2009年10月14日

最終日
結城秀勇

もう最終日である。
原將人『マテリアル&メモリーズ』8mm三面マルチライヴを前半だけ見て中座する。ここで引用(?)される『初国知所之天皇』などでインポーズされる言葉もそもそも「詩歌=うた」なわけだが、それを再構成する際にメロディのついた「歌」を伴わせてしまうことが、ここにおける「マテリアル」であり「メモリー」である映像に対する振る舞いとしてはどうなのだろうかという疑問を感じた。
閉会式のため会場へ。受賞作品はコチラのとおり。この日記で見た映画はモグラビ『Z32』しかないが、そんなものだろう。エリアーン・ラヘブ『されど、レバノン』は見てみたかった。ここで挙げられている作品は、いずれおそらく東京での上映の機会もあるはずなので、興味のある方は是非。
クロージング作品は土本典昭『みなまた日記』。前回の山形映画祭で舞台に立っていた監督の姿を見ている者としては、心打たれる場面がたびたびあった。
さて今回も映画祭を終えてみて、ここで取り上げた映画は映画祭のごくごく一部でしかないので、全体的な総括などは難しい。しかしおそらく東京からこの映画祭を訪れる方も感じていることかと思うが、毎回一番おもしろかったプログラムというのは得てして、括弧付きの「ドキュメンタリー映画」ではない作品の特集上映であったりする。この映画祭では必ず毎回、ドキュメンタリーあるいはフィクションとはなにか、という枠組みではなく、映画とはなにかという問いかけを行う特集上映が行われている。そうした特集が現代的な問いかけを行っているのとリンクするような作品が、コンペティション(アジア千波万波も含めて)の中から発掘できればと常々思っている。

以下、余談。「せっかく帰省してるのだからたまにはうちで飯を食え」との指摘を受け、実家にて夕飯。山形県が満を持して放つ新ブランド米「艶姫」を食べる。先日、銀座の山形県のアンテナショップで行われたパフォーマンスにてご存じの方もいらっしゃるだろうか。これを食べた友人が評するに、「はえぬきの食感に、コシヒカリを凝縮した味わい」とのこと。今年は試験場での限定生産のみ、来年から本格発売とのこと、ご興味のある方は来年までお待ちください。

投稿者 nobodymag : 03:52

2009年10月13日

四日目
結城秀勇

本日は朝から「ナトコの時間」。GHQの民主主義政策として導入されたナトコ(National Company)製映写機とCIE(民間情報教育局)の教育映画をめぐるプログラムである。本日は「アメリカへの手引き」「戦争花嫁」「イギリスの炭坑業」の3本。会場を勘違いしていて遅れて着いた「アメリカの手引き」は日本人留学生のアメリカでの就学前のオリエンテーション期間を描いた映画。「戦争花嫁」は米国兵と結婚してクリーヴランドに渡った大磯出身の女性が、アメリカの生活になじむまでを描いたもの。姑の小芝居と、突然物語に介入してくる竹細工の存在が笑えた。「イギリスの炭坑業」は、プロの俳優ではなく関係者が本人の役を演じた劇映画とのことだったがちょっと寝てしまった。
お昼は再び「花膳」にてランチ。サンマの塩焼き、秋鮭焼きなどにも惹かれるが、前夜も「スズラン」にて海産物を結構食べてしまったので(山形市には海はないのだけれど)、三元豚のカツカレーを。
続いて、取材準備の合間を見て、審査員ガリン・ヌグロホの『ある詩人』を途中だけ見る。インドネシアの「アカ狩り」を描いた映画であるとのことで興味を持ったが、いかんせん途中しか見ていないのでなんとも書きようがない。黒い背景を前に主人公が独白するシーンと、再現シーンとの往復の中で、セリフと環境音がガムラン(資料には「ディドン」という名の詩歌を歌い競う大衆芸能の説明が書いてあったがそれか)めいたリズムの絡み合いを見せる場面がたびたびあった。
そして先日見た『生まれたのだから』のジャン=ピエール・デュレ、アンドレア・サンタナ両監督へのインタヴュー。通訳の関係上デュレに主に話を聞くことになった(サンタナは英語を解さないので)のは残念だが、時間を大幅に超えて質問に答えてくれた。最後に、録音技師としてもドワイヨン、ストローブ=ユイレ、ピアラ、ダルデンヌ兄弟らなど錚々たる監督たちと仕事をしているジャン=ピエール・デュレは、「nobody31」のルイ・ガレルのインタヴューに反応して、「今度彼と仕事をするんだ」と話してくれた。「監督は彼の父親のフィリップ・ガレルで、イタリアで撮影する予定。フィリップ・ガレルの音声を担当するのは初めてだけど、本当にすごく楽しみだよ。だって彼は映画史のあらゆる時代を通じてもっともすばらしい映画監督のひとりだからね」

投稿者 nobodymag : 03:04

2009年10月12日

三日目
結城秀勇

毎朝10時からソラリスにて上映されている戦後の教育映画「ナトコの時間」というプログラムがおもしろいという噂を聞き、また同じ時間にかぶっているアジア千波万波部門の『されど、レバノン』という映画も気になる。が、(すべては前夜の深酒のせいだが)朝一の上映には間に合わず。とりあえず昼食を。「龍上海」駅前店にてからしみそラーメン。
合間にインタヴューの準備などしつつ、マルチン・マレチェク『オート*メート』へ。渋滞や、騒音や排気ガス、歩行者の通行を妨げる駐車が問題となっているプラハ。自動車に変わる交通手段として自転車の利用などを促進する運動「オートメート」の活動の記録である。監督自身がその活動のメンバーであるということが主な理由かと思うが、問題となっている対象とその記録の手法が首尾一貫したものとして作り手の中で関連づけられていないのではないかという気がした。劇中、市の役人による新設環状道路のプロモーション映像を暗に批判する箇所があるが、それを行うこの作品自体が、そのプロモーション映像と同じ仕組みのただのプロパガンダになりかねないという危険性に監督は気づいていただろうか。ましてここでの主張が、子供や老人たちのために、公害の原因となり歩行の妨げとなる自動車を削減していこうという「正しい」意見であるだけに、なおさらだ。最後に監督はその団体での活動から遠ざかり、外から活動を見守っていくことにするのだが、この映画はそこから改めて始められるべきではなかったのか。
上映後、すでにギー・ドゥボール特集は別会場で始まっている時間のため、『映画『スペクタクルの社会』に関してこれまでになされた毀誉褒貶相半ばする全評価に対する反駁』は諦め、 2本目の『我々は夜に彷徨い歩こう、そしてすべてが火で焼き尽くされんことを』から。一昨日に見た処女長編から、最後の長編となったこの作品まで間を飛ばして見ると、当然ながらに大きな変化があり感慨深い。
上映後に行われた、マルセイユドキュメンタリー映画祭ディレクターのジャン=ピエール・レムの講演では、ジョゼフ・コンラッド『闇の奥』やトーマス・ド・クインシー『阿片服用者の告白』などに触れながら、過去の体験の回帰というようなテーマが語られた。ナイーヴな感想だが、この『我々は夜に〜』は非常に好きな映画だ。ドゥボールが決して認めようとせずに嫌ったジャン=リュック・ゴダールや、あるいはフィリップ・ガレルというような固有名詞を想起させもするある種のメランコリー。それは、映画の最後に掲げられた「もう一度はじめから」という言葉が、陰鬱な堂々巡りを思わせるからではなくて、その仮の終わりがなにか清々しいものになり得ているからだ。講演で触れられていたように、戦場において前衛のさらに先を行く最前衛の斥候は「失われた子供」と呼ばれる。兵士ですらないただの人間。「自らが当然のように人間であると主張する人々を、私たちは常に批判する」というような言葉がつぶやかれもするこの作品にある、一見過激さとは裏腹な静かな怒り、真っ当な憂いもまた、ドゥボールの作品の魅力であると感じた。

投稿者 nobodymag : 02:07

2009年10月11日

二日目
結城秀勇

前夜、フィリップ・アズーリにも勧められていた『生まれたのだから』(ジャン=ピエール・デュレ、アンドレア・サンタナ)。
ブラジルの郊外、長距離トラックが通過する幹線道路沿い。そこに暮らす、日々の生活に希望も見出せずにいるふたりの少年を、絶妙な距離感のフレームと音声で切り取る。長距離トラックや長距離バスが一時的に停止しては去っていく、ガソリンスタンドやダイナーなどの集まる区画で少年たちは何とか日々の糧を得ようとしている。観光客相手のみやげ物の売り子、家畜の飼育、農作物の収穫、レンガ焼き。
「このままこの場所で、こんな風には生きていけない」、そうひとりの少年は言う。もうひとりの少年は、それにこう答える。「ただ生きるためだけに働くのにはもううんざりだ。僕がしたい唯一のことは、自分の生活を持つために仕事が欲しい。ただそれだけだ」と。これは成長についての映画でもあり、同時に労働についての映画でもある。この映画を見終えてすぐ、両監督へのインタヴューを決めた。
続いて、ハルムート・ビトムスキー『ダスト――塵――』。塵=粉末状の物体のイメージを様々に連鎖させながら、環境問題から家庭の掃除、果ては9.11や軍事兵器まで形態の類似によって映像を連ねていく。そのひとつひとつが丁寧に、きれいに作られているのはわかる。しかし、この前に見た『生まれたのだから』にあったそのイメージとサウンドの、完成度というよりも他のものへの交換不可能性はまったく欠けているように思われた。16mmフィルムの映像を侵食するホコリの影にはそれなりの力があったが、しかしそのひとつの対象が欠ければ映画自体が変質して成り立たなくなってしまうような存在は、映っていなかったような気がした。
その後、同郷の友人に山形牛と米沢牛の鉄板焼きをご馳走してもらったまではよかったが、その後チェーン系居酒屋に流れ飲みすぎて暴れた顛末は、酷すぎてとてもここには書けない。

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写真:茂木恵介

投稿者 nobodymag : 00:19

2009年10月10日

初日
結城秀勇

今回の山形は三日目より参加。前日夕方に到着するも、車での長旅ということもあり、大事をとって休息(実家にて芋煮を食う)。
さて記念すべき今年一本目はインターナショナルコンペシションのアヴィ・モグラビ『Z32』。先日東京日仏学院にて開催されていた特集で見た数本の作品からもすでにうかがい知れていたことではあるが、この作品でもシリアスなテーマにそこはかとないユーモアが漂う。かつてイスラエルの特殊戦闘部隊に所属していた男が、顔を公開しないという条件で自分の過去についてカメラの前で語ることを了承する。ひとつの体験、それと切り離せないはずの個人の顔を見せてはいけないというジレンマ。それをモグラビは情報のシャットダウンというかたちではなく、逆に情報を過剰に上乗せすることで作品化していく。ぼかしによって覆われた顔で登場する元兵士とその彼女。作品が進むにつれ、目と口の周りだけが見えるエフェクト、『オペラ座の怪人』めいた無表情なマスクのグラフィック、そして一見CGだとは気づかないような精巧な「第三者の顔」と、彼らがかぶるマスクは形を変えていく。この映画の(不可知であるはずの)主人公の顔はいくつかの変遷を経て提示され続ける。過去の体験を語る彼と、ときとしてその体験への詰問であり批判でもあるような受け答えをする彼の恋人(上映後のQ&Aで監督自身が語った言葉を借りれば、彼女はまるでこの一本のドキュメンタリー映画の監督であるかのように振舞う)。そしてそうした素材をフィクションとして距離化するような、狂言回しの役として監督はその顔を晒す。顔一面を覆ったぼかしが、目と口を見せるようになるという「顔」の変容が作品が始まってすぐ起こるが、そうやって顔を晒した兵士の恋人の顔がとても人間らしく美しく見えて、驚いた。
続いてもインターナショナルコンペシション、『アポロノフカ桟橋』(アンドレイ・シュバルツ)を見る。ウクライナとロシアの政治的軍事的な思惑の入り混じるアポロノフカ桟橋に集う人々の、ひと夏を描く。不良めいた振舞いをする中学生くらいの子供たち、歴史の変遷を経てなお夏の朝の水浴びを欠かさず続けている老人たち、違法である海の底に沈んだ鉄くず拾いを生業とする男たち。とりわけ、特に将来に対して過剰な期待を抱くでもなく、かといって幻滅して悲観的になるわけでもなく、ありふれた物語をありふれたものとしてただ生きる「普通の」女の子たちの姿は、時として魅力的なポートレートを構成したりするのだが、いかんせん、その一枚一枚のポートレートの間におかれた関係性が一本の作品に力を与えているとは言い難い。「あるひと夏」を描いたはずのこの映画が、その夏の一回性に非常に無頓着であるように思われて、どこかノスタルジーに近いものを感じた。
場所を移動して、鶴岡市出身である本田猪四郎特集の中のプログラム、ロバート・フラハティ『アラン』と本田『伊勢志摩』。海と岩地の境界をめぐるこのふたつの作品にはたしかにいくつかの形態的な類似点があった。『アラン』の少年がカニを取る小さな入り江の緩やかな波紋から、絶壁の先端まで達しようかという巨大な波、クロースアップと遠景の中でさまざまなものが相似的な形態を反復しながらスケールを変えていくさまが見て取れた。この映画を見るのは二回目だったが、やっぱり鮫と波がでかかった。
ドゥボールの映画までの間に、山形駅前「花膳」にて山形の味覚を満喫。映画祭の季節は予約でいっぱいなので入れてよかった。もって菊、三元豚の角煮、白子のてんぷら、などをアテに出羽桜微発泡うすにごり。
第一日目最後の作品は、ギィ・ドゥボール『サドのための絶叫』と『かなり短い時間単位内での何人かの人物の通過について』。前者の作品の内容についてはここでは詳しく触れるべきではないだろう。むしろ漠然ながらも予備知識をもってこの映画を見てしまったことが若干もったいない思いもした。後者の中に出てくる言葉に正確ではないがこんなのがあった。限られた空間による遊び方の制限は、時代による制限よりも過激だと。まったく何も知らないままに、この空間によって制限された遊び方のラディカルさにもっと身を晒してみたら、もっとおもしろかったかもしれない。

RIMG0040.jpg

写真:茂木恵介

投稿者 nobodymag : 01:24