パリ日記/藤原 圭祐 (2/20〜2/25)

2月20日(水) パリ到着


 目を覚ますと窓の下には雪の残る大地が広がり、地平線には太陽が沈もうとしていた。瞬間、自分がどこにいるのかわからなくなり軽いパニックに陥るがすぐにモスクワ経由パリ行きの飛行機に乗っていることを思い出す。そうだ、今日は朝まで飲んでいた後リュックに荷物を詰め込み、時間ぎりぎりの電車で成田にたどり着いたのだった。飛行機に乗り込むと同時に意識を失い、ほとんどの時間眠りこけていた。どうやら着陸態勢に入るため起こされたらしい。今度はファーストクラスに移らなくてもよいとの事。というのは離陸の時になぜかわからないがエコノミー座席後部の乗客はファーストクラスに移されるということがあったのだ。もしかして席が余ったから座ってていいのかな、なんて甘い期待はもちろん裏切られ、離陸が済むと元のエコノミーに戻された。この飛行機、チェックインの時に喫煙席しか空いていないといわれたときも驚いたが、座席上部の棚を空けると業務用品がいっぱいで荷物を入れられなかったりと今まで僕の中にあった飛行機の常識を片手で覆してくれる。
 やけに薄暗いモスクワ空港でのトランジットを経て、数時間でパリ、シャルル・ドゴール空港に到着。教科書に載っているような愛想の無い入国ゲートを通過し(愛想のある入国管理者なんていないのだろうけど)長いエスカレーターを上る。すでに夜10時を回っているので人が少なく、閑散とした空港を歩いていると『ラ・ジュテ』を思い出す。RERを探していると同年代の日本人に話し掛けられ一緒に駅に向かう。話を聞くと彼、オガワ君も貧乏旅行を始めるところでホテルを用意していないため今からユースを探すらしい。誘わない理由も無いのでよかったら俺の部屋においでよと誘う。申しわけなさげだが一緒にいくことになった。Gare De Nordまでの切符を買う。汚いおっさんがタバコをせがんでくるが無視。電車に乗るといきなりゲロがぶち撒かれているので気がめいる。
 空港からの眺めはパリの町並みからは程遠い、ビルと企業の看板の夜景が続く。何処かで見た風景に似ているな、と思っていたらやはりそれもバンコクの空港から市内に向かう高速からの夜景に似ているのに気づく。郊外の風景が中心部に近づくに連れだんだんと文化的特徴を帯びてくるのを眺めるのって割に好きだ。
 予約していたホテルはGare de Nordのすぐそばだった。果たしてオガワ君は中に入れるだろうかと心配するが知らんぷりしていると簡単にフロントを通れた。部屋は日本のビジネスホテルと同じぐらいの広さだ。疲れているので二人ともすぐに寝る。けれどもやはりシングルのベットに二人だと狭い。

2月21日(木)  パリ横断


 朝食を済ませ荷物をまとめていると、あろうことか地球の歩き方・パリと格安ホテルの住所を書いたメモを忘れていたことに気づく。今日泊まった二つ星クラスにならば市内のいたるところにあるのだが金銭的にそんな余裕は無い。自力で一つ星以下のホテルを探さなければならなくなった。
 途中オガワ君と別れ、第一候補のホテルがシテ島にあった(はずだ)という記憶を頼りにメトロでCiteに向かう。ノートルダム大聖堂まで歩いた段階で安ホテルがありそうな気配がまったくしないので、シテ島ではなくサン・ルイ島の間違いだったかなと思いそちらに向かう。しばらく島内を歩き回るが「手がかりなしに唯一のホテルを見つけ出すのはどう考えても不可能」と判断を下しカルチェ・ラタンに向かう。学生街なら安宿もそこら中にあるだろう。
 セーヌ川を渡り、ひたすら裏路地を歩き回るがあるのは二つ星ホテルばかりでやっと見つけた一つ星も35Eするので今後のことを考えるとかなり苦しい。まだ詳しい地図を買っていないので自分がどこにいるかも把握していないままさまよっていると白くてでかい神殿らしき建物の前に出た。どうやらこれがパンテオンらしい。その後さらに歩き回るが一向に見つからない。右も左もわからない街で、いよいよ疲れと空腹は大きくなるばかりだし今夜泊まるところも見つからないし泣きそうになってくると、ふいに賑やかな商店街みたいな路地に出た。その路地にあるホテルに入ってみるとなんとオガワ君がいるではないか。聞くとここはドミトリー方式だがなんといっても安い。即決。チェックインまでは時間があるので荷物を預けオガワ君とパリを歩くことにする。
 自然博物館の前を通り、パリ6.7大学、ノートルダム大聖堂を経てポン・ヌフ、ルーブル、コンコルドとひたすら歩く。そのままシャンゼリゼを凱旋門まで歩くとさすがに疲れてきた。パリ市観光案内所に行って簡単な地図をもらい勢いでエッフェル塔に向かう。塔の2層目にあたる展望台までは歩いて上がれるので力を振り絞って登ってみる。2層目はまだ半分の高さだがそれでもパリを一望できるほど高い。パリでは一般の建物の高さが制限されているためランドマークがよくわかる。最上階にも興味はあるが帰国の前日にパリの締めくくりとして登るために残しておくことにする。それはおよそ一ヵ月後、無事にここに帰ってきておなじ眺めを観ることができるだろうか。
 Trocaderoまで足を引きずりメトロでホテルに帰る。泥のように眠る。

2月23日(土)  カタコンブ


 バスティーユにあるホテルに移った。ここは雰囲気がよく近くにお店も多くて便利だ。やっと満足できるホテルが見つかった。荷物を置いて上機嫌で出かける。まずは自然博物館に向かう。もちろん徒歩。気分がよいとパリの町並みも映えて見える。自然博物館のある公園にはいると親子連れやジョギングの人たちをちらほら見かける。異様に背の高い樹が一直線に植えられていて風景が遠近法で作られている。
 公園に入りすぐの建物も博物館らしいので入ってみると、いきなり部屋の中から白い光があふれてくる。あらゆる動物の骨が入り口に向かって行進している。どうやら骨格専門の博物館らしい。窓から入ってくる光が骨に反射して部屋全体がなんだか白っぽいのだ。ここは古生物学館というらしい。骨ってよく見るととてもきれいで機能的だ。小型の魚類の骨など精巧なプラモデルみたいに小さな部品が集まって構成されている。
 そして自然博物館へ。ここは暗めの照明で何といってもかっこいいのだが説明がフランス語なので面白そうな展示もいまいち把握できない。一通り周って外に出ようとするとかなり強く雨が降っている。しばらく雨宿りしていると猛烈に腹が減ってきた。よく考えるとパリについてからろくなものを食べていない。素のフランスパンやチョコレートや林檎などで空腹を紛らわしていた。サンドイッチだってまだ食べていない。よし、一発Cafeに入ってやろう、と決心すると雨がやんだので出発。
 歩きはじめるとまたすぐに雨が降り始めたので目についたCafeに入る。ギャルソンは初老の男性。渋い。さしあたって体がビタミンを欲しているのでチキンサラダとレモネードを注文する。文句のつけようが無いくらいおいしい。おじさんに道を聞いて店を出る。次の目的地はカタコンブ。古代の共同墓地だ。
 ガイドブックにも大きく取り上げられていないし、すいているだろうと思っていたら以外にもフランス人が多く行列ができている。本格的なパンクの男女三人が僕の前にいて「あひょー」とか「わひゃー」と叫んでいる。螺旋階段を下りて地下道をしばらく歩くと通路の両側に骸骨が積み重なっている。パンクの三人はますます盛り上がってきた。説明はもちろん読めない。18XXとかルイXX世など比較的新しい数字が多いのと戦争中にレジダンスの基地として使われていたことは辛うじてわかった。柵で隔たれたわき道は完全な暗黒。久々に暗闇に恐怖を覚え、光をまったく持ってこなかったので今事故がおきると俺も骸骨になっちゃうななどと考えているとなぜか一人ぼっちになっていた。さっきまでたくさんいた観光客の姿が見えない。一人になるとここって結構怖い。天井からたれてきている水の音が何か気配を作り出している。何か出てきても怖いし何も出てこないのも怖い。
 地上に出るとやはり空気がおいしい。今日は骨尽くしの一日だった。市場を物色してホテルに向かっていると「あ、やばいな」と思うほど疲れが襲ってきた。適当に夕食を済ましてすぐに寝る。熱があるみたいだ。

2月24日(日)  かぜ


 夜中にのどが渇き目がさめる。体の調子が悪い。間違いなく熱がある。朝になっても依然回復していない。連日歩き続けたのとろくに食事をしていないのがたたったみたいだ。部屋で寝ているのも癪なので無理をしなければそのうち直るだろうと決め込んで出かける。今日は日曜なので教会ではミサが行われていると聞き、ノートルダム大聖堂に向かう。
 前を何度か通ったが中に入るのは初めてだ。しばらく椅子に座りミサを聞くが全員が起立しての合唱が始まった。賛美歌を歌えるはずもなく居心地が悪くなって席をはずす。美術館をまわる力も無いので映画を見に行くことにする。パリスコープを買ってアラブ系の店に入りケパブを食べつつ映画を調べる。始めは読み方がわからず苦労するがだんだんと理解してくる。数多くの映画が上映されていてしかも曜日はおろか時間によってプログラムが違うのでスケジュールは綿密に立てなければならない。今日上映されているもので力を抜いて見られるものという条件で『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』を見に行くことにする。音楽を聴いてゆっくり座っていれば調子もよくなるだろう。とりあえず映画館にいってみることにする。地図はまだ買っていない。むしろメトロの駅に周辺の地図が張ってあるので買わなくてもよいのではないかという気がしてきた。
  ST Michelにある映画館はすぐに見つかった。さりとて上映時間までは時間があるのでCafeに入り時間をつぶす。Cafeではいつも一番安い「Cafe」(エスプレッソ)を飲む。エスプレッソはそのまま飲むものだと思っていたら砂糖がついてくる。初めての時、砂糖を全部入れたら甘くなりすぎてしまったので以後は砂糖を半分だけ入れて飲む。 パリの映画館では上映の10分前ぐらいからチケットの販売と入場が同時に始まる。なぜか学割が適用されない。日曜だからか?映画館では入場の時に明かりをつけたままCMを上映していて時間通りに本編が始まった。このシステムいいなあ。
 映画も終わり熱も引かないままホテルに帰る。バスティーユの駅は地下道が長い。誰もいない通路をふらふらしながら歩いていると一人の黒人が近づいてきた。 「こんばんは、ムッシュ。ユニセフですけど署名お願いします」無視しようとするとしつこく追ってくる。 「君日本人だろ、ほら日本人もサインしてあるしさ」どう見ても嘘だ。第一なんで英語で話し掛けて来るんだよ。無視すると腕をつかんで突っかかってくる 「ユニセフだって言ってんだろ。お前日本人だろ、募金しろよ。ほら見ろIDに証明書だ」と汚い自筆で書かれたカードを見せてくる。 「これはお前が自分で書いたんだろ。その証明書だってコピーで本物じゃない。放せよ」というといきなり被っていた帽子を取られた。あわてて取り返そうとするが相手の手を振り払うことができない。 「金出せよ。それとも俺とfightするか。お前勝てると思ってんのか。Fightすんだな」 するわけ無いだろ。相手は身長こそこちらより低いものの腕は僕の2・3倍太い。 「金出せよ」「いやだ」「じゃあfightするんだな」「いやだ」「じゃ金だせよ」「いやだ」「じゃ…」のやりとりが延々続く。相手から目をそらすことができない。こうなったらもう睨み合いだ。危機的状況に陥ってアドレナリンがどんどん分泌されるのがわかる。しばらく膠着状態が続く。こうなったら覚悟を決めて不意打ちを食らわせて逃げよう。それでも一発で倒せないとひどい目にあうなぁ。ナイフ持ってるかもしれないしなぁ。などと全然覚悟を決められないでいると、やっと通行人が現れたので男は去っていった。しかし、大声で何かを叫んでいる。あれは僕に対する罵声ではなくて誰かに合図を送っているみたいだ。あっ、そういえばさっきまでいかにも悪そうな黒人の集団が溜まっていたぞ。やばい、このままではフクロにされる。
 ホテルまで一目散に逃げ帰る。聞くと日曜の夜は人が少ないのでああいう輩も出るらしい。

2月25日(月)  ダリ・ポンピドゥー


 朝起きると体調は比較的楽になっているが熱の代わりに咳が出始めた。シャワーを浴びると極端に熱い湯か単なる水しか出ない。午前中はCafeで時間をつぶし、やはり今のホテルに移ってきたオガワ君とだらだらと買ってきたワインを飲みながら昼飯を食べる。彼は今日の午後からバルセロナに向かう。一緒にホテルを出て駅で握手をして別れる。そういえば別れの握手をしたのなんて何時以来だろう。今日はモンマルトル方面に足を伸ばそう。
 Abbessesでメトロを降り坂道を上がると絵描きたちがたくさんいる広場に出た。なんだかロートレックの絵みたいな雰囲気だなと調べてみるとそこはテルトル広場だった。お目当てのダリ美術館は路地の奥まったところにあり、かなりこじんまりしている。今まで知らなかったダリの作風が見れて面白い。そういえばパリでは学割システムが発達していて助かる。国際学生証を作らずにきたのだが日本の学生証で十分通じる。たまに"んー?"としかめ面をされても「マアいいわ」という感じで割り引いてくれる。「学生です」というだけで適用されるところも多々あった。
 サクレ・クール聖堂の前まで来ると景色が開けていてパリが一望できる。パリの街を見るとポンピドゥーセンターの異質な感じが浮かび上がっている。そうだ今日は近代美術館に行ってみよう。あそこは確か夜遅くまで開いているはずだ。帰り際、地図を見るとユダヤ人美術館が近くにあるのでサクレ・クール聖堂の裏側の坂を下って行ってみる。が、今日は休館日だった。無駄足踏んだ。
 OUTでマドリッド行きのチケットをとる。以前、つたない英語で散々料金やシステムについて質問したときのお姉さんが「あら、またきたのね、(ふぅ、やれやれ)」という感じで対応してくれる。マドリッドまではユーロライン(ユーロ圏を結ぶ長距離バス)でおよそ15時間の道のりになるらしい。
 ポンピドゥーに入り、最上階のジャン・ヌーベル展を見た後、近代美術館へ。ふと見るとロビーに使い込まれたル・コルビジェのソファーが無造作に置かれている。しばしそこで休憩。さすがに座り心地がよい。ガラスの向こうに見えるパリの夜景がきれいだ。
 館内を周っていると皆、平然と写真をとっている。警備のおじさんに聞いてみると、特別展以外なら写真は構わないよ、フラッシュは禁止だけどね、と教えてくれる。つまり国が所有している作品なら撮影はOKらしい。ずいぶんと懐が深いんだな。ゴダールの「(複数の)映画史」がすでに展示作品として上映されているのに驚く。
 1階に降りると映画のチケットに長蛇の列ができている。今日あたりパリに何人か仲間がきているはずなのでいないか探してみるが見つからなかった。みんな今ごろ何をしているんだろう。最後にAndreas Gursky展を見て帰る。

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