たむらまさき・撮影論 Part 2

『砂の影』

筒井:後半はたむらさんの劇場公開最新作『砂の影』の話を伺っていきましょう。この映画には、映画自体の淡さというか希薄さがあっていてすばらしいな、と思ったんですが。

たむら:内容の淡さ、希薄さもありますが、8ミリをここまで大きくしていますから、物理的にもまさに粒子、ですね。

筒井:越川さんが企画プロデュースされたわけですが、もともとの発想の原点をお聞かせ願えますか。

越川:8ミリでやろうと言い出したのは僕です。去年シングル8の生産中止が発表されました。その後、署名運動などがあって結局生産が5年間延長になったんですが、8ミリ自体の可能性を問わずに5年間過ごしてもしょうがないよな、という気持ちがあったんです。他にも理由はたくさんあるんですけれども、その幾つかが絡まってやろうということになったんですね。最初の段階で僕や監督が8ミリで撮るという意味合いをどの程意識していたのかは怪しいものですが、とにかく甲斐田祐輔監督と一緒に8ミリで撮ることを前提に企画を立てていきました。それで、たむらさんに8ミリでやりたいんですけれども、とお願いしたわけです。くてその部分を削ることになった。だから実際の作品には少し違和感が残ってるはず。ただその当時の西島さんには池部さん的なものを感じた覚えがあります。

筒井:制作側の意向を受け、たむらさんが何か考えられたことはありました?

たむら:はじめ8ミリでは撮ったことがなかったので、どんなものかという戸惑いはありましたけど。キャメラからフィルムからどんなものなのか、何の種類があるんだろう、という具体的なことを調べてみたら、まあ、映画だから何ミリでも同じことだしと、思い直して「やろうか」ということになったんですけれども。話した覚えがありますね。そのときはまだ8ミリを使うことは決まってなかったけど、つまり、とにかく上乗せのやり方とは違うやり方で面白いものができないかなと、そう考えて進めていきましたね。

筒井:いま手にされているのが実際に使用されたフィルムですね。ネガタイプのものですよね。

越川:撮影ではほぼ500Tというフィルムを使用しました。現像してネガが出来るので、それをイマジカで直接デジタルβにテレシネして取り込んで、アビッドで編集する、という流れですね。

筒井:素人考えなんですけれども、8ミリは小さくて軽いじゃないですか。あれだけ軽いと安定しないんじゃないですか? 他の三脚と比べて、8ミリの三脚は安定性があまりよくない印象があるんですよね、かっちり撮るのに向いてないというか。おそらく手持ちと三脚との両方で撮影されていると思うのですが、映画を観ていても、どっちだかわからないぐらいキャメラをコントロールされているように感じました。

たむら:わからないようにしたわけではなくて、手で持っても三脚つけてもそのようになるんですよね。手持ちだからぶれるわけではなくて、ぶれるかどうかは持ってる人によりますね。ぶれないようにするのは腕力ではないのです。三脚の代わりに手で持つわけではなく、三脚では撮れないことを手で持って撮影するということです。ですから、そのようなキャメラワークの発想がある時はそうしているわけで、そのことで対象とどう対話するか、それを想像できるか、撮っていけるか、ということだと思うんです。

筒井:たむらさんにとって、今回8ミリで撮ったから撮り方が変わったということはないんですね。

たむら:それはないです。映画をしてるのですから。手持ちは35ミリでも16ミリでもよくやっているし。35ミリは重すぎるから最近はそんなにやらないですけれども、そのショットをどうしたいか、という時は手で持ってしまいますね。三脚は固定的な視点ですけれど、手持ちは融通の有る浮遊的な視点です。

筒井:ちょっとびっくりしたのは、主人公のユキエ(江口のりこ)のところに

真島(ARATA)がやってきて、抱きしめようとして身をかわすショット。そのとき、たむらさんはふたりを追わずに、そのまま空舞台ですよね。ふたりがフレーム外に出てもそのまま撮り続けている。あれはびっくりしました。

たむら:越川さんからも言われたんですけれど、ふたりがばーんと弾けたんですから、いなくなるのは当たり前ですよね。どちらかをパッと追いかけたらそれはアクション映画になってしまいます。

筒井:何も映っていない持続、というのがドキドキしたんですけれども。で、ちょっと落ち着いたときに女性の方にカメラが移動して……。あれは最初からそういうふうに撮ろうと計算なさっていたんですか? それともその場で?

たむら:計算というより、そのようになるだろうとは思っていました。現場では、瞬間的に何とか対応するよ、ということはありますけどね。あの時はああいう対応をした。要するに、画面にいつも人物が映っていなければいけないなんて、僕はちっとも思っていないわけです。あのショット、あの瞬間に、ちゃんとふたりの感じが描かれていると思うんですよ、フレームの外の二人それぞれは?と観客の想いこむ、というか気を揉む時間が…。

越川:真島が訪ねて来て、ユキエを抱きしめようとすると、揉み合いになるわけですけれども、ふたりがぱっと別れたときに、キャメラが動かないんですよ。キャメラは空舞台をずっと撮りつづけ、しばらくしてユキエのほうに向くと、彼女は部屋の隅で震えている。で、カメラが振り向くと真島がいて、またユキエに戻るんですけれども。けど、僕にはやっぱりそれも足りない。口では柔軟さを言いつつも、なかなかそうならない部分がある。なんかね…「引き裂かれた」って感じですよね。でもそれはすごく面白かった。

たむら:ふたりが接近している、バストショットぐらいの狭い画面です。そこで女性の方が男性をバンッと押すわけですね。その反動で女性も弾けますね。なので、結果誰もいなくなる。そういう場面の話ですね。

越川:難しいと思うんですよ、普通はカメラを人に追っ付けたくなっちゃう。フレームの内と外は等価である、というような考え方がたむらさんのなかにはあって、あのシーンはたむらさんのそういう部分がよく出ているシーンなのではないかと思うんです。

たむら:かつて他の映画で、バンッて突き放したらパッとカメラを振ったこともありましたけど、それはアクションが大事な映画の場合ですね。

筒井:8ミリでやりたいということから始まったとのことですが、やっぱりすごく8ミリに合っている作品だな、と。要するに、あれをビデオで撮ったら生々しすぎるだろうし、フィルムにしても35ミリでかっちりライティングして作る題材でもない気がして。8ミリの粒子の粗さというのが、希薄というか、生きているのか死んでいるのかわからない、淡い表現になっていると思うんですけどね。

越川:結果的にそうなったということでもあるのかもしれません。8ミリでももっと粒子を出さないように撮ることもできますし、例えばリバーサルフィルムを使ったらだいぶ違っていたと思います。やはり、たむらさん、そしてスタッフ・キャスト全員が、そういうありようを脚本の中から読み取って、映像化したということだと思うんです。もし8ミリに特徴があるとすれば、それを上手く使って膨らませていくということかもしれない。結果的に、8ミリというもののイメージみたいなものに寄り添うだけでなく、裏切っている部分もある映画になったと思います。