみせる。遠く稲妻の音が鳴り響き、時に夕立さえ降り、それは確かに八月の東京の光景なのだけれど、それらは、とても自然に室内の仄かに暗い空間とつながって行く。冒頭に映し出される一両だけの列車が通り過ぎてゆくのを、仰角で捉えるそのショットに確かに空は写っているけれど、張り巡らされた電線にさえぎられ晴れやかに広がる印象はない。先に列挙した室内空間と、列車を使って移動する場面が大半を占めるこの作品において、それらあたかもはつながっているかのようだ。
前作『ミレニアム・マンボ』では、台湾の現在の若者は、トンネルのように先の見えない水平な通路のような時間の中を必死に駆け抜けてゆくかのような存在として、映し出されていた。(4月25日の記事を参照してください。)外の風景や自然の光は制限されて、代わりに、ブラックライトや間接照明などの人工的な照明が出口のない通路のような閉塞感を醸し出していたのだった。そして、『珈琲時光』では、東京の若者たちは、電車に乗り込んで移動を繰り返す。中央線や中央線快速などの列車がすれ違ってゆく御茶ノ水駅を俯瞰で収めるショットは、無数の列車がまっすぐ突き進みながら、時に交錯し、併走し、すれ違う様を一つの縮図として映し出す。鉄道マニアの肇は、列車に乗り込んでどこへ行こうというのだろうか。彼は、小さなガンマイクを手に列車に乗り込んで、アナウンスの音や電車の立てる音を録音してゆく。彼には予め目的地など分かってはいないのだ。必死にアナウンスや周囲の音に耳を凝らしながら、目的地の分からない不確かな「現在」にひしと寄り添い、進むべき道を模索する。江文也という作曲家の調査をする陽子もまた自分の未来がわかっているわけではない。電車の中でいつの間にか眠り込んでしまった陽子は、目を覚まし伸びをすると、偶然同じ車両に乗りこんだ肇が電車の音を録音しているのを見つけて、微笑みをうかべる。やがて、降車した後も駅のホームで録音を続ける肇の傍らに、陽子は佇むだろう。問題は何も解決されず、宙吊りのまま。それは、まさに「珈琲時光」というべき束の間の気分転換のための、脆い時間でしかないかもしれない。『ミレニアム・マンボ』の夕張の光景のように、束の間トンネルに洩れいる光のようなものかもしれない。けれども、そこにある電車の音に耳を凝らす二人にとって、それはとても力強く大切なものでもあるはずだ。彼らは、頼りない「現在」にひっしとしがみつきながら、前へと進んでゆく。
やはり、これは東京の風景なのだ。わたしたちが、今、生きている東京なのだ。今という時間にひしと寄り添う耳と眼差しを教えられたわたしたちは、もうそれまでとは違った眼差しでこの都市を見つめ始めていたのだった。

(角井誠)

 

2003/12/13(sat)
『エレファント』ガス・ヴァン・サント

 

 

フィルムが始まって驚いたこと──このフィルムはスタンダード・サイズで撮影されていることだ。いったいなぜスタンダードなのだろうか? アメリカ映画のほとんどはヴィスタかスコープで撮影されることが強制されていると言ってよい。あえてスタンダードを選択されたことは、ガス・ヴァン・サントの何らかの強固な意志の反映以外のなにものでもないだろう。
ステディ・カムは常に登場人物の背後に留まる。前方へとまっすぐに延びた廊下を人々は歩き、友人と出会い、廊下の真ん中でどうでもよい対話をする。何度か同じ時刻が反復し、別の人物の背後にいるステディ・カムは、それぞれの人物を等価に扱う。少しずつ視点がズレているが、それぞれのショットに重さの差異はない。高校生たちが等価に扱われている限り、私たちの眼差しの代わりをするステディ・カムが垣間見せる世界は、高校生たちの内部に忍び込むことはあり得ず、ひたすら外部に留まるだけだ。映画の示す世界が内面化されることなどあり得ない。高速度撮影された空と雲──『ドラッグストア・カウボーイ』『マイ・プライベート・アイダホ』のガス・ヴァン・サントのフィルムには何度も見られた特徴だった──が決して登場人物の内面の象徴ではあり得ないように、直後に起きる惨劇の伏線も原因もこのフィルムからは何も伝わってくるはずがない。
コロンバイン高校の惨劇についてはすでに映画の題材になったことがある。だが、『エレファント』は告発することもせず、物語を語ることもせず、静かに息を潜めて「事件」を再現するだけだ。多くの人々が事件に出会うからには、多くの人々がその事件のあった一日をどのように送っているのかを「再現」することでしか、「事件」の「再現」は不可能だ。フィルムを見る者は、「わたし」はこのフィルムに登場する「彼」ではない──「彼」や「彼女」に似ているところはあるにせよ──、絶対に同一化できない距離を感じる。惨劇の強度が無限大になるのは、そこに絶対的な距離があるからだ。
ダルデンヌ兄弟の『ロゼッタ』も主人公の背後に常にカメラがあり、ジャン=マルク・ラランヌは、それを「身体に埋め込まれたカメラ」と表現したことがあったが、あのフィルムで重要なのは、ロゼッタの眼差しに映った「世界の相貌」だったのに対して、『エレファント』に見える世界は、絶対的な距離が、その世界への参入を拒んでいるが故に、無機質なままだ。
かつて自然主義演劇の理論家にして実践者だった近代演劇の父アンドレ・アントワーヌは「第4の壁」理論を唱えた。三方を壁に囲まれ、その一方だけが客席に開かれている舞台を見る観客は、透明な「第4の壁」を通じて世界を眺めているのだ。それが彼の理論の要旨だった。『エレファント』のスタンダード・サイズに切られた映像は、「第4の壁」と同質のものだろう。

(梅本洋一)

 

2003/12/12(fri)
『ミスティック・リバー』クリント・イーストウッド

 

 

集合住宅から駆け出した3人の子供たちが、閑散とした道路で遊び始める。攻撃側と守備側に別れ、スティックでボールをコントロールする。ホッケーだ。少年のひとりが思い切り打ちつけたボールが、勢いよく転がり、歩道脇の排水溝へ吸い込まれていく。
子供たちにとってきわめて日常的な一連の出来事が、しかし決定的な事件になり得ることを、イーストウッドはこの冒頭で簡潔に、はっきりと示してみせる。暗く、腐臭の漂う“RIVER”は、常に彼らの足元を流れていて、いったんその流れに落ちてしまえば脱出することは不可能なのだ。それは誰にとっても当てはまる真実で、誰にもその真実を拒否することはできない。『MYSTIC RIVER』は、その流れに落ちヘドロに塗れながらもがく3人の男たちの映画だ。彼らはそれぞれの方法で“RIVER”に抵抗しつづける。その流れは全体的には一方向にしか向いていないが、局地的には渦を形成し、逆流もする。そこから脱出することはできなくとも、それでももう少しだけマシな場所を目指して、彼らは酒瓶とサングラスを身に付けて流された距離を挽回しようと努める。
同時に『MYSTIC RIVER』は、足元の“RIVER”をいまだ知らない子供たちの映画でもある。彼らは微かに漂う腐臭と底なしの暗さを感じながら、閑散とした道路で遊ぶ。父から与えられた車とスティックとバットと拳銃を手に。そして唐突に事件は起きる。彼らもまた流れに落ち、ヘドロに塗れるだろう。
あるいは『MYSTIC RIVER』は、“RIVER”に頭までどっぷりと浸かった3人の女たちの映画だといえる。彼女たちは流れに逆らおうとはしない。“RIVER”の腐臭を胸いっぱいに吸い込み、その暗闇をじっと見つめ、流れの音に耳を澄ます。そして卒然と「流されてしまえばいい」と宣言する。渦があるなら巻き込まれればいいし、逆流するならそれもよい。もし「もう少しだけマシな場所」があるのなら、それはヘドロだらけのこの場所だ。ある者は力強く、ある者は遠慮がちに、ある者は音にならない声で、そう言い放つ。
仮の終わりでしかないこの映画の終わり、閑散とした道路にもうひとつの流れがつくられる。パレードだ。男たちは流れを通り越して、サングラス越しに対岸をみつめている。子供たちはある者は楽しげに、ある者は浮かぬ顔で、流れに身を任せて動いていく。女たちはその流れを見つめ、賑やかな音を聞きながら、やがて流れに沿って動き出す。流れに落ちた子供を追って、力強く、遠慮がちに、音にならない声で、叫びながら。カメラはそれに同調するように動き、突然、箍が外れたようにそのスピードを増すと暗闇に向けて突進する。
今回、イーストウッドがカメラを置いたのはそうした“RIVER ”の中だ。『MYSTIC RIVER』を内幸町の試写室で見た後、僕は有楽町の駅に向かって日比谷通りを歩いた。人気のない日比谷公園脇を歩きながら、耳の奥にはずっと流れていく子供を呼ぶ母親の声が聞えていた。そして、自分が歩いているのが日比谷通りではなくて、『MYSTIC RIVER』の閑散とした道路のように感じていた。

(志賀謙太)