パリ日記/古川 望
2月21日(木)


 機内で仲良くなった人に切符を買ってもらい、ホテル近くの駅までつれてきてもらった。初めての外国。写真で見たとおりの風景。マクドナルドがある。カフェがある。現実感がない。浮ついた、妙な気分。でも、印象は東京に似ている。人が多いから、他人の声を気にしない。外国語が自分に入ってこない。わたしは本当にパリに来ているのか?ますます現実感がない。飛行機疲れでどこにも行かずに寝ることにする。

2月22日(金)


 朝遅く起きて出発。天気があまりよくない。地図を見ながらひたすら歩き回った。どこを歩いても同じ風景で、迷う迷う迷う。はじめてカフェに入った。カフェオレとサンドイッチを頼んだら、どっちもでかくてびっくり。オデオン座で
リュック・ボンディ演出「かもめ」を見る。まず、劇場の豪華さに驚いた。客席は別に地味でもいいだろうと思ってしまうのは、たどってきた歴史の違い?あと、マナー。こない人の席はつめてしまうのね。遅れてきた人が困っていた。芝居の中身は…恥ずかしながら、3幕途中から記憶がない。だって席が、席が端過ぎて、あまり見えなかったから。いやいや、外国語劇になじんでいないだけ。明日もう一度見に行こう。歩いて帰る。やはり迷う。近くてよかった。

2月23日(土)


 「かもめ」2回目。日本人街の本屋で日本語「かもめ」を購入し、復習して挑む。全ての人物が少しずつデフォルメされている印象。コミカル。客席から笑いが頻繁にもれる。キャラクターが鮮やかに演じられており、愛くるしい人たち。全ての行動に理由付けがされており、それがよくわかる。突拍子もない動作がひとつもない。役者が奇抜なことをやって笑わせるのではなく、劇中の人物が笑わせてくれる感じがするのは、その理由付けのせいだろうか。犬の声や鳥の声(やはりかもめか?)が小音量のSEで入る。セリフが途切れたときにそれが響いてくる。時に和やかに、時に寂しげに。全てにフラットな視線を送る。誰にも感情移入できないのはこの戯曲の特徴か、演出か。デフォルメのために劇中人物がすごく滑稽に見える。しかし、理由付けのおかげで自然さが失われることはなく、舞台上の空間に強度が加えられていた。わたしはえらく客観的に、目の前の悲劇を見つめていた。淡い色合いの舞台にピンクの大きな布がぶら下がっている。劇中劇の幕に使われていた。舞台空間の色合いがパステルカラーっぽくて、絵本の世界のようだった。これが、なんとなく幸せっぽくてなんとなく乾いた寂しさを漂わせる。それにしても、観客のマナーが悪すぎる。お前ら何しに来とんねん!!携帯は鳴らす、鼻は堂々とかむ、うろうろ立ち歩く。昨日もそうだったけど、これは気にするわたしが悪いのか?

2月24日(日)


 はじめてレストランに入って食事。恥ずかしい話だが、わたしは英語もうまくしゃべれない。しどろもどろになりながら注文。やさしい人でよかった。ソーセージのとなりについていた、ジャガイモを丸ごと煮たものがすごくおいしい。あと、チョコムースも。これは、かなり甘くて、かつ、味が濃い。ねっとりしている。日本にはない味。帰ったらきっと、この味が恋しくなるだろう。最初は客が私ひとりだったが、どんどん増えていっていつの間にか満席。パリの人たちは、よくしゃべりよく食べよく飲む。平気でワイン一本あけていたのには驚いた。レストランというより、定食屋の雰囲気だった。ガチャガチャと食器の音が聞こえ、人の声ががやがやわいわい。使われているグラスは丈夫らしく、投げるように扱っていた。大切なところとそうでないところの差がはっきりしているのだろう。今日気づいたこと。いまさらかもしれないが、街が汚い。犬の糞が、もういたるところに落ちている。においもする。つらい、つらすぎる。
「かもめ」3回目。なんだかもう一度見たくなって行ってみた。舞台上をよく人がうろうろする。劇中人物が、ゆらゆら歩くシーンが多い。そののんきさや不安定さ、間の抜けた雰囲気が、チェーホフの憂鬱か。最後のシーンも、悲劇が起きたことを夫人にどう伝えればよいか途方にくれた男が、歌を口ずさむ夫人のほうへ、とぼとぼ近づくところで暗転。のんきさ。悲しみまでいかない、憂鬱という言葉がぴったりかもしれない。

2月25日(月)


 ユシェット座。老けた人たちが、小さい小さい舞台で演じる。アンナチュラル。新しくはない。大衆向けというには規模が小さいけれど、そんなあたたかさ。職人気質を感じた。表情と動きがとにかく大きい大きい。チープチープ。悪くない。古めかしい衣装。年季の入った舞台装置や小道具。ノスタルジー?違うか。何十年も同じことをやり続けているなんて、私にはとても信じられない。なぜ続けていられるのだろう。さっぱり見当がつかない。お金もエネルギーも客も、その他いろいろ必要。一本の公演を行うことって、大変なことなのに。昼間はバスにずっと乗っていた。ふらっとのって、終点まで行ったら繰り返すを何度か。初凱旋門。バスのなかから見ることも手伝って、ますますはがきの裏の写真に見える。いまだにパリに来たんだぞという実感がわかない。実感ってなんだろう。少し怖いところも通った。住みわけってあるのだろうか。テーマパークに行ったみたいだった。ディズニーランドとか忍者村とか。エッフェル塔もはじめてみる。異物が突っ立っていた。

2月26日(火)


 コメディ・フランセーズ。舞台装置は面白かった。お金があるんだなって思ってしまったのは偏見だろうか。主役二人の声が美しい。ピエロ的な役の老人が動ける動ける。ついつい新しいことを期待してしまう。きっちり作ってあって、レヴェルの高い芝居だった。でも物足りない。スタンダード過ぎるから。好みといってしまえばそれまだだろう。目新しさを追いかけるのは違う。でも、何かの新しさが、オリジナリティではないのか。絵が完成すると入れる、作家のサインのようなものが見たかった。今日も昼はバスにのっていた。疲れたらカフェに入ってカフェオレを飲む毎日。極楽。

2月27日(水)


 ブルック。ブッフ・ドゥ・ノール。どういう構造をしているのかさっぱりわからなかった。パリの普通の街並み。そこの1つのドアをくぐると劇場になっていた。ぼろぼろの劇場をリメイクしてある。はがれた壁と装飾。客席のベンチは白くて、そこだけが新しい。舞台置くの壁は丸見えで、赤い色がはがれかけていた。前舞台、といっても地続きだが、には質素な舞台装置が設置してあった。舞台置くの上部にはかさのようなものがつってあった。不思議な空間。演技はほぼ前舞台で行われるのだが、奥の広い空間の存在感がかなり大きい。舞台には途中で、かなりカラフルでへんてこな、メルヘンなデザインの帽子が出てきた。びっくりした。もっと、ストイックな舞台を予想していた。音響は印象的。使われているのはメロディアスな、耳に残る曲。フランス語がさっぱりできないのでストーリーがわからない。どういう意図があったのだろう。バスにずっと乗ってしまった。というのも、終点まで行かず、途中でおろされたりして、迷いに迷った。パリは京都に似ているのかと、乗っている間考えた。モニュメントの存在、芸術、大学、教会。遊びに来る人にはやさしいけど、外から移り住んでくる人には冷たいところとか

2月28日(木)


 チケット待ちでひたすら並ぶ。隣の席に座った叔父さんとつたない英語で会話をした。彼はすごくパリを愛していた。でも、芝居は気にいらなかったらしく、幕間で帰ってしまった。
モリエール「アンフィトリオン」。日本的なものがたくさん出てきた。平安時代に成人男子が着ていたような衣装、人を乗せるみこし、扇子、ほら笛、ちゃんばら、つり竿、竹、灯篭、舟、竹馬、その他。貝をこすり合わせたりベルを鳴らしたり、電子音や水の落ちるおと、ピアノなど、音にあふれた舞台だった。即興的な音たち。ぶつぶつ切れ、突然大音量になりもした。上につったロープを使って、壁を歩いたりふわふわ飛んだり。天上の国。時間のない世界。うらしま太郎のお話と重なる部分が多い。最後、ひとりが白髪のかつらをかぶり、幕を閉める。面白い試み。わたしは、こういう奇抜な演劇が好きなんだと思った。

3月1日(金)2日(土)


 二日間、芝居を見ない休息日。一日目はぶらぶら街をショッピング。デパートから小さいスーパー、古着屋、雑貨屋など。パリはいろんな匂いがする。いい匂いから嫌な匂いまで。匂いのしないところなんてない。犬の糞の匂いは未だに耐えられない。地下鉄の匂いも嫌い。匂いになじめない時に、パリに来たんだと意識する。日本にも匂いはあるのに、なじんでいるから気がつかない。私はどうやらパン好きらしい。白いご飯は毎日食べられないけどフランスパンはおいしい。どこのカフェも、ウェイターはファンキーだ。おじいちゃんなのに、フロアを滑って移動し、よく笑って、ウインクしたりする。ウェイターができるカフェは、たいていおいしいこともわかった。たまたまだろうか。お気に入りのカフェが何件かできて、今日もその1つにいった。煙草を買ってみた。マルボロメンソールライト。フィルターが茶色。デザインも味もやはり微妙に違う。各国の煙草を吸い比べるのは喫煙者の楽しみ。隣の客と、その話題で盛り上がった。二日目。朝のみの市に行ってみた。雨が降り出して、一瞬雪がちらつく。寒すぎてすぐホームタウンに帰って来た。白くてきれいな街に住む人とは顔が違う。パリは、豊かな街ではなかった。帰りの地下鉄を降りた時、目の前で引ったくりを見る。芸術は贅沢なのだろうな。夜、「ロミオとジュリエット」を読む。数日間という短い時間にめまぐるしく起こる出来事。終わりの静寂は、あまりに速いストーリーに捨てられて、ただ終わりを受け入れるしかない、呆然とした沈黙なのか。

3月3日(日)


 ひな祭り。パリヴィレットに行った。またまたカフェ。それにしても、人が多い。と思ったら日曜日。ピエロのひとり舞台だった。感動した。涙が出た。彼の失敗に客席は大笑いをしていたけれど、わたしはなぜだかさっぱりわからない。もちろん、コミカルで、笑える。でもそれよりも、ピエロの気弱な笑顔、客を幸せにすること、たった一人で演じること、今、ピエロを演じること、丁寧な演技に感動していた。寂しいのかな、わたし。でもこの公演は、最初からじゅうぶん悲劇的だった。

3月4日(月)


 骨董屋巡りをした。小さなところをおもに回った。専門分野があるらしい。本、服飾、絵、アフリカ系、人形など。ガラクタがつんであるだけに見える店もあった。友人がふくろうの置物を集めているので、それを探す。ふくろうを英語でなんといえばいいのかわからず、絵に描いて、似てない鳴きまねまでして説明した。今日は全滅。パリの様々なところにアンティークショップ郡がある。店員は独特の雰囲気。ゴージャスマダム系から学者職人偏屈系まで。毎日何をして暮らしているのだろう。客もいないし、そうそう売れたりしないだろう。でも、マニアな客と話しているのは、やはり楽しそうだった。明日みる公演のチケットを買っておとなしく帰る。

3月5日(火)


 イリーナ・ブルック演出「ロミオとジュリエット」鑑賞。途中で席を立とうと思った。スタートで度肝を抜かれる。ラップとダンス。わけがわからぬ。衣装がださい。というか、舞台装置から展開その他全てが格好悪い。現代版「ロミオとジュリエット」をやるのは興味深い試みだと思う。でも、ただチャラチャラしてればいいのか?せめて、ビジュアルだけでも、見栄えのするものがほしかった。客席は熱烈な拍手を送っていた。だれかスターでもでているのか?迫真の演技も、まわりの軽薄さで、ちっともおもしろくない。奇抜なのは好きだけれど、これを立派な劇場でやるんじゃない。せめて、舞台装置がもっとセンスがよかったら、奇抜なキャラクターも、進行も、みれるものになっていたはずなのに。

3月6日(水)


 パリに来て初めて、ファーストフード店に入った。ケンタッキーフライドチキン。言ったメニューと違うものが出てきた。やはりメニューも違う。あと、ドリンクに氷を入れるのは日本だけなのだろうか。テアトル・デ・ソレイユ番外公演を見に行く。地下鉄終点まで行きそこからバス。城があった。駅付近に少し店があるけれど離れると何もない。びっくりするほど田舎だった。農場のようなところ。入り口近くに馬がかってあって、チケット売り場では子供が手伝っている。劇場内部には四角く囲われたカウンターがあり、その中で大人が料理を作って販売している。普段俳優をやっている人が販売していたらしいことを日本人の客が言っていた。不思議な空間。そこにいて、いろんな人や物を見て、泣いてしまった。演劇と共に生活すること。演劇に一生の時間をささげること。集団生活で、芝居を作り上げること。彼らの血、肉が演劇で、この公演は、彼らの身体、人生でできていると思ったら、そのひたむきさや、その覚悟のようなものに感動してしまった。そんなやりかたされたら、誰も、勝てない。もちろん公演は、すばらしいものだった。これを観ることができただけで、パリに来てよかったと思えた。

3月7日(木)


 ある公演を観ようとするも、チケットとれず、断念。なにやら怪しい街に入ってしまった。ストリップ劇場などがたくさんある地域。やたら濃い化粧をして、身体のラインがくっきり出た服を着た女性が、裏通りの街角に立っていた。娼婦と呼ばれる人だろうか。じっとにらまれて、どうすればいいのかわからず、足早に立ち去る。最後に何を観るか迷って、
ブルックに決定。子役が違う人だった。使われる曲も違う。ラストシーンも少し違う。前回と比べて、ずいぶん繊細な印象。前回はおもちゃ箱の中のようだった。今回は、ぐっと柔らかく、細やかに感じられる。実質最後の日。明日は旅立つのみ。よくフランス料理を食べた。フランスパンはおいしい。カフェのおっちゃんは陽気でよく働く。カップルが多い。チョコムースもう一度食べればよかった。夜景が美しかった。照明の使い方がいい。ぼーっと浮かび上がる。いろいろ観た。いろいろ感じた。このあと見る日本はどんなだろう。わたしはまず、何を感じるのだろう。

3月9日(土)

 成田からリムジンバスで帰って来た。自分の家は落ち着く…のか?やはり浮ついた感じ。15泊したホテルのベッドもじゅうぶん落ち着いた。結局私はひとりで、やることは変わらない。パリの生活と違うのは、友人に会えないこと。パリは厳しいところだと思う。おもしろいものもつまらないものも、古いものも新しいものも、同じように並んでいた。やりたいことがたくさんわかった。フランス語を覚えてまた行こう。

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