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2005年6月 3日
監督週間部門 『埋もれ木』小栗康平
批評家週間部門 『Me and you and everyone we know』ミランダ・ジュリ
批評家週間とカメラドールでグランプリを獲得した『Me and you and everyone we know』。監督は弱冠27歳のアメリカの若手ミランダ・ジュリ。ちなみに今年のカメラドール審査員長はキアロスタミだった。
元々マルチメディア・アーティストだという彼女らしく(すでにMOMA等で作品を発表しているとのこと)、主人公はアーティストを目指す、女の子と呼ぶには少々歳のいった女性(ジュリ本人が演じる)。アメリカの郊外ニュータウンで、彼女を中心に、コミュニケーションに問題を抱えたさまざまな〈loser〉たちが登場し、やがてそれぞれの小さな和解が描かれてゆく。
こうした設定は、たとえば「サンダンス映画祭出品作品」というレーベルの、90年代アメリカ映画で何度も反復されてきた(事実本作はサンダンスグランプリ作品でもある)。そうした作品群を大きく二分するのが、枠(たとえば青春やら共同体やら、あるいはジャンルやら)への意識があるかないかだ。『Me and you』には、その枠への思考がまったく欠ける。仮に彼女が、枠の消えた「以後」を生きるのだとしても、その「以後」に対する思考もここにはない。日本的「不思議ちゃん」に近い〈loser〉たちの集う街は、輪郭を曖昧にしながら不可思議な力を持つ天使の街へ姿を変える。
MeとYouとEveryoneと、あらゆる人間が似通いながら、優しげな集団を形成する。デマゴジックな「終わりなき日常」のユートピア。こうした傾向は、日本の「鉄道も通らぬ村」が舞台となる、小栗康平『埋もれ木』にも確実に現れる。2作の共通点。それはまず、ともに、時間の流れが停止した狭い空間が舞台という点。そして主人公がともに創作者であるという点(『埋もれ木』の中心軸は、少女3人の語る空想の物語が実現されるという点にある)。
奇妙なことに、こうした共通点は『Eli, Eli』(青山真治)と『Les invisible』(ティエリー・ジュス)においても共通点として現れる。だが2対のフィルム(『埋もれ木』『Me and you』と『Eli, Eli』『Les invisibles』)を隔てるのは、前者では創作者の創作プロセスがブラックボックスになっているのに対し(『埋もれ木』における神秘的な村と森、『Me and you』における天使的な街)、後者ではそのプロセスこそがひたすら描かれる、という点。
「川の終わりの地点で、水は止まり、漂うの」……ナンシー・シナトラが「The End」と歌うその地点で、前者のふたりは永遠の水遊びに耽り、後者のふたりは新たな創作を始めるのだと、そう言えるだろう。
投稿者 nobodymag : 2005年6月 3日 09:42