パリ日記/松井浩三郎 (3/3〜3/14) 
3/3(日)  『家庭』

 

 11時からPANTHEONで『エスターカーン』(完全版)を見る。この映画館の面白いところは、座席が映画監督の名前になっているのだ。座席に座ってみると椅子の背もたれにヴェンダースやらニコラス・レイ等の名前のプレートが貼ってあるのが見える。はっとして振り返ってみると僕の座席は「マルセル・カルネ」とある。『天井桟敷の人々』しか見たことがないのだが、それは素敵な映画であったのでよしとすることに。
 映画館のロビーで映画好きのお姉さんと知り合ってカフェでオムレツをおごってもらう。大学卒業後銀行で三年働いたものの、つまんないので転職するついでに旦那さんと旅行に来たのだという。彼女達はロシアがメインでこれからモスクワに行くのだが、ぼくのトランジット後の飛行機と帰りの飛行機が同じという偶然にちょっと驚く。
 この後ギメ美術館に行く予定だったらしいので一緒に見に行く。ところが行ってみると人だかりがしていて、数日休むとのポスターが貼ってある。ここらへんは結構いいかげん。しかたがないので、はす向かいの市立近代美術館、パレ・ド・トーキョーを見る。が、ちょっといまいち。
 夜は学生都市に行き、旦那さんとその友達に会う。旦那さんの友達は留学生で、日本館はお城みたいなへんてこなデザインで恥ずかしかったのでイタリア館で生活しているという。確かに自分の国だからというのを差し引いても、日本館のデザインはあたりの建物の中で最低の様な気がする。3人で中華料理屋に行きまたおごってもらう。
 お礼を言い、別れた帰りに、ACTION CHRISTINE ODEONでイーストウッド『許されざる者』をみる。スクリーンで見られるとは最高。お金ないくせに何を見ているんだか。

 

3/4(月)  『ママと娼婦』

 

 予算の都合からこの日でホテルを引き払う。もう夜八時だし今日の晩御飯と寝床は決めてないしどうしようかしら?などと呑気なことを思っていると、メトロの中でソルボンヌに通うお姉さんに会う。フランス人の友達とイタリア人の友達が遊びに来るので今から晩御飯の買い物に行くのだというので、料理を引き受けるのと引き替えにごちそうになることにする。モノ・プリでお買い物。もともとカレーをつくるつもりだったらしかったので、ナスを入れることを強く主張する。ワインをてきぱきと選び、アパルトマンへ。おばあさんが一人で住んでいて、二人の学生に間貸しをしているのだという。
 イタリア人の子がこれなくなったのでフランス人の子だけ来る。通称「Je」のジェラルディンは南仏ニースの出身と言うことでパリジェンヌよりかなりテンション高め。待ち合わせの横断歩道の向かいから大きく手を振っている。ほっぺの左右にチュッ、チュッと音を立ててキスをする挨拶はくすぐったいけどちょっと面白い。
 最初はJeとぼくの会話をお姉さんが通訳していたのだが、そのうち英語でみんなでしゃべることになる。Jeは日本語は話せないのだけれどザ・ピーナッツの『情熱の花』は日本語で歌えるという。何でだ?みんなで歌う。お姉さんからパリに留学するのは大変であるという話を聞く。しかしフランス語上手いなぁ。ぼくも学ばねば、、。

 

3/5(火)  『気のいい女達』

 

 荷物を預かってもらいに朝の9時にJeと待ち合わせる。やっぱり横断歩道の向こうから大きく両手を振ってる。彼女のアパルトマンは駅からも近く新型ibookのノートがあったりして少しリッチ。日本の本を持っているというので、みせてもらったら宮本輝の本が出てきた。うーん、勉強熱心。日仏の文化というのはわりと両思いではないだろうか。お互い幻想をもっているけれど。学校に行くというので途中まで着いていく。
 夕方学校が終わったお姉さんとJeと待ち合わせてカフェにはいる。昨日来られなかったバルバラを紹介してもらう。彼女はソルボンヌに通うイタリア人。日、仏、伊、関西人と4カ国語を話す4人が一つのテーブルに収まっているのは不思議な感じだ。普段は3人ともフランス語で会話をしているのだが、ぼくにわかるようにと英語でしゃべることになった。
 バルバラはビデオアートに取り組んでいて『窓』というのにこだわっているのだという。のぞく人の視線とのぞかれる物との関わりで何本か撮っているらしい。じゃあ『裏窓』はどうかしらと思ったので「ヒッチコック、ジェームズ・ステュワート」というと通じた。車の窓から外を見る風景がぼくは大好きだ、というと「ヴェンダース」という言葉が出てくる。パリということを差し引いても映画という物は世界言語なのだなぁ、と思う。
 forum des imageでオリヴィエ・アサイヤス『Finaouto,debuto september』『八月の終わり、九月の初め』)を見る。今日は見終わった後、解説をしてもらえたのはありがたかった。

 

3/6(水)  『若者のすべて』

 

 16区にはアールヌーヴォーの建物が多くある。エクトル・ギマールのデザインしたアパルトマンのカフェで朝っぱらっからワインを飲む。内装も美しく、観光地から離れてるため人通りも少なくてよい感じ。カフェにいるといつのまにやらタバコを口にしてしまう。1年以上吸ってなかったのに。
 フランスタバコといえばジターンかゴロワーズである。しかしジャン・ピエール・レオーは映画の中でタバコ屋で「ゴロワーズ!」と叫んでいたと記憶しているし、ボリス・ヴィアンは「タバコを作ったのはゴロワーズだ」と明言したそうだ。ムッシューかまやつも「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」と歌ってたじゃん。ということでゴロワーズにする。しかしすっごく草の味がしてくせがある。正直言って美味しくはなかったけれど慣れてしまった。お姉さん曰く、フランスの若者はアメリカタバコを吸うとのこと。ちきしょうアメリカめ!
 それから、ついに意を決してルーブル美術館に行く。でかい、多い、本当にあった。  夕方フランス人フランクの家に行く。紙を持っているか?と聞くので何に使うのか?ときいたらマリファナを巻くのだ、とか言い出す。なんてことだ。でもちゃんと大学に行って日本語を勉強していて、ノートには「私はあの赤い色の鉛筆が欲しい」みたいな変な日本語が書かれている。それに壁には『死亡遊技』(not ブルース・リー)のポスターが貼ってある。こないだトーキョーにいって新宿リキッドルームに行ったという彼のCDの棚なんか見ると当たり前なんだけど知ってるCDとか一杯あって文化は国境を越えるっす、と思うのでした。  ああ、若者とはそんなものなんだなー。

 

3/7(木)  『ギターはもう聞こえない』

 

 マレのあたりはユダヤ人街で全身黒ずくめで髭を生やした人がよく歩いている、HEY,JUDEのジョン・レノンみたいだ。でもタイトルはユダヤではなくてジュリアンのJUDEだけど。おしゃれなポスター屋のきれいな店員さんに心奪われつつも、ピカソ美術館に行く。昨日のルーブルに比べて、小さくまとまっていて好きである。おなかが空いていたので、ミュージアムショップで出会った女の子にリンゴをわけてもらう。リンゴをかじりながら話をしていると、なんと住所が3丁目まで同じということが発覚。歩いて2、3分の所に住んでいるのだ。今まで同じ生活圏内で暮らしていたのに井の頭公園でなくてピカソ美術館で会うというのもおかしな話で、偶然というのは不思議ものだと二人で驚く。彼女は建築学科でコルビジェのロンシャンの教会に行くというので連れてってもらうことにする。
 メトロにのってジャン・ヌーベルカルチェ財団本部へ。中に入れるのは2階までで、アラブ世界研究所と違って上には上れないのが残念。ガラス張りの建物に桜?梅?のピンクの花が彩りを添える。何気なくさわった裏庭の木の一本は人工的な素材で出来たダミーであった。脇にあるガラスでできた枝の方に注目して、多分誰も注意を払っていないと思われるけれどなかなか芸が細かい。帰り際にハトが一匹横たわっているのを見つける。透明なガラスが見えずにぶつかったらしい。罪な建築である。
 二つ横の通りには『勝手にしやがれ』でベルモンドが最後に疾走して倒れたところ道がある。で、バカだなぁと思いつつもやっぱり走ってみる。「最低だ」
 いい天気から一転、夕方から突然雨になり曇り空。増水して面白いのでセーヌ川の下を歩く。橋を見上げながら歩いていると途中の通路が水に浸かって通れなくなっていた。向こう岸にはギターを抱えた男の子と女の子が座っていたが、どう考えても帰れそうにない。男の子は歌いながら陽気にぼくらに手を振っていたが、隣の女の子の表情は今日の空のように曇っていた。彼らは無事に帰ることができたのだろうか。フランス語はわからないけれどまさか助けてくれと歌っていたのでないことを祈る。セーヌ川は汚いわりには白鳥がいたりして、餌付けて遊ぶ。『素晴らしき放浪者』では泳いでいたが、冗談でも泳ぎたくはない川である。

 

3/8(金)  『現金に手を出すな』

 

 モンマルトル墓地に行ってトリュフォーのお墓参りをする。名前と年号のみの至ってシンプルなお墓。合掌して良いものかしら、それとも十字を切るのかしらとしばらく考えた末に黙とうしてみる。モンマルトの丘を散策して、それからサクレクール寺院へ。サクレクール寺院といえば『アメリ』じゃなくて『夜霧の恋人達』だと信じたい。中にはいると賛美歌が歌われている。いいタイミングだったようで美しい声に聴き惚れる。外に出るとちょうど日が沈むところで空の色がだんだん変わっていく様子を見る。そして美しいパリの夜景。
 帰りはフニクリ・フニクラ〜を使って下に降りる。カルト・オランジェが使えるので良いのだが、距離的にはかなり短い。これだけの距離を下るために使うというのは贅沢な電車だ。振り返って見上げるとライトアップされた寺院がまぶしい。  ロンシャンに行くため東駅で昨日の子と待ち合わせる。今日彼女はブランドの買い付け業者に声をかけられてヴィトンの買い付けのバイトをしていたらしく、2店舗に渡り30万ずつ買ったという。なんでも、業者対策のためパスポートを提示させられるらしいが、2店舗目は番号をごまかして買うのだという。よくわからないがまったく恐ろしい世界だ。小金持ちになった彼女に晩御飯をごちそうになる。東駅のまわりはアジア系の移民街でいろんな種類の店がある。インドカレー屋でカレーを食べる。安くて美味しい。
 ところが何気なく確認したところノートルダム・デュ・オー礼拝堂は土曜日は休みであるという事実に気づき愕然とする。ちゃんと確認しないと危ないなぁ。よって出発は月曜日に。

 

3/11(月)  『さすらいの二人』

 

 早起きして朝7時半に東駅へ。カフェで眠たい目を覚まし、道中の水とお菓子を購入しRONCHAMPを目指し目的の電車に乗り出発を待つ。念のためと思っておばあさんにこのチケットでいいのかと聞くと、これは違う電車よといわれる。聞いておきながら何なのだけれど、そんなはずはない、と思い違う人にも聞いてみる。結果2対1で正しいということだったのでおばあさんは寝ぼけていたのだろうという結論に至る。出発後しばらくは景色の変化を楽しみながら窓の外を眺めていたが、まだ3時間くらいかかるので寝ることにする。
 同行人とふたりしてぐーすか寝ていると突然、出発時にチケットを見せたお姉さんに「we have to move!」といわれたたき起こされた。なにやらわからずについていって後ろの車両に移動するものの、こんどは間違えたのか突然引き返し、前の車両に歩かされる。どうやら途中で車両は切り離されて別々の方向に行くらしい。さっきのおばあさんはどうやら車両が違うということをいっていたようだ。親切なお姉さんのおかげで救われる。映画でよく見たような6人がけの部屋がいくつも並ぶ車両に入るとここでオーケーよ、とのこと。ちょっとこの席に座るのに憧れていたので幸せ。席に着くとお姉さんはものすごい勢いでオレンジをいくつもむしゃむしゃと食べ、それから口を鳥のヒナのように開けたまま豪快に寝てしまった。  VESOULまで行きそこで乗り換えのため一時間暇つぶし。なぁんにも無い街。なのだが安っぽい舗装の商店街があり日本の田舎の温泉街の様な感じがする。しかも何故か町役場(?)前には赤い鳥居を発見。
 それからローカル線でさらに1時間半ほどしてRONCHAMPに。窓の外には羊や馬が見えてきて本当にのどか。今度は本当に何にもない駅に着く。町の人に聞くと歩いていけるよというんで、やや不安になりながらもピクニック気分で歩くと以外にもはやく、ノートルダム・デュ・オー礼拝堂に着く。パリとは気候も違うのか、青空の下で熱いくらいだったのが、中にはいると一転、冷気と静寂に包まれる。何故こんなに寒いのかはわからないのだが、吐く息は白くなり、脱いでいたコートを着直すことに。薄暗い協会内に壁につけられた大小さまざまな大きさの窓から幾筋もの光が差し込んでいる。その場の雰囲気にただ息をのみ、時を忘れて座り込んでいると、いろんなことが思い出されてくる。なので、クリスチャンではないのだけれどお祈りしてろうそくに火をつけることに。
 5時になって教会がもう閉まるというのでガラーンといういつまでも鳴り続ける鐘の音に見送られ下山する。帰りと同じルートなのでパリに着く頃にはすっかり夜中に。けれどもVESOULで調子に乗って飲みすぎたハイネケンのせいでひどくご機嫌なのでした。

 

3/12(火)  『女は女である』

 

 以前日仏学院でやっていたのだが見ていなかったので、レオー見たさにStudio Galandeでやっている『ポルノグラフ』を見に行く。この映画館は10年以上にもわたって毎週金、土に『ザ・ロッキー・ホラー・ピクチャー・ショー』を上映しているという、狂っているとしか思えない名画座なのだが、どうやら今週もするみたいだ。レオーはポルノ映画の監督なので、当然ポルノ映画のシーンが出てくるのだがモザイクというのがかかっていない。こんなのうつってて大丈夫なのだろうか。でも日本にいると凄いモザイクがうっとうしくて映画を見にくくしてたりするので、フランスの芸術に対する姿勢には頭が下がる。別にそんなに大したこととも思えないし。
 それから夜にforum des imageで大好きな映画『女は女である』をみる。改めて驚かされるのはこれが40年前の作品だと言うこと。スクリーンに映し出されるパリの街は現在とほとんど変わらないように見える。アンナ・カリーナのかわいさとルグランの軽快な音楽に、何とも幸せな気分になって映画館を後に。もし40年の歳月を感じるとしたら、このあと『Made in USA』でも見て、アンナ・カリーナと今日昼に見た映画に出てきた老監督の若かりし姿が同時に映っているのを見るしかないだろう。forum des imageのロビーの壁はドワネルシリーズのレオーの写真により一面が覆われておりさながらレオーの間のようである。
 パリの移り変わりを身をもって体現しているのはジャン・ピエール・レオーではないだろうか。時代とともに変わらないようでいて、それでも少しずつ変わっていくというか、やっぱり中身は以外と変わらないみたいな。

 

3/13(水)  『夜風の匂い』

 

 ギュスターブ・モロー美術館へ。モローの遺言に従い自宅を改装した美術館だけあってプライベートな感じが好印象。しばし幻想的なその絵に見とれてぼんやりとする。美術学校の生徒が2、3人スケッチをしており、先生がアドバイスをしている。絵を好きな人が訪れ、じかに絵に接し、住まいから画家のことを思い浮かべてみたり、美術館といものはこうあるべきではないかしらと思わせる。
 外へ出て目の前のサント・トリニテ教会の小さな公園にいく。ベンチにすわっていると幼稚園の子供達が2ダースほど先生につられて教会から出てくる。日本の憎たらしそうなガキに比べるとこっちの子供は天使のようで。でも中身はやっぱり憎たらしいガキに代わりはないようで、ちっと並んでくれない先生も手を焼いているご様子。
 ポンピドゥーセンターの特集展示は『LA REVOLUTION SURREALISTE』に。エルンストの挿し絵はその禍々しさゆえに見るものを引き付け、ユーモアに富み、コラージュが絶妙のセンスでなされて美しい。何でも商業に回収されるのはどうかと思うけれど、ダダという運動はすぐれたデザイン集団でもあったといえるのでは。しかし美術に対する反逆であったはずのデュシャンの作品が何の違和感もなく美術館の一角に収まっているすがたは少し寂しげであった。閉館のアナウンスに促されて屋上へ出ると、輝く星空と美しいパリの夜景。これがパリの最後の夜かと思うと少し寂しくなってきっとまた来るぞと誓うのでした。

 

3/14(木)  『脱出』

 

 9時頃空港に着くと我が航空会社のカウンターだけ人がいない。ロシア人のおばさんが、暇つぶしなのか自分の荷物を何度も機械に乗せ量っている。しばらくぼーっとしているとだんだんカウンター前に人がたまってくる。しばらくすると係員がやってきて荷物を 預かってくれた。
 出発前にロビーで待っていると今度は機械が故障しているらしくチケット切りのお姉さんが人を呼びにいっている。あいかわらずのどかな会社だ。30分ほど遅れて飛行機は出発。一面銀世界のモスクワでトランジットして、それから東京に。帰りの飛行機の中では小さなスクリーンに『アメリ』がかかっている。きれい撮られたモンマルトルの映像。でもぼくが見たパリは、もっと素敵だった。
 成田エクスプレスに揺られて外を見る。東京はあたたかい。もう桜が咲いてる、すっかり春だ。

 

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