2023年ベスト
- 赤坂太輔(映画批評家)
- 浅井美咲(NOBODY)
- 荒井南(NOBODY/映画館勤務)
- アルノー・デプレシャン(映画監督)
- 板井仁(NOBODY)
- 梅本健司(NOBODY)
- 岡田秀則(フィルムアーキビスト)
- 荻野洋一(番組等映像演出/映画評論家)
- オリヴィエ・ペール(アルテ・フランス・シネマ ディレクター)
- 斉藤綾子(映画研究)
- 作花素至(NOBODY)
- 坂本安美(映画批評、アンスティチュ・フランセ日本 映画主任)
- 鈴木里実(刺繍作家/映画館スタッフ)
- 鈴木史(映画監督・文筆家)
- 千浦僚(映画文筆)
- 常川拓也(映画批評)
- 中村修七(映画批評)
- 新谷和輝(映画研究/字幕翻訳)
- patchadams(DJ)
- 深田隆之(映画監督)
- 二井梓緒(映像制作会社勤務)
- 松田春樹(NOBODY)
- 三浦哲哉(映画研究・批評)
- 村松道代(デザイナー)
- 山田剛志(NOBODY)
- 結城秀勇(NOBODY)
- 李潤秀(助監督)
赤坂太輔 (映画批評家)
映画ベスト(順不同で)
- 『とにかく見に来てほしい』ホナス・トルエバ
- 『ショーイング・アップ』ケリー・ライカート
- 『変ホ長調のトリオ』リタ・アゼヴェード・ゴメス
- 『広島を上演する』遠藤幹大、草野なつか、三間旭浩、山田咲
- 『犯罪者たち』ロドリゴ・モレノ
- 『ターミナル』 グスタボ・フォンタン
- 『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』マルコ・ベロッキオ
- 『サムサラ』ロイス・パティーニョ
- 『川/ Al Naher』ガッサン・サルハブ
- 『瞳をとじて』ビクトル・エリセ
実は別のベスト10というのもあり、
- 『Ne me guéris jamais』 デヴィッド・ヨン
- 『アステロイド・シティ』ウェス・アンダーソン
- 『15hours』ワン・ビン
- 『水の中で』ホン・サンス
- 『Wanted』ファブリツィオ・フェラーロ
- 『EO イーオー』イエジー・スコリモフスキ
- 『ベネデッタ』ポール・ヴァーホーヴェン
- 『An Evening Song(for three voices)』グラハム・スウォン
- 『Souvenir d'Athénée』ジャン=クロード・ルソー
- 『枯れ葉』 アキ・カウリスマキ
こちらと交換可能と思っている。また真のベストはオランダで見たフランス・ファン・デ・スタークの旧作『Het Vertraagde Vertrek』、 『Windschaduw』、 『Er gaat een eindeloze stoet mensen door mij heen』、『Op uw akkertje』 であり、Eye Filmmuseumの方々に深く感謝したい。
テレビを時代遅れにしたイーロンXが大量殺人死体全裸SEXの家庭視聴を可能にしてしまった現在、我々は、ちょうどモラルが崩壊した第二次世界大戦直後の視聴覚状況にいるのかも知れない。あの当時ロベルト・ロッセリーニが『アモーレ』以後の作品で個人への愛と敬意を取り戻すべく設定した距離と時間を我々は再発見できるのだろうか。それを継承したヌーヴェルヴァーグは全員鬼籍に入り、メディアの過剰なイメージが耳目を包囲し操ってくる中でも、映画はそれらを解体し抵抗する力を担えるはずだ。「抵抗の力としてのアート」(それがナチス占領下で運動化したオランダでさえ忘却の危機にある)が根付くかどうかは、作り手だけでなく観客の目と耳にもかかっている。
その他ベスト
音楽
- 『Echolocation』Mendoza Hoff Rebels
- 『Stembells』Jaimie Branch/Isaiah Collier/Gilles Coronado/Tim Daisy
- 『Here the light singing』Myra Melford’s Fire and Water quintet
他にインスタレーションでは、
「川の長さにまで至る、三行の薄いしるべを引く」(そこからなにがみえる)
演劇では、
「胎内」(7度)
浅井美咲 (NOBODY)
映画ベスト
- 『別れる決心』パク・チャヌク
- 『ノー・ホーム・ムーヴィー』シャンタル・アケルマン
- 『青いカフタンの仕立て屋』マリヤム・トゥザニ
- 『アル中女の肖像』ウルリケ・オッティンガー
- 『サタデー・フィクション』ロウ・イエ
新旧問わず観た順に。 『別れる決心』は「決定的にならないその時間」の甘美さがたまらなかった。サスペンスとロマンスが絡み合い、ヘジュンがソレに翻弄されるのと同じように私も本作に翻弄された。『ノー・ホーム・ムーヴィー』は、『家からの手紙』からの時間の経過をしみじみと感じながら、一筋縄ではいかない母娘の関係を思った。連綿と続く歴史が母と娘を結びつけ、時に溝として立ち現れる。Skypeでアケルマンと母がテレビ電話をするシーンで、母の顔がPCの画面いっぱいに映ってしまうのが大好き。長い長いラストシーンはとても私的で胸を抉られた。『青いカフタンの仕立て屋』。労わるように撫でられることの、なんと嬉しく、尊いことか。慈愛に満ちたほんのわずかな面積のふれあいのなんと心躍ることか。繰り返し映される接写からは肌がざわざわするような情感が漏れ出ていた。『アル中女の肖像』はjournalも書かせていただいたが、タベア・ブルーメンシャイン演じる彼女の佇まいの高潔さに平伏すしかない。新しく知り合った方と「この映画私も観ました!」とお話しすることが多くて、今年いろいろな人を虜にした一本なのだろうなと思った(私もその一人)。『ブラインド・マッサージ』『スプリング・フィーバー』といったロウ・イエ作品の肌の接写などから見出される、ロウ・イエの触覚への信頼、頭で考えることよりも肉体で感じることを重んじるような価値観が好きなのだが、『サタデー・フィクション』ではその片鱗が感じられて嬉しかった。コン・リーとマーク・チャオが見つめあうのを斜め下から捉えるクロースアップショットが好き。
その他ベスト
- 『LAHAI』Sampha(アルバム)
Samphaはまるで泣くように歌う人だというイメージが強かったけれど、このアルバムの曲たちは電子音楽色が強いものも含めてどれも血が通っていて、彼のプロデュース力に痺れた。特にM-2「Spirit2.0」はカラッとしたスネアとハイハットが追い立てるようにリズムを刻み、その上に浮遊する魂についてのリリックが乗っかっている。
- 「エマイユと身体」展@銀座メゾンエルメス フォーラム(展示)
Soh Souenさんが好きで、内藤アガーテさんとのパフォーマンスを目当てに。Soh Souenさんが内藤アガーテさんを見つめ、アガーテさんが読み上げるフランス語の文章を声に出さず復唱するところで思いがけず泣いた。他者を一心に見つめ、模倣を繰り返す。同化を試みるような他者との境界線を壊してしまう強烈な行い。また、その場にたまたま居合わせた人と否応なしに生まれてしまう関係性、緊張感、匂い、視線も忘れられない。神楽坂のRoot K Contemporaryでやっていた個展も良く、書籍も購入した。
- 「Y2K新書」(Podcast)
「〜出演してみたかった、あの頃のテレビ番組の話。〜」という回冒頭の、柚木麻子さんがクラブハウスでゆっきゅんさんとデュエットするために、「Presence II」の岡田将生さんのラップパートを一晩寝ずに練習したというエピソードが好きすぎて30回くらい聞いている。
- FUNKTIQUEで買ったブルーのヒョウ柄スカート
古着屋のインスタで一目惚れして、誰かが先に買ってしまわないか不安になりながら店に行き「やっぱり可愛い…」と溜息を吐きながら購入する、というのがわたしの一番幸せな服の買い方だが、久しぶりにそういう出会いができた服。ベロア地のスカートの裾にメッシュを入れて成形されていて、重力に逆らいながらひらひらしている。人魚のなり損ないみたいな気分になれる。
- 金髪にしたこと
2年ぶりくらいに全頭ブリーチをし直して抜きっぱなしの金髪にした。癖毛が収まらなくてふわふわカールのロングヘアに落ち着いている。この髪型にしてから「あのイベントにいましたか?」などお声がけしてもらうことがあり、トレードマーク化しているのでしばらく続けようと思う。
荒井南 (NOBODY/映画館勤務)
映画ベスト
- 『貴公子』パク・フンジョン
- 『キムズ・ビデオ』デイヴィッド・レッドモン、アシュレイ・セイビン
- 『白塔の光』チャン・リュル
- 『aftersun/アフターサン』シャーロット・ウェルズ
- 『韓国が嫌いで』チャン・ゴンジェ
ここに挙げた作品には順位を付けないが、今年が終わる直前に韓国映画界で起きてしまった痛ましい出来事を前に5本を眺めると、どうしても『aftersun/アフターサン』の前で立ち止まってしまう。若き父カラムが抱えた言葉にできない苦しみを、11歳のソフィは幼すぎて知るよしもない。そして当時のカラムと同じ歳になってさえも、すべてを理解することはできない。心の片付かなさとは傍目からは見えず、名付けられるものでもないからだ。痛みを抱えた大切な人が永遠に消えてしまったら、カラムとの夏を撮影したビデオテープを巻き戻すソフィのように、思い出し、忘れないことしか方法がない。
その他ベスト
- 2023年の俳優:イ・ソンギュン
不完全でも生きていていいと私に教えてくれたのは紛れもなく映画だったが、現実はスクリーンのようにはいかないようだ。今回の悲劇に対して、センチメンタルな追悼だけでは何の意味もないが、今すぐ観客ができる術は、亡くなった彼を蘇らせるため再生ボタンを押し続けること。不器用、愚か、どうしようもない人たち。皆全員、無分別で不寛容な社会をふてぶてしく生きていこうと書き継いでいくのだ。
「全部なんともない。
恥ずかしいこと、人生ダメになったと人々がひそひそ話すること、
全部なんともない。
幸せに生きれる。俺はダメにならない。
幸せになるんだ。幸せになるよ。」(ドラマ「マイ・ディア・ミスター ~私のおじさん~」)
アルノー・デプレシャン (映画監督)
順不同
- 『TAR ター』トッド・フィールド
- 『枯れ葉』アキ・カウリスマキ
- 『アステロイド・シティ』ウェス・アンダーソン
- 『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』マルコ・ベロッキオ
- 『Le Règne animal』トマス・カイエ
読み解くことを止められない5つの寓話である5本の映画。『TAR』の息をのむような名人芸、カウリスマキのラディカルなまでの裸形、ベロッキオの語りへの激情、『Le Règne animal』の若さと雑種さへの賛美。そして当然語るべき『アステロイド・シティ』。ウェス・アンダーソンは、砂漠の真ん中で、光の中で、心に響くメランコリックなユートピアを作り上げた。空から梯子で降りてくる奇妙なエイリアン、母親を埋葬する3人の少女、劇場のバルコニーで行方不明になった女性......。それらはすべて、私たちの人生の魔法のような反映だ。
板井仁 (NOBODY)
映画ベスト(見た順)
- 『サントメール ある被告』アリス・ディオップ
- 『ここではないどこか』ミコ・レベレザ
- 『ミュージック』アンゲラ・シャーネレク
- 『ファースト・カウ』ケリー・ライカート
- 『黄色い繭の殻の中』ファム・ティエン・アン
『サントメール ある被告』は、表象においてこれまで後景あるいは周縁へと追いやられてきた黒人女性を中心に置くことを試みている。それに対し『ファースト・カウ』は、むしろ隠蔽することによって彼女ら/彼らを浮かび上がらせていて、それぞれの手法に魅了された。山形で観た『ここではないどこか』は、アメリカにおいて「不法」な移民状態に置かれていたミコ・レベレザが、アメリカを見限って、フィリピン、そしてメキシコへと移動する自身の歩みを、エッセイ映画のような形式で映し出してゆく。どちらも映画祭で見た『ミュージック』や『黄色い繭の殻の中』は、最初から最後まであらゆるショットが美しく、本当に痺れてしまった。その他、『猫たちのアパートメント』(チョン・ジェウン)、『ホワット・アバウト・チャイナ?』(トリン・T・ミンハ)、『サムサラ』(ロイス・パティーニョ)などが印象的だった。
その他
- パレスチナ/イスラエルをめぐる問題について
ジェノサイドを止めるために、私たちには何ができるだろうか。圧倒的な暴力を前にして無力感をいだいても、できることをやっていくしかない。イスラエルの建国/パレスチナの破壊について改めて学ぶために、早尾貴紀『パレスチナ/イスラエル論』(有志舎)は参考になった。他にも、イラン・パペ『パレスチナの民族浄化』(田浪亜央江・早尾貴紀訳、法政大学出版局)、岡真理『彼女の「正しい」名前とは何か』(青土社)、など。また、鵜飼哲の一連の著作も読み返した。
- 動物倫理について
ジェノサイドの暴力は、生きるべきもの/死ぬべきものとを区分することよって正当化されている。そのような人種主義のシステムを理解するうえで動物倫理は不可欠だと思う。井上太一の仕事は本当に色々なことを教えてくれた。井上太一『動物倫理の最前線:批判的動物研究とは何か』(人文書院)、ジェームズ・スタネスク&ケビン・カミングス『侵略者は誰か?』(井上太一訳、以文社)、ディネシュ・J・ワディウェル『現代思想からの動物論:戦争・主権・生政治』(井上太一訳、人文書院)など。また、重なるが鵜飼哲の仕事も参考になった。ジャック・デリダ『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』(鵜飼哲訳、筑摩書房)、鵜飼哲編『動物のまなざしのもとで:種と文化の境界を問い直す』(勁草書房)など。
- あんず文庫(大田区大森)
今年もたくさんの本を買った。いつもお世話になっている。
梅本健司 (NOBODY)
見た順
- 『マジック・マイク ラストダンス』スティーブン・ソダーバーグ
- 『アルマゲドン・タイム ある日々の肖像』ジェームズ・グレイ
- 『バーナデット ママは行方不明』リチャード・リンクレイター
- 『ファースト・カウ』ケリー・ライカート
- 『ショーイング・アップ』ケリー・ライカート
ついにミュージカルに行き着いてしまった『マジック・マイク』シリーズにはバークレイからアステアへの移行のようなものが圧縮されている気がする。それまでのフィルモグラフィに対する見方が変わってしまうことや次作を撮ることが困難になることも厭わない『アルマゲドン・タイム』の覚悟。鮮やかな力技『バーナデット』。解消し難い絆のなかで、誰にも理解してもらえないことを映画にしか見せられない機微で描いているライカート。ヴェテランたちが傑作を狙わずに相変わらず自分のできる範囲で映画を撮り続けていることに感動した年でもあった。
その他ベスト
旧作
- 『アンニー可愛や』ウィリアム・ボーダイン、1925年
突然訪ねてきた警官の顔をアンニーが怪訝そうに見つめてから、やがてなにかを悟り、「It is Tim(兄) or Dad?」と尋ねる場面。危険と隣り合わせの下町で勇ましく育った彼女なら、顔を曇らせた警官を前にして、簡潔に事態に気づき、そのように尋ねるはずだと納得させられる。ちなみに同じようなやりとりがたまたま見返したグレイの『アンダーカヴァー』にもあった。
文章
- Tom Gunning “M: The City Haunted by Demonic Desire”(The Films of Fritz Lang: Allegories of Vision and Modernity 所収)
ひとつの作品を論じるとき作品の具体にどれだけ触れるべきなんだろうと考えながら、今年はいろいろな文章を読んだが、ガニングの『M』論はほぼすべての場面に触れていて、論じる順番も見事で感動した。何度も読んでしまう。
トーク
- 「ジョアン・セーザル・モンテイロを語る」(登壇:塩田明彦、クリス・フジワラ、土田環)
今年はそこまでトークイベントに参加できなかったが、登壇者たちが作品にそれぞれ異なるアプローチをしながら、信頼し合い、一番ノっていたのがこのトークだった。
プレミアリーグ
- アンジ・ポステコグルー/トッテナム
- ウナイ・エメリ/アストンヴィラ
今季のプレミアで想定より上手くいっているのがこの2チーム。ポステコグルー/トッテナムのサッカーは選手たちの一瞬のひらめき頼っていたヴェンゲル/アーセナルにいま一番近い。エメリ/アストンヴィラは欠陥のあるハイライン戦術だが、いまのところ対応されずに済んでおりシーズン終盤どうなるか。
岡田秀則 (フィルムアーキビスト)
映画ベスト
- 『EO イーオー』イエジー・スコリモフスキ
- 『アル中女の肖像』ウルリケ・オッティンガー
- 『月の寵児たち』オタール・イオセリアーニ
- 『枯れ葉』アキ・カウリスマキ
- 『福田村事件』森達也
画家でもあるスコリモフスキの画集をもらった。”In Painting I Can Do Anything”という展覧会(やはり映画作りは絵画より不自由らしい)の図録だが、もっと大きなカンヴァスで描きたいという試みを繰り返していたらほぼ映画のスクリーンの大きさになってしまったという。人は歳を重ねると成熟するというがこの人は違う。『EO イーオー』の攻め具合はまさにそれである。『アル中女の肖像』の、薄汚い西ベルリンの街頭で、政治的孤島で生きることの表現として、主体の尊厳として誇り高く酒をかっ喰らう姿がただ格好よかった。いきなり登場する若いニナ・ハーゲンの、歌というより講談みたいだが、声の張りも最高だった。
『トリとロキタ』(ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ)はロキタ役の少女の身のこなしが素晴らしく、アクション映画としても舌を巻いた。実は最大の衝撃は『独裁者たちのとき』で、すでに昨年少し述べたので割愛かと思ったが(当時の仮題は『フェアリーテイル』)、ソクーロフも恐るべきお年寄りで、「液体としての民衆」というデジタルナイトメアを存分に見せてくれた。『Perfect Days』は製作の経緯を聞いてしまうとやや萎えるが、車の中から路上を捉えるショットはやはりヴェンダースで、東京の風景が新しかった。あとは『遺灰は語る』(パオロ・タヴィアーニ)や『それでも私は生きていく』(ミア・ハンセン=ラブ)、『TAR ター』(トッド・フィールド)などなど。
その他ベスト
- 『キムズ・ビデオ』(映画)
山形国際ドキュメンタリー映画祭にて。ニューヨークにあった伝説のビデオレンタル店のその後を追うドキュメンタリーだが、なんでこんな話がシチリア島のマフィアを背景にした汚職問題に絡んでくるのか。なんで監督がそういう連中に抹殺されそうになるのか。まさに小説より奇だったが、幻のビデオとして挙げられた中に鈴木清順『悲愁物語』があったりして、ここが本気の店だったことがよく分かった。ニューヨークへ行けたら復活したキムズ・ビデオを訪れてみたい。VHSデッキまで貸してくれるらしい。
- 「娯楽映画の黄金時代・宣材に見る日欧映画交流」(展覧会)
会場はインスティトゥト・セルバンテス東京。日本の怪獣・恐怖・SF映画のスペイン版ほか欧州各地の宣材、そしてB・C級ヨーロッパ映画の日本版宣材をたんまりと展示。今や高額で取り引きされるという『ゴジラ』第1作のスペイン初版からスタート、結局映画化されなかった日英合作『ネッシー』のB全の予告ポスター、『ゴジラ対メカゴジラ』なのにそっちが「キングコング対ゴジラ」というデタラメな題で公開された西ドイツ版ポスター、極めつけは『海底軍艦』なのに主演は植木等とハナ肇(クレージーキャッツ映画と一緒に輸出されて混同?)という巨大凡ミスのポスター…。日欧映画交流を口実にしたトンデモマニア空間であった。
- 「PUNK! The Revolution of Everyday Life」(展覧会)
レトリスム、シチュアニシオニストに端を発し、パンク・カルチャーとその政治的展開を現在までたどる、小さいけれどシビれる展示。パンクでも、商業化したセックス・ピストルズやクラッシュは相手にしない。アナルコ・コミュニティから生まれ、それを維持してきたクラスが主役である。今は欧米だけではない。東南・南アジアの連中がいかにパンクを欲しているか。軍政クーデター直前のミャンマー・シーン(彼らは冗談ではなく『ヤンゴン・コーリング』を歌う)、そしてイスラム原理主義による弾圧のど真ん中を生きるアチェのパンクシーンも熱かった。
- 「合田佐和子展 帰る途もつもりもない」(展覧会)
廃材オブジェから、ハリウッド女優のポートレート油絵へ、幻想絵画へ、唐十郎と寺山修司の舞台美術へ、ポラロイド写真へ。展示の次のコーナーへ移る度に自然に身を翻してくるその優雅さがたまらない。転身を重ねても創造の軸を崩さない強さも感じさせる。描く俳優でいちばんの執着はマレーネ・ディートリヒ、ヴェロニカ・レイクあたりで、どれも緊張感に包まれているが、『モーニングコール(オシリスとしての三國連太郎)』という絵は気が遠くなりそうだった。
- 「衣裳は語るー映画衣裳デザイナー・柳生悦子の仕事」(展覧会)
サラリーマン喜劇の森繁久彌も、ひばり・チエミ・いづみの三人娘も、無法松も、忠臣蔵も、はては地球を襲撃するナントカ星人まですべてこの方のデザインした服を着ていた。映画のコスチュームとは、一つの衣裳だけが突出してはならず、各キャラクターの一貫性に配慮しつつ、複数の人物を同一フレームに捉える際の効果も念頭に入れなければならない難しさがある。コスチューム原画の一枚一枚が宝石のように輝いていた。これは2024年3月まで見られる。
荻野洋一 (番組等映像演出/映画評論家)
映画ベスト
- 『主人公』サタジット・レイ(国立映画アーカイブの現行カタカナ表記ではベンガル語発音に忠実なショットジット・ラエ/1966)
- 『ドン・カルロスのために』ミュジドラ&ジャック・ラセーヌ(1920)
- 『清掃する女:亡霊』七里圭(2023)
- 『ストレンジ・ウェイ・オブ・ライフ』ペドロ・アルモドバル(2023)
- 『若き仕立屋の恋』王家衛(ウォン・カーウァイ/2004)
2023年公開の新作ベストテンについては「リアルサウンド」で既発表(ネット配信作品も選考対象)、そして日本映画&外国映画それぞれのベストテンおよび主演女優賞、新人男優賞などといった個人賞各賞については「キネマ旬報」(2/5発売)で発表予定であるため、「NOBODY」では荻野にとっての純粋な初見ベスト5本を選出する。国立映画アーカイブで見た1位『主人公』は、列車内での人間描写がとても大人。ショットジット・ラエ(サタジット・レイ)の映画は意外と見ていないので、今後はもっとたくさん見ていけたら。ちなみに彼の『チャルラータ』(1964)は筆者が最も愛する映画の1本である。3位『清掃する女:亡霊』は早稲田小劇場どらま館での限定上映だったため、「リアルサウンド」でも「キネマ旬報」でも選考対象にならなかったが、2023年日本映画新作で最も刺激的な作品である。
その他ベスト(飲食)
- カランドリエ(大阪 堺筋本町/フレンチ)
- ラ・ターブル・ドゥ・ジョエル・ロブション(東京 恵比寿/フレンチ)
- 浪速割烹 㐂川(大阪 法善寺横丁/大阪料理)
- Due Ligne+(東京 市谷柳町/イノベーティブ)
- リストランテ・ダ・ニーノ(東京 乃木坂/イタリアン)
映画、飲食以外の諸ジャンルについてもベストを。
- 本ベスト=『青山真治クロニクルズ』責任編集・樋口泰人(リトルモア)
- 美術展ベスト=椿椿山[つばき・ちんざん]展 軽妙淡麗な色彩と筆あと(板橋区立美術館)
- 舞台ベスト=『クレイジー・フォー・ユー』劇団四季(KAAT神奈川芸術劇場)
- テレビベスト=『フィルメンタリー』(テレビ東京)
- 音楽ベスト=『Newband play Partch, Pugliese, Drummond, Rosenblum and Thelonious Monk』ニューバンド(mode records)
- スポーツベスト=サッカー国際親善試合 ドイツ1-4日本(フォルクスヴァーゲン・アレーナ)
- 待望するものベスト=2024年早春刊行予定の初の単著(これまで書いた映画評論の撰集)
飲食ベスト1位の「カランドリエ」と3位「㐂川」は、大阪への美術館巡り旅行に発つ前に予約しておいた店。数年前に訪れて感動した法善寺横丁の「㐂川」はこれで2度目訪問。ところで私はふだん“お一人様フレンチ”というのをよくやってしまうのだけれども、今回初訪となった堺筋本町の「カランドリエ」もそう。当然まわりはカップルやグループばかりで、全身黒ずくめのジェンダーレス衣装の浮きまくっているお一人様を、大阪の人たちは不思議そうに眺めていたが、そんなアウェー気分も旅情という名の調味料である。ソムリエの方とは、ワインのことや食材のことを語るだけでなく、食器を仏リモージュの磁器窯ベルナルド(Bernardaud)で揃えているわけを尋ねたりして、素晴らしい時間を過ごすことができた。
音楽ベストのニューバンドは現代音楽の室内楽アンサンブルの名前で、シンプルすぎて逆に変な名前だと思う。ある音楽評論家が彼らの録音スタジオを訪ねたら、見たこともない世界中のあらゆる楽器が用意され、それらを駆使しての壮絶な録音はカルチャーショックだったとのこと。NYの現代音楽レーベル「mode records」からリリースされるアルバムはすべて良いが、これは出色の出来。
「待望するものベスト」は例年、石田民三レトロスペクティヴ要望とか伏水修の再評価とか、旧作邦画についての言及が多かったように思うが、今年は手前味噌で恐縮ながら初の拙著を挙げた。刊行を提案してくださった出版社には足を向けて寝られない。
オリヴィエ・ペール (アルテ・フランス・シネマ ディレクター)
- 『夜のロケーション』マルコ・ベロッキオ
- 『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』マーティン・スコセッシ
- 『波が去るとき』ラブ・ディアス
- 『L’Eté dernier』カトリーヌ・ブレイヤ
- 『枯れ葉』アキ・カウリスマキ
斉藤綾子 (映画研究)
映画ベスト5
- シャンタル・アケルマン映画祭2023
- メーサロシュ・マールタ特集
- ウルリケ・オッティンガー特集
- 『ウーマン・トーキング 私たちの選択』サラ・ポーリー
- 『枯れ葉』アキ・カウリスマキ
お声がけがあってとにかくびっくりしましたが、なんでもランクをつけるのが苦手で「ベスト5」と言われただけで、身がすくんでしまう。記憶力は衰えるばかりで、記録を確認しないと、今年見たのか、去年見たのかも判らない時間的なワープに陥ってしまう。なので、まず今年の上映ですぐ頭に浮かんだものを挙げると、特集上映が占める。他にも、デプレシャン特集とかジャック・ロジエ特集、ポーランド映画祭で見たデジタル・リマスターの『バリエラ』と短編『ホームシック』(以上、イエジー・スコリモフスキ)が素晴らしかったし、日仏学院「映画 気象のアート」で見たジャン・エプシュテインのブルターニュ三本も忘れられない(特に『テンペスト』が素晴らしかった)。ケリー・ライカートは『ファースト・カウ』より『ショーイング・アップ』が好きだ。今年公開の新作は結局『枯れ葉』に落ち着いた。年末に見た『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』は原作が超面白く、映画の翻案という点でもスコセッシ版は興味深かった。韓国で見た『オッペンハイマー』(クリストファー・ノーラン)が来年公開されるのは嬉しい。いろいろな意味で見ごたえがあった。国立映画アーカイブの女性映画人、アカデミー・フィルム・アーカイブ 映画コレクションが楽しかった。番外では『セールス・ガールの考現学』(センゲドルジ・ジャンチブドルジ)も思わぬ発見だった。と結局、全然ベスト5ではないか、というところに落ち着きました。
その他ベスト5
- 竹内公太・志賀理江子「さばかれえぬ私へ Tokyo Contemporary Art Award 2021-2023 受賞記念展」@東京現代美術館
- 「風景論以後」@東京都写真美術館
- 「【企画展】BOW(バウ)シリーズの全貌―没後30年 川喜多和子が愛した映画」@川喜多映画記念館
- 「ヴィジュアル・プレジャー:ローラ・マルヴィとピーター・ウォーレンのシネマ」(2023/10/7)
- ザ・ニュースペーパー35周年公演(2023/12/10)
こちらも振り返ると、もともと活動的ではないのに夏に骨折をしたりして活動が低下してしまいました。1. は東日本大震災後に宮城と福島で制作を続けるアーチスト二人の展示。全く違うアプローチで、過去と今が交錯するインスタレーションが印象的だった。2.は『略称連続射殺魔』(足立正生)のデジタル版がきれいだった。特別上映は山形国際ドキュメンタリー映画祭と重なって行けずに残念。3.は BOWシリーズの凄さを再認識、4.は上映には行かなかったが仙台で自主映画上映活動をするNowsreelの企画。5.は毎年恒例のコント集団「ニュースペーパー」の公演。笑った。
作花素至 (NOBODY)
映画ベスト5
- 『ベネデッタ』ポール・ヴァーホーヴェン
- 『EO イーオー』イエジー・スコリモフスキ
- 『首』北野武
- 『タタミ』ザル・アミール、ガイ・ナッティヴ
- 『ファースト・カウ』ケリー・ライカート
見た順。2023年はあまり映画館に通えず「巨匠」の名前ばっかりあてにしていました。それでも東京国際映画祭の『タタミ』などは、不意に遭遇できて嬉しくなるような映画でした。あとは『君たちはどう生きるか』(宮﨑駿)がつまらなかったのがショック。1.権力闘争大好き。2.見る者としてのロバの意識を感じさせるけれど、明らかにロバの視覚の模倣ではないような不思議なショットの数々が素晴らしかった。3.アウトレイジシリーズだと見られなかったたけし本人の道化ぶりが嬉しい。4.「柔道映画」ではないのが良かった。5.最初の森の中で現在/過去、主観/客観をふっと飛び越えるショット連鎖から魅了されました。あとすごく腹が減りました。
旧作映画ベスト
- 『永遠のガビー』マックス・オフュルス
- 『燃える平原児』ドン・シーゲル
- 『穴の牙』鈴木清順
- 『波の盆』実相寺昭雄
- 『悪い子バビー』ロルフ・デ・ヒーア
劇場や上映会で見た順。1.インダストリアルなリズムに圧倒される。バルブを回すと天井から下りてくる淫らなゴムの麻酔吸引器が印象的。2.レイシズム。西部はクソ。3.木村威夫や池谷仙克による大掛かりな装置とは正反対のミニマルなセットでも最大の効果を上げる清順。高さの違うベッドが「自動」で三台並ぶショットなんか天才だと思う。4.実相寺、倉本聰、ハワイという組み合わせが異様。号泣する笠智衆を初めて見た。5.サランラップ映画。『ウルトラマンマックス』に出てきた、外敵のどんな攻撃も吸収して自分の武器にしてしまうせいで絶対に倒せない怪獣〈イフ〉を思い出させるバビー。
特集では、個人的に一番足繫く通っていたのはソクーロフの過去作のフィルム上映@ユーロスペースでした。
坂本安美 (映画批評、アンスティチュ・フランセ日本 映画主任)
映画ベスト
(2023年に日本で上映・紹介された作品より、順不同)
- 『小説家の映画』+『水の中で』(東京フィルメックス)ホン・サンス
- 『私の大嫌いな弟へ ブラザー&シスター』アルノー・デプレシャン
- 『TAR/ター』トッド・フィールド
- 『自画像:47KM 2020』章梦奇ジャン・モンチー(山形国際ドキュメンタリー映画祭)
- 『犯罪者たち』ロドリゴ・モレノ(東京国際映画祭)
- +『イノセント』ルイ・ガレル(特集上映「第5回映画批評月間」)
物語もフォルムもどんどん削ぎ落とされ、くだらないとさえ思えるやり取りが繰り返される中で、人生の、創造の、あるいはその二つが交わるエッセンシャルな瞬間が訪れるホン・サンスの作品、ますます見逃せない。「私たちは他者を、世界を本当に認識することができるのだろうか」、私的かつ政治的な問いに映画的方法で挑み続けるデプレシャンの『ブラザー&シスター』は何度見てもワクワクさせられる。一瞬のうちにイメージや思考が崩れ、ノイズだけになっていく世界で、リディア・ターという映画の登場人物、あるいはケイト・ブランシェットという女優がそれでも耐え抜いていく『TAR/ター』に感嘆。パンデミックで閉じられた世界のはずが、季節が移ろい、変化していく山々、そこで生活する人々、体を動かし、映画を見たり、撮ったりする人たちの日常のなんと豊かで楽しいことか(『自画像:47KM 2020』)。『犯罪者たち』と『イノセント』はそれぞれがいくつものジャンルを清々しく横断していて、映画の若さを感じさせてくれた。
その他ベスト5
- 「女性形のシュルレアリスム?Surréalisme au féminin ?」展(展覧会)
美的・倫理的な刷新を引き起こしたのは男たちだけではない!パリ、モンマルトル美術館にて2023年3/31から9/10まで開催された本展は世界各国から集めた約50人の女性のアーティスト、ビジュアルアーティスト、写真家、詩人の作品を紹介、大成功を収めた。コミッショナーはアリックス・アグレとドミニク・パイーニ。
- ジャン=マルク・ラランヌ著『デルフィーヌ・セリッグ Delphine Seyrig, en constructions』カプリッチ出版(本)
これまでも女優、俳優を通して映画史を語ってきた優れた批評家ラランヌ が、セリッグという女優、監督、人物を通して、演じること、スターであること、そしてジェンダーの問題について論じる刺激的な書。
- 鳥せん(お店)
山形国際ドキュメンタリー映画祭中にふらっと友人に誘われて訪れたフォーラム裏の路地の小さな焼き鳥屋さん。無愛想ながら味のある大将のお料理やお酒は美味しく、そこに偶然居合わせた映画祭参加者の方々の語らいも楽しく、これぞ山形、と短くも幸福な時間を過ごした。また来年訪れたい。
- 『アンニー可愛や Little Annie Rooney』(ウィリアム・ボーディン、1925)(旧作)
メアリー・ピックフォード演じるアンニーは昨年のわたしのベスト・ヒロイン。
- 「映画、気象のアート」(特集上映)
昨年の夏、東京日仏学院、横浜シネマジャック&ベティで開催した特集。ジャン・エプシュテインやジャン・グレミヨン、エリック・ロメール、相米慎二などの作品をまとめて見ることで「気象のアート」としての映画をあらためて考察でき、幸福な特集だった。
特集上映といえば、サッシャ・ギトリ特集がシネマ・ヴェーラ、そして下高井戸シネマで実現できたこともこの上なく嬉しかった。2024年もギトリのブームを起こしたい!
鈴木里実 (刺繍作家/映画館スタッフ)
映画ベスト(鑑賞順)
- 『AIR/エア』ベン・アフレック
- 『ハロウィン THE END』デヴィッド・ゴードン・グリーン
- 『春に散る』瀬々敬久
- 『ドミノ』ロバート・ロドリゲス
- 『アポロニア、アポロニア』レア・グロブ
- 『枯れ葉』アキ・カウリスマキ
完全に私的な、毒にも薬にもならないベストで大変恐縮ではありますが、誰の共感も求めませんので安心して聞いてください。
今、ワーナーのロゴから始まる映画を安心して任せられる顔つきがベン・アフレックの他にいるでしょうか。監督作としては前作『夜に生きる』の方が秀逸でしたが、自作でマット・デイモンを引き立たせておいて、自分はテロテロピンクの短パンに悪趣味パープル車で登場してしまうベンアフは最高以外の何者でもありません。そんなベンアフの一挙手一投足を、そして1カット1カットを反芻&再構築していくドミノは、映画を見るという行為自体も含めて楽しくてなぜだか涙が出てきてしまいました。
これぞSDGs、かつての資源を再利用し新たな価値を生み出すアメリカ映画の正当な続編職人となってしまったDGGの一つの到達点を見た『ハロウィン THE END』、これほどまでに悲しいマイケル・マイヤーズを見たことがありません。『エクソシスト 信じる者』の方は微妙でしたが、今後の展開にはとても期待しています。衝撃だったのは『アポロニア、アポロニア』で、被写体と被写体が生み出す作品と監督の自我が三つ巴の戦いを繰り広げる様はこれまでに出会ったことのないような感覚をもたらしてくれました。
今もどこかで起きている戦いや災いを知らせるラジオのチャンネルを、私はすぐに切り替えることはできますが、耳を澄ませて色々な声を聞けるようにしていたいと思った『枯れ葉』での締め括りでした。
その他ベスト
杉並区の大衆中華料理店4選
食に対するこだわりが低く映画館のロビーの隅っこでコンビニおにぎりをこっそり食べているような人間ですが、自分が得たこの限られた金銭をどこにどう誰と使うか、ということをいつもより考えた最近の結果として現れたのがこの4選です(映画ベストと合わせて計10になるよう4にしました)。
- 中華屋 櫂ちゃん
店主がいかつくて緊張します。緊張しながら食べるなんてそんなの嫌、と最初は思っていましたが、長年培われてきたであろう土台に研究された味と技が加わり、気が付けば緊張感も良い薬味となってなんだかんだ行ってしまいます。
- 三久
チャンポンメンというどこに主張があるのか不明な、なのに癖になる麺を食べてふと顔を上げると目の前の壁になんと由利徹のサインがありました。女将さんに伺ったところ由利さんはこちらの常連さんだったそうで、由利徹にも三久にも運命を感じずにはいられません。
- 中華料理 味楽
びっくりするほど家で作れそうな味楽麺の味は置いておいて、注文のラーメンをゆっくり運んでくるおじいちゃん店主が、注文した方の隣の客にそのスープをこぼしてしまい店主とラーメン客でスープを一生懸命拭いているのにこぼされたその客だけはひたすら無言で食べ続けていて、すごいところだと思いました。行けば必ずドラマがある店です。
- 中華料理 タカノ
オムライスが素晴らしいのですが必ずお腹を空かせてから行ってください。チャーハン&唐揚げセットなら尚更です。味とボリュームと値段のバランスがおかしくて、壁に何種類も貼ってあるカレンダーも誰かの実家みたいで良いのです。
鈴木史 (映画監督・文筆家)
映画ベスト
- 『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』ブレット・モーゲン
- 『ショーイング・アップ』ケリー・ライカート
- 『アルマゲドン・タイム ある日々の肖像』ジェームズ・グレイ
- 『ベネデッタ』ポール・ヴァーホーベン
- 『20000種のハチ』(公開題『ミツバチと私』)エスティバリス・ウレソラ・ソラグレン@TIFF
年明け早々インフルエンザにかかりました。38度台後半の高熱が出続けて、しかもお正月で病院が軒並み休み。こういうときの一人暮らしはけっこうハードコアです。10日程かかってようやく平常運転になりましたが、今度は左目の下が腫れています。厭世的な気分になりながらも、ずっと見られずにいた2.をヒューマントラストシネマ渋谷に見に行ったら、じんわり良かったです。病み上がりで筋を追う余裕はありませんでしたが、主人公が、隣人作の糸を編んだ立体作品を「すごいなぁ」という感じで見上げているシーンを見て、私もこんなふうにいろんな作品を「すごいなぁ」という感じで見上げてきたなぁと思い、もう無くなってしまった原美術館やBankART Studio NYKの雰囲気や匂いを少しだけ思い出しました。私はインスタレーションも作るのですが、他人もこんなふうに自分の作品を見てくれたらいいなと思います。ですが、鑑賞者の「すごいなぁ」という感じを自分で知覚することはできないので、いつも少し不安です。作品を作ったり見せたりすることは、作品を見ることよりもずっと孤独だと、よく思います。
1.は、使われている過去の映画の選定がザックリしてるなーって思いましたが、デヴィッド・ボウイが「自分に厳しすぎるだけだ!」とスクリーンのなかで叫んでいて、どうでもよくなりました。映画館の暗闇にボウイの身体が現前しています。SNSでは見られません。歌は命です。
旧作では、ニナ・メンケス『クイーン・オブ・ダイヤモンド』、トマス・グティエレス・アレア『悪魔と戦うキューバ人』、シャーリー・クラーク『ジェイソンの肖像』、パウロ・ローシャ『心の根』、ジョン・フォード『戦争と母性』、キラ・ムラートワ『無気力症シンドローム』、ペーター・ネストラー『時の擁護』、ジャック・ロジエ『トルテュ島の遭難者たち』、ダニエル・シュミット『天使の影』、サッシャ・ギトリ『これで三度目』、井上金太郎『月夜鴉』が心に残りました。
その他ベスト
- 友達と『バービー』を見に行った(行為)
女友達と3人でTOHOシネマズ新宿に見に行きました。全員遅刻したけど、シネコンは予告が長いので、3人で座席に着いた瞬間に本篇が始まって、その時点で気分がアガりました。私ともう1人は一応ピンク身につけて行ったんですが、TOHOシネマズのロビーはもっとガチめのピンクルックのティーンで埋め尽くされてて凄かった。映画自体のことはほぼほぼ忘れましたが、なんとなくこの瞬間が楽しくて、嬉しかったです。
- 小宮さんと鈴木さんが花束をくれた(瞬間)
友達の小宮りさ麻吏奈さんと鈴木千尋さんが、誕生日(の翌日)に素敵な花束をくれました。今もドライフラワーにして、部屋の隅に飾っています。セルフポートレートにも使いました。ふたりは映画も撮っていて、小宮さんはトーチwebで『線上のひと』という漫画を連載中です。毎回楽しみに読んでいます。
- 『完本 みちくさ日記』(漫画)
道草晴子さんの漫画。そういえばこれもトーチweb発です。友人の平林禄さんに勧められて読みました。読み終わるまでに、1リットルくらい泣きました。
- 疲れた大人がシャボン玉を吹くだけの動画(動画)
田島ハルコさんがシャボン玉を吹く動画です。後半、お金を落とした話をしています。
- 志賀理江子 竹内公太「さばかれえぬ私へ Tokyo Contemporary Art Award 2021-2023 受賞記念展」(東京都現代美術館/3月18日~6月18日)(展示)
志賀さんの展示のテクストを読んで、手前にいたカップルが「中央集権まで来ちゃったよ……」と途方に暮れていました。竹内さんの展示は、ハルーン・ファロッキの影響が見て取れ、なかなかにソリッドです。でも、ご本人の近影はモヒカンです。
さて、去年は首都圏で展示をできましたが、今年はちょっとした映画を撮ろうと思います。長編の企画はなかなか進みませんが、地道にやっていきたい。それから、今年はどこかでお茶を習いたいなと思っています。書棚の叢書・ウニベルシタスをすべて売り払えば、月謝の半年分くらいにはなると思っています。
千浦僚 (映画文筆)
映画ベスト
- 『きのう生まれたわけじゃない』福間健二
- 『花腐し』荒井晴彦
- 『Revolution+1』足立正生
- 『福田村事件』森達也
- 『首』北野武
洋画ベスト
- 『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』マーティン・スコセッシ
- 『VORTEX』ギャスパー・ノエ
- 『ベネデッタ』ポール・バーホーベン
- 『カード・カウンター』ポール・シュレイダー
- 『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』ダニエル・クワン、ダニエル・シャイナート
このほかには『BAD CITY』『聖闘士星矢 The Beginning』『上飯田の話』『王国(あるいはその家について)』『あずきと雨』『二人静か』『人形たち Dear Dolls』『ディス・マジック・モーメント』『クオリア』(以上邦画)、『カンフースタントマン 龍虎武師』『SHE SAID その名を暴け』『ダークグラス』『バービー』『イコライザー3』『ジョン・ウィック4』『トランスフォーマー/ビースト覚醒』『イノセント』(ルイ・ガレル監督)『香港の流れ者たち』『不愉快な話』(旧作。ジャン・ユスターシュ監督)(以上洋画)などが強く印象に残りました。
2023年 都内映画上映特集ベスト
- 「大木裕之と今泉浩一の上映会、のようなもの」(4月 北千住BUoY)
- ルイス・ブニュエル特集(8月 シネマヴェーラ渋谷)
- ジャン・ユスターシュ映画祭パート2(10月 日仏学院エスパスイマージュ)
- 「Not Born Yesterday 福間健二監督特集 1969‐2023」(12月 ポレポレ東中野)
- 12/20荒木太郎監督・映画『ハレンチ君主』上映中止あげく「廃棄」事件 裁判報告会(ネオ書房@ワンダー神保町店)+12/22~28シネロマン池袋「映画館を舞台にした映画』3本立て(『いんび快楽園 感じて』池島ゆたか監督、『下ネタトリオ マドンナを狙え』竹洞哲也監督、『人妻がうずく夜に 身悶え淫水』荒木太郎監督)
いろいろググっていただくとして、ひとつ補足すると、2018年2月16日に公開予定だった『ハレンチ君主 いんびな休日』(監督・脚本荒木太郎、脚本いまおかしんじ、出演池島ゆたか)(『ローマの休日』でヘップバーンが演じたアン王女にあたる人物を天皇に似たキャラクターにして展開するピンク映画)が大蔵映画・オーピー映画によって公開中止にされ、雑誌「週刊新潮」が同作に関する真実とは異なる記事を発表したことについて、2020年に荒木氏いまおか氏が原告となり大蔵映画と新潮社に対して起こした裁判は23年9月にとりあえずの法的な結論が出ました。それはいささか残念なものでしたが。しかしこの裁判自体を“近年最大級の右派による表現弾圧と忖度に堂々と抗した稀な例であり、今後のその手の扇動と圧力への抑止となるもの”と評するジャーナリズムもありますし、私もそれにまったく同意です。荒木太郎監督ならではの真面目かつ楽しい報告会が行なわれたすぐ後に、現在オーピー映画からパージされている池島氏荒木氏の作品(傑作!)を上映し、彼らの存在をアピールするかに見えたシネロマン池袋の番組編成力を讃えたいと思います。
常川拓也 (映画批評)
映画ベスト
- 『バービー』グレタ・ガーウィグ
- 『孔雀』ピョン・ソンビン
- 『女性たちの中で』シルビア・ムント
- 『パワー・アレイ』リラ・ハラ
- 『The Holdovers』アレクサンダー・ペイン
アレクサンダー・ペインの最もエレガントで優しい『The Holdovers』が「歴史とは単に過去の研究ではなく、現在を説明するもの」と言う通り、現在を理解するために、私たちは過去から始めなければならない。このことは政治腐敗、戦争/虐殺、数多のハラスメントが渦巻く現在において、一際重要だろう。
現代プロチョイス映画を関心を持って追い続けてる者ものとしては、2023年は、『女性たちの中で』と『パワー・アレイ』が重要だった(両作ともクィア映画でもある)。スペインで中絶が違法だった1977年を舞台にした前者は、当時の女性と中絶の権利の闘争を描きながら、中絶ロードムービーとしてヴェイユ法制定直後のフランスに向かう=時代的に『あのこと』に接続され、フェミニズムの歴史的記憶が重層的に浮かび上がって見えた。後者では、多彩なクィアネスが祝福される一方で、ブラジルの中絶違法の障壁が高すぎてもはやスリラーと化していくことが興味深く(『私はヴァレンティナ』と通じるブラジルの極右イデオロギーからの反発が見られる)、中絶のための同伴者が父親である点も新鮮だった。
『あしたの少女』監督チョン・ジュリにインタビューした際、まだ若すぎて自身が置かれている状況を周りに打ち明けたり、克服することが困難な子どもたちのことを、大人たち、そして社会全体が認識する必要性を語ってくれたが、『孔雀』では保守的な田舎町でセクシュアリティが原因で子どもを孤立させないため、『The Holdovers』ではクリスマスに親にネグレクトされた子どもの面倒を見るため、大人が彼らの味方となる。映画がそのような親切を示すことがいま意義深いこととして響いた。
完璧なグレタ・ガーウィグ映画にして恐るべき傑作『バービー』は、暗い時代に最も多くの人々の灯火となり、私たちを救ってくれた映画だと信じている(束の間ながら彼女にインタビューできたことも幸福だった)。
ほか、『How to Blow Up a Pipeline』(ダニエル・ゴールドヘイバー)や『Alcarràs』(カルラ・シモン)が見せる人々の土地を収奪する資本主義への怒り、『犯罪者たち』(ロドリゴ・モレノ)が提起する資本主義というある種の牢獄の中で生きることへの問いも、強く心に残った。『Longing for the World』(ジェナ・ハッス)も小さな宝石のようで発見だった。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』の誰にでも人生にはセカンドチャンスがあるべきという姿勢もジェームズ・ガンだからこそ語り得るもので忘れがたい。
カルラ・シモンやシルビア・ムントほか、イザベル・コイシェ(『ひとつの愛』)、エスティバリス・ウレソラ・ソラグレン(『ミツバチと私』)、ハイオネ・カンボルダ(『ライ麦のツノ』)、エレナ・マルティン・ヒメノ(『クリアチューラ』)ら、スペイン女性監督の新たな波を一層実感した年でもあった。
何より、俗悪で意地悪な奴らが跋扈する最悪の時代に、『Alcarràs』を筆頭に、『おーい!どんちゃん』(沖田修一)『コット、はじまりの夏』(コルム・バレード)『リドル・オブ・ファイヤー』(ウェストン・ラズーリ)などの子どもたちに癒された。
その他ベスト
- 『セックス・エデュケーション』最終シーズン4(ドラマ)
メイヴがオーティスに言葉を残すように、このドラマは私のあり方を永遠に変え、どこへ行っても心の中に残り続けるであろう、生涯特別なドラマ。世界の残酷さやクィアの困難さに目を向けながら、4つのシーズンを重ねるごとに包括性を拡大してきた見事な青春ドラマの、アレサ・フランクリン版「Let it Be」とともに描かれる最後にしばらく余韻から抜け出せないほど胸を打たれ、涙が止まらなかった。「平気じゃなくてもいい」
- 『バリー』最終シーズン4(ドラマ)
完璧な終わりを見せた第3シーズンから、大胆な時間の飛躍とハリウッド風刺に驚かされた。全8話で監督を務めたビル・ヘイダーは、サスペンスの中で観客の予想を裏切る展開や視覚的なサプライズ、観客を引き込むカメラの移動や効果的な長回し(特に第4話の流砂による死が秀逸)、孤独を際立たせる撮り方などを随所に盛り込み、もはや現代のヒッチコックのように思えた。
- 『私の"初めて"日記』最終シーズン4(ドラマ)
有害な男性性の克服も努められながらみんな大団円を迎えていった最終シーズンで、実家から一人上京するときの気持ちなども思い出させてくれた。中年男性ナレーターが波乱を引き寄せる少女の迷いや間違いを笑い話や失敗談として常に見守るインド系アメリカ人女子高生版『ちびまる子ちゃん』であり、そのことを最終話でベンの部屋に貼られたウィル・ロジャースの格言がある種言い表しているかのようだった。“EVERYTHING IS FUNNY AS LONG AS IT HAPPENS TO SOMEBODY ELSE”
- 『サムバディ・サムウェア』シーズン2(ドラマ)
絶対に感傷的になったり教訓的に陥ってしまうことを避けながら、中年のプラトニックな関係を柔らかく描くドラマで、お互いにただ笑いと歌を楽しむ幸せなクィアな人々を見るのは安らぎだった。“人生は小音符があるからクレッシェンドが味わえる”
- OZROSAURUS「NOT LEGEND at YOKOHAMA ARENA」(ライブ)
2023年の日本語ラップ最大の事件であり、日本語ラップ史上の歴史的瞬間=「Player’s Player」でのMACCHOとKREVAの邂逅と和解に震えて感動した。”TRUE WORDS CAN SHAKE THE SOUL AND SAVE THE SOUL”
中村修七 (映画批評)
映画ベスト
- 『ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう』アレクサンドレ・コベリゼ
- 『独裁者たちのとき』アレクサンドル・ソクーロフ
- 『EO イーオー』イエジー・スコリモフスキ
- 『枯れ葉』アキ・カウリスマキ
- 『王国(あるいはその家について)』草野なつか
『ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう』において、キャメラは邪悪な呪いに打ち勝つ。コベリゼは、柔らかな光で街とそこで暮らす人々を捉えながら、撮ることへの肯定的な態度を貫いている。
『独裁者たちのとき』での、「独裁者」たちが煉獄をさまよう映像は悪夢そのものだ。実際の映像からなる「独裁者」たちのいる場所として最もふさわしいのが煉獄なのだろう。そして、「独裁者」たちが煉獄を脱け出て、天国へたどりつくことは決してないだろう。
『EO イーオー』のロバたちは、拘束を脱し、自由を求める本能に導かれるかのように逃走する。拘束を象徴するのが円環だ。円環とロバたちとの闘争において、ロバたちは円環の外へと逃走する。
前作『希望のかなた』で移民を救援する人物たちによる連帯を描いたカウリスマキは、『枯れ葉』では新自由主義と戦争の時代における連帯と愛を描いている。
以前に見た映画を改めて見てみると見た記憶があるシーンなりショットが見つからないということがあるが、そういったこととは違い、『王国(あるいは~)』は見ていないはずの映像を見たと思う錯覚の強度を高めていくような作品だ。登場人物たちが少女時代に過ごした時間や事件の決定的な瞬間の映像を『王国(あるいは~)』の観客が目にすることは絶対にないにもかかわらず、何度も繰り返し台本の読み合わせをする役者たちの姿を見ているうちに、事件に至る背景と動機の厚みがグングンと増していく。
美術展ベスト
- 「「前衛」写真の精神:なんでもないものの変容 瀧口修造・阿部展也・大辻清司・牛腸茂雄」@千葉市美術館
- 「マティス展 Henri Matisse: The Path to Color」@東京都美術館
- 「女性と抽象」@東京国立近代美術館
- 「石川真生 ─私に何ができるか─」@東京オペラシティ アートギャラリー
- 「堀江栞「かさぶたは、時おり剥がれる」@√K Contemporary
「「前衛」写真の精神」展では、大辻を中心に置いて、瀧口から大辻へ、大辻から牛腸へと至る精神の変容がたどられている。また、瀧口・阿部と大辻・牛腸との間にある一種の断絶も示している。
初期から晩期までにわたる数多くの作品が並ぶ「マティス展」では、初期にはドイツ表現主義と近しいところから出発したはずのマティスが官能性と歓びに向かう過程をたどることができた。
全25作からなる小企画ではあるものの、「女性と抽象」展は、展示された作品間の呼応が感じられる充実した展示だった。
なお、2023年は福島秀子の作品を見る機会の多い1年だった。「「前衛」写真の精神」展の関連企画「実験工房の造形」展でも、アーティゾン美術館の「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開」展でも、東京国立近代美術館「女性と抽象」でも、彼女の作品が目についた。
石川真生が「大琉球写真絵巻」を手掛け始めたのを知った時、沖縄の近現代史のうちに抵抗する人々の系譜を見出し、彼女自身もその系譜に連なろうとしているのだと思った。その後も制作が続けられパート10まで達する「大琉球写真絵巻」の最新作を見ると、今や彼女は同時代の抵抗する人々の記録者だ。
堀江栞の「かさぶた」シリーズの作品で描かれているのは、微かな存在感をもつ顔であり、未だ生まれざるもの、あるいは生まれつつあるものだ。100点以上に及ぶ「かさぶた」シリーズを見ると、繊細なものに触れる貴重さを意識せざるをえない。
新谷和輝 (映画研究/字幕翻訳)
映画
- 『Trenque Lauquen』ラウラ・シタレリャ
- 『アンヘル69』テオ・モントーヤ
- 『Pictures of Ghosts』クレベール・メンドーサ・フィリオ
- 『枯れ葉』アキ・カウリスマキ
- 『きのう生まれたわけじゃない』福間健二
映画を見るのがしんどい時期もあったけど、そのなかで忘れられない経験をくれた作品たちです。リスボンの映画館で必死に英語字幕に食らいつきながらあまりに面白くてうっとり呆気にとられた『Trenque Lauquen』は、もっと日本の人に見てほしいです。自分で上映したい。喪の映画だった『アンヘル69』、チリで見た時も衝撃でしたが、山形でそれについてとうとうと語る人たちの姿を見て私たちに必要な映画だと思いました。『Pictures of Ghosts』はサンティアゴを発つ直前に見た映画で、ブラジルの知らない街角の映画文化史が私のあらゆる映画体験となぜかリンクして涙がぽろぽろこぼれました。『枯れ葉』を見たのはついこの前で、こんな世の中で自分はカウリスマキの映画のようになろう、生きようとあらためて決意しました。登場人物の表情と姿勢、世界の風景がすばらしい。『きのう生まれたわけじゃない』は、くるみさんと福間さんの顔、並び立ち、言葉のやりとりが柔らかく、軽やかに深遠で、これから何度も訪ねなおそうと思います。
ほかに、『犯罪者たち』(ロドリゴ・モレノ)、『開拓者たち』(フェリペ・ガルベス)、『ターミナル』(グスタボ・フォンタン)、『夢の涯てまで』(草野なつか)、『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』(金子由里奈)、『小説家の映画』(ホン・サンス)など深く心に残っています。
その他ベスト5
- 『新編 つぶやきの政治思想』李静和
前に読んだことのある本ですが、今こそ読みかえしたいです。記憶、忘却、証言、死、生……どこかの人々の悲しみをどのように「抱え込む」のかについて、ものすごいテクストです。
- Norte
ブエノス・アイレスにある庶民的レストランで滞在中に3回はイグナシオ・アグエロや友達と行きました。深夜までいさせてくれて、仕事おわりの従業員や労働者たちと一緒に食べたステーキやスープ、たくさん飲んだ赤ワインは大切な記憶です。
- Semilla Artesanos del Pan
サンティアゴの家のすぐ近くにあるパン屋。アヴァンギャルドで美味しくて大きいパンをたくさん売っています。ここと府中の多磨駅前にある「うさぎ」が私がもっとも愛するパン屋です。
- 赤石商店
長野の伊那にある複合施設で、沁み渡るおいしさのご飯と、蔵を改造した居心地抜群の映画館があります。ここを訪れたあとに見た大きな虹も忘れられません。
- <映像往復便(新作)をめぐって・・・ 石が浮いた!>
萩原朔美 VS 吉増剛造+樋口良澄 南青山のmandaraで見ました。吉増さんのパフォーマンスにも、それに触発された萩原さんの語りにも圧倒されました。もっと言葉で頑張らねばならないという気持ちになりました。
patchadams (DJ)
映画5選
- 『アメリカ合衆国ハーラン郡』バーバラ・コップル@国立映画アーカイブ(アカデミー・フィルム・アーカイブ映画コレクション)
- 『ハッピー・ラメント』アレクサンダー・クルーゲ@アテネ・フランセ文化センター(Im Apparat 現代ドイツ映画作家シリーズ)
- メーサーロシュ・マールタ監督特集@シネマカリテ/下高井戸シネマ
- 『カード・カウンター』ポール・シュレイダー@シネマート新宿
- 『ミュージック』アンゲラ・シャーネレク@丸の内東映(東京国際映画祭)
2023年に出会った2つの鮮烈な映画作品。それぞれを見た時の、音を巡る思い出。
10月20日。ホワイト・シネクイントで清原惟監督『すべての夜を思い出す』の特別先行上映。友人知人の顔がちらほら。本編の上映が始まりしばらくすると、うっすらとBPM130くらいの4つ打ちのキックとベースの音が聞こえる。台詞や物音と共に聞こえてくる、音の輪郭がぼやけたビート。はじめのうち、作品の舞台である多摩ニュータウンのどこかで鳴っている音楽、つまり作品内の音かと思った。が、場面がいくら変わってもずっと聞こえている。それはおそらくDJミックスによる音楽で、明らかに劇場の外で鳴っているものだった。終映後、劇場のあるパルコ9階からエレベーターで降りる途中、6階でドアが開くと爆音のダンスミュージックが飛び込んできて、了解した。
12月24日、17時半ごろ。埼玉県立近代美術館の企画展「イン・ビトウィーン」で展示上映されたジョナス・メカス『幸せな人生からの拾遺集』を見ていると、展示室の外から談笑する声が聞こえた。それから間もなく閉館することを報せる館内放送の声とピアノ曲(ショパンのノクターンだったか)が聞こえた。それらの音は、作品の音声であるメカスの声とピアノ曲に重なっていた。やがて美術館スタッフがやってきて閉館時間になったことが告げられ、展示室入り口に掲示された時間割の案内の通り上映は中断。退室する幾人かの鑑賞者の中には友人もいた。
こういった顛末の出来ごとはままあるだろうけど、いずれも「映画」との関わりを実感した体験として思い出す。劇場には、スクリーンには、映画には「外」がある。そんな当たり前のことを様々な出来ごとによって思い知らされ、映画との関わり方をずっと考えていたような、2023年。
深田隆之 (映画監督)
映画ベスト(観た順)
- 『移動する記憶装置展』たかはしそうた
- 『郊外の鳥たち』チウ・ション
- 『レイテ・クレームの味』鈴木仁篤、ロサーナ・トレス
- 『うってつけの日』岩﨑敢志
- 『ショーイング・アップ』ケリー・ライカート
『ドライブ・マイ・カー』、『ナイト・オン・ザ・プラネット』の一編、何度かリメイクされた『暁の合唱』などなど、数え出したらキリがないが、これらを勝手に「女性と運転席映画」と呼んでいる。『うってつけの日』もまた村上由規乃演じる主人公、琴がハンドルを握る映画なのだが、少し異なるのは運転席にいる権利を最終的に剥奪されてしまうことだ。剥奪と言っても外部からの強権的な力によって引き剥がされるのではなく、恋人との緩やかな関係の終わりに伴い、彼の実家から借りていた車を返すことになる。音響の仕事をする琴は自分のペースで速度を変え、時には車を止めて制作中の音楽を聞き直す。好きな時にアクセルを踏みブレーキをかけ、自分が走る速度はいつでもコントロール可能だ。彼女はなんとか車を買い取るために策を講じるが、最終的には愛着ある車を失う。琴にとって失いたくないものは運転席に座っている時間であって、車という所有物ではない。琴は運転席を失った後、いち録音スタッフとしてハイエースの後部座席に座る。初対面の男性スタッフたちが(たしかコンパの話題で)談笑する後ろ姿に遮られて運転席は遠い。村上由規乃の表情はハンドルを握っていた時と変わらず、そこに特別な感情は読み取れない。しかし彼女の環境は決定的に変化してしまったのだ。
説話的断面としてジェンダーのテーマを提示する限界値を超え、性別と労働の情景を距離と移動、時間軸の中に浮かび上がらせているように思えた。主演する村上由規乃、監督・出演を務める岩﨑敢志が素晴らしい佇まいでフレームを充実させている。
その他ベスト
- こども映画教室®︎ in 金沢(ワークショップ)
『あのこは貴族』の岨手由貴子監督が特別講師だった3日間のワークショップ。8年近くもやっていると「こういう声かけをするとこどもたちの様子が変わる」という技術的なものも見えてくるが、今回に関しては蓄積してきた手札がことごとく通用しない事態に陥った。岨手さんチームでは「暴力とは何か」「戦争とは何か」という議論をこどもたちが繰り広げたと聞いて驚いた(大人はめっちゃ大変だったと思う)。苦難を乗り越えたスタッフ全員での記念撮影がどこにでもある駐車場で、岨手さんのギャルピースによって締められたのもサイコーだった。このワークショップの詳しい内容は岨手さん自身がaction4cinemaのpodcastで語っているので是非。
- 亀の井ホテル有馬(宿)
今年10月に行った初の有馬温泉。亀の井ホテル自体は全国展開しているが、ホテルの敷地内からとても濃度の高い「金泉」が湧き出ているのは有馬ならでは。赤褐色に近い温泉の底は全く見えず、とろみのある肌触りの良い泉質が特徴的。温泉旅館に行っても朝風呂に行かない方なのだけど、あまりに気持ち良いので朝イチで味わってしまった。近くの神社には銀泉という飲水できる場所もあったのだが、あまりの鉄臭さで口に入れた瞬間に吹き出した。難点は心臓破りとも言える急で長い坂を越えること。トランクを引きずりながらの踏破はなかなかの重労働なので酷暑の季節はおすすめしない(送迎バスも出ているようです)。
- 囲碁界の“魔王”井山裕太、本因坊戦12連覇ならず(囲碁)
将棋棋士の羽生善治氏と同じタイミングで国民栄誉賞を受賞。そして囲碁界の頂点と言っても過言ではない“本因坊”として11年間君臨した井山裕太氏が今年12連覇を逃した。新たに本因坊となったのは一力遼氏(26)。YouTube中継もされていたので観ていたが、はっきり言って何をやっているのかさっぱりわからないレベルの戦いでAIの評価値や解説を聞いて楽しんでいた。将棋の世界は活気があるけど囲碁もおもしろいのです。白と黒の陣地取りは単純かつ奥深いのです。ちなみに私は今6級くらいで、相米慎二も初段くらいはあったらしいからせめてそこまで頑張りたい。
- 私たちのエコロジー@森美術館(展示)
用事の間にたまたま時間が空いて足を運んだ展示。エコロジーという言葉を見て勝手に懐疑的な態度で行ったのだが内容はとても充実していた。映像作品も多く、特にオーストラリア先住民族出身者30名ほどの映像制作グループ、「カラビン・フィルム・コレクティブ」による短編3本が興味深い作品群だった。彼らはフィクションとドキュメンタリーを横断しながら入植者による植民地支配、社会的不平等などをテーマに映像作品を制作している。ジュリアン・シャリエール『制御された炎』、アピチャッポン・ウィーラセタクン『ナイト・コロニー』あたりもとても面白かった。展示は2024年3月末までやっているので時間があればぜひ。
- コレステロールから膝へ(身体)
2022年12月に再検査と言われてから早1年。なんだかんだと言い訳しながら延ばしに延ばし、もはやこの文章のために受けたと言っても過言ではない満を辞しての再検査。わたくし、やりました。尿酸値は基準値内、悪玉コレステロールは基準値オーバーだけど大幅減。投薬を逃れました。肩の荷が下りた数日後の忘年会。会場は恵比寿ビヤホール。これでビールを飲まないなんてお店に失礼です。1杯目だけ、と抑えていたビールを数杯いただき1年を締めくくる。しかし、1ヶ月ちょっと前から次第に軋み、歩くたびに違和感を覚えていた左膝の痛みは静かに増していくのだった。
二井梓緒 (映像制作会社勤務)
映画ベスト
- 『バーナデット ママは行方不明』リチャード・リンクレイター
- 『PERFECT DAYS』ヴィム・ヴェンダース
- 『レッド・ロケット』ショーン・ベイカー
- 『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』金子由里奈
- 『さかなの子』沖田修一
ダントツに『バーナデット〜』は迷いなく今年ベストだし、人生のベストに入る。最高な曲ことシンディー・ローパーの「Time after time」を母と娘が車内で歌うシーンがあるが、娘が「If you’re lost, you can look and you will find me」を歌い、「If you fall, I will catch you, I’ll be waiting」を母が歌う。しかし描かれる本来の関係は逆であって、娘こそが後者であり母をいつだって支え、そばにいる存在であって、それがもう本当に泣けてしまう。何より誰も気に留めないほど些細なことに感動する権利は私にだって必ずある、絶対。
そして賛否両論の『PERFECT DAYS』は自分が参加した作品ということもあるが、光に救われ、導かれながら生きていく、自分にとっては人生の指針となるような作品になった。毎日木漏れ日探しをしていた撮影中が懐かしい。
それにしても映像制作の現場にいると、忙しさに感けて自分の近くの人も、世界のことにも興味を持つことができなくなってしまう瞬間がある。しかしそれでいいのだろうか?映画はつねに開かれていて、世界について、そして他者について、より深く知ることができるはずなのになんでこんなにも閉鎖的になってしまうんだろうと、日々溢れる残虐なニュースを見る度に強く思う一年だった。
その他ベスト
良かったMVベスト5(順不同)
- 「I'm Done」Bakar
BakarのMVは結構どれも良い。こういうシンプルなものに惹かれるし、みていて気持ちがいい一作。
- 「Hate」Loyle Carner
今年リリースではないが、今年はLoyle Carnerばかり聴いていたので。車でぐるぐるしちゃう系で言えば「The Drive」(Everyone You Know)も好き。
- 「Helmet」Steve Lacy
一瞬で引き込まれる。こんなの好きに決まってる!
- 「Across the Universe」Fiona Apple
こちらも今年リリースではないけど。私の最近の情緒そのもので笑える、いや一生これなのかもしれない…
- 「Free Roamin’ (Self-regi Dystopia)」PUNPEE
アニメーションがとにかくすごい。監督はオランダ人のRed Moons。一部のアニメはフランスチームとのこと。もはや日本はアニメからCG、VFXまで優れていると思ったら大間違いというか世界にはヤバクリエイターたちがたくさんいる!とかなりアガる作品。
松田春樹 (NOBODY)
映画ベスト
- 『ガールフレンド』クローディア・ウェイル
- 『バーナデット ママは行方不明』リチャード・リンクレイター
- 『それでも私は生きていく』ミア・ハンセン=ラブ
- 『ショーイング・アップ』ケリー・ライカート
- 『熱のあとに』山本英
<Bonus>
なにかを作り続けていくことのサスティナビリティについては前から考えていたことだが、その主体を女性に置き換えて考えてみたのは恥ずかしながら初めてのことだった。「結婚」や「出産」という人生の大きなライフイベントとともに「創造」し続けていくことは可能なのか?そのような問いに対して、セルフポートレートとして応えるのが『ガールフレンド』であり、他者の視点から見つめるのが『バーナデット ママは行方不明』である。私自身が男性であり、当事者にはなり得ない存在だからこそ、リンクレイターのような視座を持っている人がこの世界にいるということに驚いたし(あたりまえなのだけれど)、勇気づけられた。もちろん、婚姻、家族制度そのものを疑う視座を持つこともまた忘れてはならず、ひとりの女性の狂気的な恋愛が決して生殖への欲望と結びつくことがない『熱のあとに』も必見である。この映画が試みているのは、社会の慣習を鵜呑みにするのではなく、たったひとりの女性の声を聞き、そこから想像することである。橋本愛のひとつひとつの言葉は社会と決定的に相容れないがゆえに、あらゆる変革への萌芽となる。
その他
今はとにかくFREE PALESTINEだと思う。『ガールフレンド』や『バーナデット ママは行方不明』が時代も場所も越えてスクリーン越しに私を勇気づけるように、あらゆる人々がここ(here)から始められる。けれど、上述した両立することの困難さのように、なかにはアクションをする時間も余力も残されていない、生きることで精一杯の人々が少なからずいるのだと思う。だからこそ真っ先に声を上げなければならないのは我々芸術・文化に携わる人間の役目である。即時停戦、虐殺反対。
三浦哲哉 (映画研究・批評)
2023年ベスト5
- 『ヨーヨー』ピエール・エテックス、1965年
- 『ドラブル』ドン・シーゲル、1974年
- 『ナンバーゼロ』ジャン・ユスターシュ、1971年
- 『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』シャンタル・アケルマン、1975年
- 『枯れ葉』アキ・カウリスマキ
『ヨーヨー』は、事情があって遅れて映画館に駆け込んだら、女ダンサーがエロティックに男の革靴をじらしながら脱がす動作が延々と映されていて、その感覚に圧倒された(その後Blu-Rayで見逃した冒頭部分を見た)。『ドラブル』で心に残ったのは、女工作員がスキャンダル写真をねつ造するため、マイケル・ケインのアパートに忍び込み、彼のベッドのところでさっと何の躊躇もなく全裸になって横たわり、パシャっとやる場面。本作のマイケル・ケインはほんと最高。『ナンバーゼロ』と『ジャンヌ・ディエルマン』は、すぐれた研究書を読んだおかげだろう、一画面一画面がくっきり鮮やかに迫ってきた。須藤健太郎『ジャン・ユスターシュ伝』と、2021年にBFI Film Classicシリーズから出たCatherine Fowlerの本(作品と同題)のこと。後者は、木原圭翔さんのツイートで知った。『枯れ葉』は新作だが同時に旧作でもあるような摩訶不思議な感触。走る市電の車窓から漏れる光が、ホームで待つ者の顔を明滅させる……感動。 旧作中心のセレクトになってしまったが、日本の新作についても一言ずつ。濱口竜介『悪は存在しない』に深く感動&動揺。三宅唱『夜明けのすべて』の時間の編集がとてつもなくすごいと感じた(大川景子へのインタビューを読みたい)。冨永昌敬『白鍵と黒鍵の間に』は上映後にエレベーターでご高齢の女性に「…話わかりました?」と聞かれ「いい映画でした!」と返答した。高野徹『マリの話』、山科圭太『4つの出鱈目と幽霊について』が大変興味深かった。次回作にも期待大。
今年食べたおいしい魚ベスト5
- 生しらす
漁があった日は、近所のしらす直売所に「生しらす」ののぼりが出る。ビニール袋にだいたい二人前が入って三百~四百円ほど。見つければ買う。太陽に透かせば宝石のように美しい。小鉢に入れ、上から生姜じょうゆをかければ絶好の酒のあてに。熱燗が進む。熱々のご飯に乗せて食べてもおいしい。酢飯だとさらにおいしい。
- あじ
相模湾は日本三大漁場の一つで多種多様な魚が穫れるそうだが、旨い安い多いの三拍子揃った特産品の筆頭はあじ。獲れたての刺し身は最高だが、干物もうまく、長持ちする。小田原のカネタ前田商店の干物が最高に好き(原材料は相模湾以外の場合もあり)。
- たこ
鎌倉のたこの味は日本一、と近所の魚屋さんが胸を張っておられた(ご高齢のため、そのお店は数年前に閉店)。このあたり一帯にふんだんに生息するあわびや伊勢海老を餌にするから、夏はとくに身がものすごくおいしくなるそう。ビールによし日本酒によしワインによし。
- ぶり
ぶりは脂が多いので飽きてしまうこともあるけれど、さまざまに変身させておいしい。血合いのところを薄く削いでゴマ油+塩で食べると、レバ刺しのように。あと、私は気合を入れて冬にはかぶら寿しを作る。塩漬けしたぶりの切り身を、聖護院かぶらに挟み、麹米とともに漬け込む。「贅沢品を食べてはならぬ!」と咎められないようにぶりの身を隠した、かつての町民の工夫なのだとか。
- はた
今年、比較的近所に新しい魚屋ができた。名前はサカナヤマルカマ。九州の阿久根漁港から毎日鮮魚を空輸し、漁獲翌日に店頭へ並べるという、とんでもなくすばらしいお店。おかげでさらに多種多様な魚が食べられるようになった。赤はたとか黄はたとかあずきはたとか、はた類があれば少し高くても奮発して買う。蒸して食べるとコラーゲン質が溶けて絶妙な食感になる。
村松道代 (デザイナー)
映画ベスト
- オタール・イオセリアーニ特集
- 『キムズ・ビデオ』デイヴィッド・レッドモン、アシュレイ・セイビン
- 『青春』ワン・ビン
- 『ショーイング・アップ』ケリー・ライカート
- 『トリとロキタ』ジャン・ピエール&リュック・ダルデンヌ
やっと『水彩画』『唯一、ゲオルギア』などをスクリーンで見られた。
初見ではないが、ジャック・ロジエ『メーヌ・オセアン』は大好きなので今回の上映でも見ました。
その他ベスト
[展覧会1]
- 「憧憬の地 ブルターニュ」国立西洋美術館
ブルターニュとは何か。
ノルマンディーと風土・気候がなんとなく似ているが、あえて交通の便が悪いブルターニュに題材を求めがちだった画家たちの気持ちを想像しながら楽しんだ展覧会。
[展覧会2]
- 「Re: スタートライン1963-1970」京都国立近代美術館
展覧会とは、ミュージアムとは何か。
見た人全員が違うことを考えていそうな展覧会が好きです。
[書体(フォント)界隈]
- 株式会社モリサワからの発表「写研書体を字游工房と共同開発 2024年に「石井明朝」「石井ゴシック」の改刻フォントをリリース」
プレスリリースの日付は2022年ですが、私が気づいたのが2023年ということで。
写植時代、「東日本は写研、西日本はモリサワ」とざっくり言われていた。私たち首都圏のデザイナーは主に写研の写真植字を使って印刷物を作り、どうしてもモリサワの書体を使いたい時は、取扱のある業者に個別注文して印画紙に出してもらっていた。西のデザイナーは逆の状況だったのだろうかと今さら気になる。
写研の復活で、町場のデザイナーにどのような変化が見られるのか、なんの変化もないのか、楽しみ。
映画界には、このような地域差ってあるのかな……。
山田剛志 (NOBODY)
映画ベスト
- 『ショーイング・アップ』ケリー・ライカート
- 『Terra』鈴木仁篤 、ロサーナ・トレス
- 『せかいのおきく』阪本順治
- 『枯れ葉』アキ・カウリスマキ
- 『マエストロ:その音楽と愛と』ブラッドリー・クーパー
傷ついた鳩の微かな呼吸の乱れと部屋に閉じ込められた猫の鋭い鳴き声。前者を聴き取り、後者を聞き流す。鋭敏であると同時に鈍感であるほかないミシェル・ウィリアムズが素晴らしい『ショーイング・アップ』。多摩丘陵にある公民館(ベルブ永山)で観た『Terra』は、大地と一体化した炭焼き窯を生き物のように映し出すにとどまらず、フレームを満たし空虚にもする人間や動物、機械の運動に固有のリズムを見出し、一期一会のすれ違いを記録する壮大な映画だった。雪が降りしきる中、車道を挟んで豊川悦司と原田知世が身振り手振りで意思疎通をはかる『傷だらけの天使』(1997)の演出を応用して、若い役者から最良の芝居を引き出してみせる『せかいのおきく』のクライマックスには心底感動させられた。ブラッドリー・クーパー演じるレナード・バーンスタインの過去と現在、意識と無意識を自在に往還する『マエストロ:その音楽と愛と』は、飛躍に富んだ冒険的な画面構成もさることながら、日常の機微を掬いとるオーソドックスなショットの数々に深く魅了された。ジム・ジャームッシュのゾンビ映画が引用される『枯れ葉』がもたらす感動は、ロベール・ブレッソン『シネマトグラフ覚書』の「二つの死と三つの誕生について」と題された次の一節と密接に関係している気がする。
「私の映画はまず私の頭の中で生まれ、紙の上で死ぬ。それが甦るのは、私の用いる生きた人物や現実のオブジェによってである。これら人物やオブジェはフィルムの上で殺されてしまうが、或る種の秩序の中に置かれスクリーンの上に映写されたとき、まるで水に浸した水中花のように生を取り戻す」(ロベール・ブレッソン「シネマトグラフ覚書 映画監督のノート」松浦寿樹訳、筑摩書房、18-19頁)
カウリスマキの引用を介して、ゾンビの在りようを表現する"The Dead Don't Die" というタイトルが、映画の在りようを言い当ててもいることに気付かされたのだった。
その他ベスト
2023年に最も通った東京の銭湯3選
行くたびに疲弊した心身をまるで水に浸した水中花のように生き返らせてくれる都内の銭湯をご紹介。2023年は下町エリアを開拓した。
- 浅草天然温泉 日の出湯
稲荷町駅から徒歩3分、職場から徒歩20分ほどの場所にある2階建ての銭湯、金曜日の夜、かなりの頻度で行っている。檜風呂があり、誇張なしに一生浸かっていられると入るたびに思う、広々とした露天風呂も最高で、夏季はぬるめの水風呂になるのだが、これが超気持ち良い、夏が待ち遠しい。
- 辰巳湯
清澄白河駅から徒歩3分。菊川の映画館から徒歩20分の場所にあり、映画を観た後によく行っている。洗い場は広々としているのに、露天風呂へと通じるドアが身を屈めないと入れないほど小さく、一瞬不安になるが、一歩足を踏み入れたら中はとても広い上、大部が水で浸されていて雰囲気抜群。
- 狛江湯
2023年4月にリニューアルオープンした狛江駅から徒歩4分ほどの銭湯。家から一番近い距離にあるのに、不覚にも9月くらいまでリニューアルオープンに気が付かなかった。コンクリート打ちっぱなしの外観と内観がカッコいい。水風呂側の壁にスタッフ手作り新聞が貼っており、それをボーッと読むのが好きなのだが、ここの水風呂、かなり温度が低く、あまり長くボーッとできないのがネック。これからもお世話になります。
結城秀勇 (NOBODY)
映画ベスト
- 『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』ホアキン・ドス・サントス、ケンプ・パワーズ、ジャスティン・K・トンプソン
- 『バーナデット ママは行方不明』リチャード・リンクレイター
- 『ミュージック』アンゲラ・シャーネレク
- 『イノセント』ルイ・ガレル
- 『きのう生まれたわけじゃない』福間健二
1.おれが選ばねば誰が選ぶ枠。でもここで今年の一本として挙げる意味はjournalでも書いたように、2023年の自分と、2024年の(あるいはもっとはるか先の)自分とをつなぐ「約束」として。後述するようにそういうことを何度も考えさせられた一年だった。あとロード&ミラーには、爆音のあのドラムの音でかけても冒頭と最後のナレーションの声が潰れちゃわないようにもっかい整音し直してほしい。
2.特に言葉はいらない。
3.前々作『儚き道』とゆるやかな円環構造をなすような本作を見れて本当によかったし、年末の下高井戸シネマでの特集の大盛況っぷりも嬉しかった。ぜひ本作の一般公開を!
4.やっぱり自分にとって「俳優監督」の作品とはずっと、フィクションとドキュメンタリー、職業俳優と非職業俳優、メジャーとインディ、シリアスさと滑稽さ、などなどなんでもいいけどそういう一見対立すると思われがちな要素をこともなげに混ぜ合わせていってしまうようなものとしてあったのだ。そのことを久しぶりに思い出させてくれただけでもこの作品には計り知れない価値があるし、これが一般公開できない日本の海外映画状況は貧しい。
そしてもう一本、西山真来「手と心が一致していない」(『Project Civilian Bird』)があったということが「俳優監督」というタームを久々に再考するきっかけになったこともここに特記しておきたい。
5.10月7日以降、何度この映画のタイトルを心に思い浮かべたか。そして年が明けても、能登半島地震の報道のたびに幾度心をよぎったか。人として最低限の尊厳を尊重するというただそれだけのことが、なぜこれほどまでに難しいこととして世の中にあるのか。
でも本当に感動的なことは、こうした状況に抵抗を続けることを諦めない人々の顔が、まるでこの映画の登場人物たちのような人々として目に浮かぶようになったということかもしれない。
その他についてのいくつかのこと
山形国際ドキュメンタリー映画祭インターナショナルコンペティション部門の選考に関わるようになって今回が3回目だったが、やはりそのたびに世界ではこんなことが起きていたのかと気づかされることがある。
しかしそれ以上に、回を重ねるごとに、2年前もこうだったのに、4年前もこうだったのに、なんなら何十年もこうだったのに、なぜ私たちはこの期間の間にそれをなにも変えることができなかったのかと思うことが増えていく。ミャンマーでもスーダンでも、もちろんパレスチナでも、そして日本でも。箸にも棒にもかからない作品も山のように見なければいけないこともかなりの苦痛ではあるのだが、それよりもこのことのほうが、精神的にくる。
そうした状況にわずかなりとも抵抗するために、また抵抗する人々がいるのだと明らかにするために、こうした映画祭が必要だと思っている。それはたぶん予備審査に関わる人だけではなく、この映画祭に関わるあらゆる人々の思いだと思う。でも2023年は、そうしたある程度「近い」はずの人たちのあいだにさえ、こんなにも越え難い壁があるのかと打ちのめされた。
ある作品についての評価が別れるのは普通のことだし、むしろそうあるべきだと思う。これまでもずっとそうだった。それでも結局どんな結果になったとしても十分に満足いくことなどないとわかっていながら、各々にベストをつくすわけだし、それをお互いに尊重してきた。それだけで納得はいった。でも今回はいままでにないほど長時間をかけて話し合いながらも、最後まで私たちはなんでこんなにわかりあえないのだろうと思うことばかりだった。歴史を消去し書き換えようとする勢力、対立と分断を煽り恐怖を食い物にする勢力、そうしたものに抗うために集まっているはずの私たちがなぜこうまでも対立と分断の中に取り残されてしまうのか。本当に現代社会の縮図だと思った。
結果として、自分が推した作品は最終的なラインナップの中に想定した以上の本数が残った。それでも、というかだからこそ、「こういうことじゃない」という気持ちは、その後半年間くらいずっと残った。あのとき自分になにができたのか、よりよい選択肢はほかになにかなかったのかと自問していた。
実際に映画祭が開幕し、『ニッツ・アイランド』や『キムズ・ビデオ』に対する思いもよらぬほどの熱いコメントを現地で聞くと、自分がしたことにも多少の意味があるといくらか救われた思いはした。けれどもすでに2023年の10月7日はやってきていて、そこでもまたすでに歴史を消去し書き換えようとする勢力が蠢いていて、そして私たちはいまだにそれを止めることさえできずにいる。
さらにこういうことを書こうとしていた2024年元日に能登半島"震災"は起きて、そこでもまた、境界線を引き壁をつくりその外に追いやったなにかの「価値」を勝手に決めている人々がいる。本当にうんざりだ。正直なにをすればいいのかなんてまったくわからない。
でも、こんなことを書いているのは、もう最悪だどうしようもない、なんて一言で終わりたくはないというただの意地だ。映画で世界は変わらない、でも本当になにも変わらないなら、私たちはこんなに映画を必要としない。もしかしたら絵空事にすぎないかもしれないなにかを見て、そのなにかになろうとすること。そして、昨日とは違うなにかになろうとしている人が身の回りにいると気づくこと。
そんなわけで、2023年のマイ・ベスト・ヒーローは、グウェンでもバーナデットでもなく、『きのう生まれたわけじゃない』のトリ子だ。
李潤秀 (助監督)
映画ベスト(見た順)
- 『THE FIRST SLAM DUNK』井上雄彦
- 『別れる決心』パク・チャヌク
- 『レッド・ロケット』ショーン・ベイカー
- 『ザ・クリエイター 創造者』ギャレス・エドワーズ
- 『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』マーティン・スコセッシ
『THE FIRST SLAM DUNK』永遠なる瞬間の話。伸び縮みする時間や記憶のフラッシュバックをアニメーションにしかできない(のか?)方法で表現し切っていて見事すぎるが、そういえば井上雄彦先生は『バガボンド』でも『リアル』でも、やり直せないあの瞬間と、その過去に囚われる人々の苦悩を描き続けていた。それを改めて(自分の過去作であり、“国民的人気作”になってしまった)スラダンでやってのけるなんて。宮城リョータの話でやってくれたのも個人的に最高なので、ありがとうございますという気持ちでいっぱい。P.S.チバユウスケよ、永遠なれ。
『別れる決心』作品の命は細部に宿ると言うけれど、人間の愛も細部に宿る。呼吸、指の動き、視線、毛先、手のひらのタコ。人という生き物の細部に宿る美しさや、人間関係の細かな機微を見つけるためには、映画以上に優れた芸術はない。という、パッチャヌ先生の映画賛歌にも思える。お話的に『妻は告白する』(最高)を思い出したけど、タンウェイから目が離せない感じもどこか若尾文子っぽくて最高。
『レッド・ロケット』ショーン・ベイカーの描くアメリカは、「色々最低だけどここで生きていくしかないんだよね」という諦念と、「一歩引いて見たらめちゃめちゃ美しいぞ」という気付きで出来ているように思うが、それは日本で生きている僕らもいつも酔っぱらって話していることだったりするから好きなのかもしれない。ショーン・ベイカーは「一歩引く」塩梅(被写体との距離や関係性)がいつも絶妙で、ちゃんと大事なところでキャラを突き放せるのが凄い。人は「愚かだから美しい」とか「愚かだけど美しい」のではなく、「愚かだし美しい」ときちんと描くことは意外と難しい。
『ザ・クリエイター 創造者』ビッグバジェット映画にありがちな、「どっちの言い分もあるけど今回はこいつが悪者です」みたいな落とし前ではなく、常に踏み躙られる側に立ちますという気概(ジャンヌ・モローの言うところの「少数派はいつも正しい」的なイズム)を見せてくれたラストにやたらと泣いてしまった。とにかく身軽(少人数&カメラもFX6だそう)に自由にロケをして、後からVFXでゴリゴリ頑張るという、自分でCGを作れる人にしかできない作り方も制作側から見て感動的。偉いぞ、ギャレス・エドワーズ。
『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』オープニングの黒い油にまみれて踊るオセージ族が去年見たベストシーン。祝いと呪いのダイナミクス。オセージ族の視点を(きっと)あえて使わなかったスコセッシが、オープニングとラストに部族の祝祭のシーンを入れたのは、彼がこの物語を映画にするのに必要なことだったのだろうと思う。そしてスコセッシのそういう実直なポップさ(と言いたい)が好き。P.S.ロビー・ロバートソンよ、永遠なれ。