4姉妹のうち3人は、過去の森田作品で主演を飾った女優たちである。それを、スタジオ全盛時代を経験しているヴェテラン俳優たちが支えるという編成である(本作は仲代達也と八千草薫が、『模倣犯』(02)では山崎努)。いわばここ10年の「森田組」の華がそろったというわけだ。
物語の舞台は昭和54-55年。時代考証は微細なところにまで施されていて、電話ボックスには黄色い電話器、食卓の牛乳パックは森永の懐かしいデザイン、そして居間にあるTVは木製の箱形だ。では、屋外に広がる風景を見てみよう、とすると、それがない。べつに厳密な歴史的再現云々を指摘したいわけではないから、そこに何が映り込んできてもかまわないのだけれども、選択と排除の意志でフレームが埋め尽くされているのがわかる。杉並区の路地の奥行きは上り坂でふさがれていて、浮気現場の公園は木々で囲われている。花やしきのシンボルタワーや鳳名館別館がフィルムに映ったのも、それが東京のささやかなモニュメントだからというより、「いまも変わらぬもの」によってフレーム内を安心させたかったからではないだろうか。
明確な時代設定のなかで昭和54-55年の徹底した内部空間を作るわけでなく、またその外部も映らないこのフィルム。同じようなことは他のフィルムにもあるとか、24-25年前は再現するような過去ではないとか、そういったことはここでは問題にならないだろう。つまり、森田にとって昭和54-55年とは1979-80年なのである。このときすでに自主映画監督であった森田の、とりあえずの結節点をつくっていたのが他でもないこの2年間だったのである。それ以前に『水蒸気急行』(76)『ライブイン茅ヶ崎』(78)などを8mmで撮り、その後『の・ようなもの』(81)で彼はいきなり35mm処女作を撮る。フィルムの幅が変わっても、そこに映っていたのは間違いなく同じ時間の東京だった。都心の国鉄、深夜の歌舞伎町、川向こうの下町。フィルムはすこぶる活き活きと都市の空気を呼吸していた。
もうすでに、あのように東京を見る眼は失われてしまったとつぶやいて、『阿修羅』は1979-80年の東京を見つめる。この作業はきわめて倒錯的だが、しかし森田はなおも冷静だといえよう。彼はこの2年間に監督とキャメラマンの兼任をやめていて、『の・ようなもの』では監督の眼とキャメラのレンズのあいだに距離が生まれた、それを森田は自覚しているだろうから。8mmキャメラを手放した彼は、文字通り世界に飛び込む必用がなくなっていった。そしていま彼は倒錯的に「Paradise
Lost」を宣言した、これは言い過ぎではないだろう。
(衣笠真二郎)
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