confederations cup
cross review
2003.06.23
日本×コロンビア 0-1

 

コロンビアは南米の典型的な中堅チームだった。高い個人技と局面での三角形によってゲームを進めるこのチームは、同じような個人の高さを持つ格上のチーム(といっても今大会のフランスとの実力差は僅差だが)にはチーム力が引き出されるが、日本のような、ほぼ互角のチームを畳み掛けるほどの実力はないということだ。
日本チームに関して言えば、まるで先のワールドカップでのトルコ戦を見ているようだったというのが一番正確だろう。勝てる気がしない、ボールはキープするが得点の予感が全く無い(これはトルコ戦の直後、私の母親でさえ漏らしたセリフだ)。相手に怖さを与えられないということだ。これは攻撃のリズムや、あるいはシュート数などの問題ですらなく、もっともっと具体的かつ根本的なところに原因がある。パススピードなのだ。しかも、敵陣でのそれではなく、自陣でのパス回しのスピードだ。それに何も、相手フォワードのプレスがかかっているときだけの話ではなく、プレスの無いときのパススピード、それが決定的に欠けている。宮本、坪井、山田、あるいはボランチの絡むパス交換には「攻撃」への意志が全く欠けている。彼らの足をボールが伝う時間は、サッカーというプロセスを完全に放棄した時間であり、まさに「守備的」(保守的と言うべきか)と呼ぶに相応しい。それによって日本チームもゲーム全体も一気に厚みと魅力を失う。
もちろんこれはシステムや選手起用以前の問題だ。日本チームのDFは「攻撃」と「守備」の区別など相対的でしかないことをまず知るべきだし、ゴールと勝利への意志を具現化する方法、というかその方法を自分たちも担っていることをまず知るべきだ。スカパーでヨーロッパのリーグを毎日見て勉強する、そこから始めた方が良い。
こんな馬鹿げた話はもうしたくないのだ。私はただ極上の「プロセス=演出」をテレビで見たい、それだけだ。

松井宏


 

勝つか引き分けねばならないゲームをしっかり拾うことのできないチーム。高原のヘッドがバーをたたいたからか? 確かにコンフェデを通じて、高原は「当たっていない」。このゲームでも普通なら2点はとれていたろう。だが、FWは5回に1回のシュート・チャンスをものにすれば合格だ。このゲームでも2トップの片割れの大久保に比べれば高原の出来は悪くなかった。決定的な敗因は宮本の軽いプレー──ヒールパスを奪われる──ことにあった。ゴールを背にしてしっかりキープせず、軽いプレーに走る彼の欠点──ノルウェイ戦、ベルギー戦──はずっと補正されないままだ。このゲームでは森岡を起用すべきだった。だが、軽いプレーを1回だけではなく、何度も繰り返し、その度にボールをコロンビアに与えていたのは、小笠原だ。左足首の怪我の俊輔に代わって登場した小笠原は、事実、このゲームでコロンビアのアタックに何度も貢献している。パススピードが遅すぎ、何度もコロンビアにインターセプトされている。拾われたボールを追っても置いて行かれる。ミドルを1本打ったが、押し込まれる原因のほとんどは彼にあった。Jリーグなら通じるかもしれないパス速度が、スルーパスがこのレヴェルにあって、ピンチを招くことをまったく学ばない小笠原は、所詮、ドメスティックなレヴェルの選手であることが証明された。その小笠原は後半の半ばまで引っ張ったジーコも悪い。私なら──すでにスタメンでは使わないが──すぐに奥か明神にチェンジしていた。多くのチャンスを与えられて、常に期待を裏切る選手はやはりダメだ。国内で心を空しくしてボールを蹴っているしかないだろう。イエロー累積の稲本に代わって入っている中田浩二も何度かピンチを招くことに貢献した。W杯トルコ戦の教訓をまだ学んでいない。つまりヒデと遠藤しかしない中盤は苦しい。次々にコロンビアにボールを奪われる。対応に追われるひたりに輝きを求めるのは酷だ。遠藤はフランス戦のリヴェンジのチャンスなのに一度もFKを蹴る機会がなかった。監督にできることは限られている。そのもっとも大きな仕事は選手起用と交代だ。負けてはいけないゲームに宮本、小笠原、中田浩二を使った罪は大きい。5日間で3ゲームめの選手たちに疲労がたまるのは当然だ。そして負けてはいけないゲーム。ならばフレッシュな選手を起用するべきだった。アレックス、小笠原、中田浩二、宮本、大久保の代わりに、服部、明神、奥、森岡、永井だった。まず負けないこと、そして後半の20分から勝ちモードに入れること。交代期はその時間帯だった。ジーコには、ラグビーで言う「フレア」(煌めき)がない。コンフェデレーション・カップは、今日からフランスとブラジルの強化試合になる。日本チームにとって、決勝トーナメントに残れなければ、コンフェデは無意味な大会だった。

梅本洋一

2003.06.20
日本×フランス 1-2

 

まず、メディアが連呼する「フランス代表の層の厚さ」など単に嘘でしかないことがこの試合でわかる。というより、コロンビア戦でもそうだったが、チームとしての意図がほとんど感じられない。というより、フランスのようにショートパスを基本とするチームの「意図」とは、実は攻撃的MFではなく、ボランチが司っているということが改めて確認できる試合だった。それは決して「クリエイティヴ」と形容されるプレーだけでなく、「汗かき」の仕事をも意味している。その点に関しては、日本の両ボランチが特別に素晴らしかったわけではないが、ただフランスチームに比べれば相対的に良かったということだ。
前半終わりごろから掴み始めたリズムによって、前掛かりになった後半の落とし穴はサントスだった。彼は前半の駆け引きで体力と集中力をほとんど失っていた。そこをケアしきれなかったのはボランチ(と宮本)だが、しかし彼らは責められるべきではない。これは完全にジーコの采配ミス。
采配に関して言えば、大久保の起用法に大きな疑問が残る。ハスミシゲヒコではないが、彼には大きな可能性がある。だが同時に、いまはまさに流動的な時期だ。アルゼンチン戦での鮮烈なデヴュー以来、大久保が冴えを潜めているのは、ひとつにその起用法にあるのではないか。高原をゲームの組み立てに参加させる一方で(これは正しい選択だ)、彼に課せられた第一の仕事は、ボールチェイシング&サイドへの張り出し。確かに、シルヴェストルを沈黙させたそのチェイシングと、サイドでのドリブルには魅力がある。だが、彼もまた高原と同じくボールタッチによってリズムをつくるフォワードだ。ボールタッチの少なさはドリブルにも影響してしまう。ジーコの要求はまるで鈴木へのそれと同じではないか。
大久保には中田という最良のコーチがいるのだし、もし日本チームがステップアップしたいのなら、彼の起用法なりポジショニングを再考した方がよい。つまり、ジーコは取りあえず大久保を使い続けねばならない。そしてあとは全て(大久保、そして日本チーム全体)を「監督」中田英寿に任せる必要がある。

松井宏


 

EURO2004予選は全勝でほぼ本戦に出場できる見通しのフランスだが、コンフェデレーション・カップの対日本戦を見る限り、ワールドカップ優勝時の力にほど遠い。ジダン、ヴィーラ、マケレレ、トレゼゲを欠き、日本戦ではさらにこれからの代表を担うようなメンバーを出場させてみたが、フランス自慢の流れるような中盤は夢のまた夢。中田、俊輔に中盤を支配され、バルテズの好守と遠藤のFKがバーにあたる運もあって、かろうじて2−1で逃げ切った。一線級の力とサブのメンバーの差が4〜5年前よりも相当に広がっている。それでもフランスが勝利を収めたのは判定と、運と、1対1の球際の強さと、急造左サイドバックのアレックスの裏をつく攻撃によるものだ。つまり稲本がPKを取られず、遠藤のFKがゴールに吸い込まれ、左サイドが服部ならば、日本が勝っていたことになる。
オークセール中心の若手は、フランス・リーグの中では力があるかもしれないが、インターナショナル・レヴェルにない。証拠は、最初から若手に混じってキャプテンマークを付けて出場したピレスの存在感が他のメンバーの比ではなかったことがあるだろう。逆の証拠は、終了間際に中田への無理なファールでレッドカードを食らったバイエルンのサニョールのスピードのなさ。ピレスを除くどの先発メンバーも、レギュラーを奪う力がない。プレミア、セリエ、リーガという欧州3大リーグでレギュラーを張る選手たちと他のリーグに属する選手たちの実力がかなり異なることがコンフェデを見ていて分かる。中田はともあれ、セリエAで降格争いをしたレッジーナの俊輔もかなり実力のある方に見えてしまう。マンUのシルヴェストルがなかなかレギュラーを取れないのも理解できる。またカメルーンがブラジルを敗った原動力もマジョルカのエトオだし、ブラジル勢はロナウジーニョを除いてほぼブラジルでプレーしている。そのロナウジーニョにしてもフランス・リーグで11位に低迷したパリ・サンジェルマン所属だ。フランス・ワールドカップでは、フランスの育成システムの優位性が話題になったが、それから5年が経過し、問題は育成システムの優劣ではなく、日常的にいかに厳しいゲームをしているかということになる。その意味で、フランスが次回のユーロ、そしてワールドカップを狙うなら、いかに多くの選手を3大リーグに送り出せるかがその成否になるだろう。ジャック・サンティニ監督は、リヨンをフランス・リーグ優勝に導いたことはあるが、3大リーグでプレーしたこともそのどこかのチームを指揮したこともない。ジダン、テュラム、ヴィーラ、マケレレ、トレゼゲ、アンリ、ヴィルトール、ピレスなどがまだ力の衰えないEURO2004はともあれ、ドイツのワールドカップを狙うには、フランスは相当の戦略が必要だろう。

梅本洋一

 

2003.06.18
日本×ニュージーランド 3-0

 

3−0で点数の上では快勝のゲーム。しかし時差で深夜キックオフされるゲームは眠い。否、いつもなら──素晴らしいゲームを見ていると──眠気は次第になくなり、ゲームの展開と共にある種のトランス状況が訪れるのだが、このゲームに限っては、だんだん瞼が重くなった。なぜか? いくらオセアニア・チャンピオンと言ってもNZは、単に大男なだけで、これといった戦術もなく──勝つことへの欲望を欠いたまま──ゲームに臨んでいたからだ。つまり、日本サイドから見れば、これはディフェンスを付けた練習マッチのようなもので、プレスはきつくないし、ボールは自由に回転する。レギュラー争いの紅白戦でも見た方が面白いかもしれない。つまり、こんなゲームはどうやっても勝利する。ラグビーでJAPANがニュージーランドと対戦するのがミスマッチであるように、完全なミスマッチだ。
快勝ではあっても、だからどうした? 左サイドバックであるにもかかわらず攻め上がってばかりいるアレックス。でも勝ったじゃないか。 だからどうした? ほとんどの時間ボランチとしてポジションのバランサーに徹していた遠藤と稲本からはなんらクリエイティヴィティは見られない。ブンデスリーガ終了後の高原は再三ゴールを外す。中盤でプレッシャーがかかったのは中田だけ。彼もそれほど切れがない。でも「さすが!」のミドルを一発。だからどうした? 中田がプレッシャーを引き受けてくれた分、俊輔がフリーになって2点。だからどうした? すべては当たり前に展開しただけじゃないのか?
こんなゲームは8−0で圧勝すべきだ。3−0ではダメだ。だから、神話力が失墜しかけたジーコの「力量」が甦ったわけでもない。大久保は2点取り、高原も2点取り、中田と俊輔で2点、遠藤と稲本で2点。そうでなければこの「練習マッチ」の価値はない。話は突然変わるが、Nakata.net.TVで風間八宏のインタヴューに答える中田は45分間、パルマの監督ブランデッリ批判を展開した。世界的な生ハムの産地に中田はもう残る気はないようだ。中田の代理人はロンドンにいると言う。この「練習マッチ」を見ているよりも中田のインタヴューの方が面白いのは健康なことではない。

梅本洋一


 

ユニフォームばかりがレアルに似ているNZ相手では、とりたてたテストにもならない。話題を読んだサントスのレフトウイングバックを筆頭に、パラグアイ戦とメンバーは同じだ(ボランチは遠藤と稲本)。パラグアイ戦翌日の朝日新聞の、あまりの楽観的な論調にも閉口したが、やはりジーコの選手起用と采配にも閉口せざるをえない。
例えば、ボランチの攻撃参加かサントスの攻撃参加か、どちらを選択するかといえば、前者であるべきなのは明白だ。稲本のドリブルも遠藤のロングシュートも、サントスへのカヴァーリングのために、ほとんど見られなかった。稲本が最前線に駆け上がったことで生まれた中田の2点目が、ジーコの誤りを象徴しているだろう。稲本とトップ2枚(大久保と高原)が3方向に拡散し、NZディフェンダーは完全に的を絞れなくなった。あとは、中田の美しいフォームから生まれるミドルシュート。ただし、稲本の的確な攻め上がりはこのワンシーンのみだったはずだ。
サントスの有効な上がりはほぼ皆無だったし、そもそも中への意識が強すぎる。左足でボールキープし、中へ身体を向けた時点で、サントスの選択肢はディフェンスに見え見えだ。彼に名波のような多方向性を期待するのは無理だし、ポジショニングも中に絞りすぎだ(このことは右サイドの山田にも言える)。大きなサイドチェンジや、低くて早い対角線パスが皆無だったのも、原因のひとつはそこにある。ちなみに元も子もないことを言えば、彼のドリブルは日本代表クラスのディフェンダーにも通用しない。
アルゼンチン戦、後半からサントスを投入したとき、マッチアップの相手は既にサネッティだった。インテルの、アルゼンチンのキャプテンになぜサントスをぶつける? 勝機があるとでも言うのか? 次のフランス戦には、さすがに服部を使うだろう。ただコロンビア戦。コルドバが構える右サイドに、それでもジーコはサントスを使うのだろうか?
ちなみに、いまこれを書きながらフランス対コロンビアを見ている。前半途中だ。グリーンの芝生中盤にブルーとイエローがバランスを保ちながら濃密に配されている。コロンビアは可能性を感じさせるチームだ。もう少しのオートマティスムを導入すれば、一気に化ける。それにしても……、パススピードはゲームの濃密さを決定する最低条件だと、改めて確認せざるをえない。特にディフェンスからのパス。
もちろん、現在の日本チームには絶対に望めないことだが。

松井宏