コロンビアは南米の典型的な中堅チームだった。高い個人技と局面での三角形によってゲームを進めるこのチームは、同じような個人の高さを持つ格上のチーム(といっても今大会のフランスとの実力差は僅差だが)にはチーム力が引き出されるが、日本のような、ほぼ互角のチームを畳み掛けるほどの実力はないということだ。
日本チームに関して言えば、まるで先のワールドカップでのトルコ戦を見ているようだったというのが一番正確だろう。勝てる気がしない、ボールはキープするが得点の予感が全く無い(これはトルコ戦の直後、私の母親でさえ漏らしたセリフだ)。相手に怖さを与えられないということだ。これは攻撃のリズムや、あるいはシュート数などの問題ですらなく、もっともっと具体的かつ根本的なところに原因がある。パススピードなのだ。しかも、敵陣でのそれではなく、自陣でのパス回しのスピードだ。それに何も、相手フォワードのプレスがかかっているときだけの話ではなく、プレスの無いときのパススピード、それが決定的に欠けている。宮本、坪井、山田、あるいはボランチの絡むパス交換には「攻撃」への意志が全く欠けている。彼らの足をボールが伝う時間は、サッカーというプロセスを完全に放棄した時間であり、まさに「守備的」(保守的と言うべきか)と呼ぶに相応しい。それによって日本チームもゲーム全体も一気に厚みと魅力を失う。
もちろんこれはシステムや選手起用以前の問題だ。日本チームのDFは「攻撃」と「守備」の区別など相対的でしかないことをまず知るべきだし、ゴールと勝利への意志を具現化する方法、というかその方法を自分たちも担っていることをまず知るべきだ。スカパーでヨーロッパのリーグを毎日見て勉強する、そこから始めた方が良い。
こんな馬鹿げた話はもうしたくないのだ。私はただ極上の「プロセス=演出」をテレビで見たい、それだけだ。
松井宏
勝つか引き分けねばならないゲームをしっかり拾うことのできないチーム。高原のヘッドがバーをたたいたからか? 確かにコンフェデを通じて、高原は「当たっていない」。このゲームでも普通なら2点はとれていたろう。だが、FWは5回に1回のシュート・チャンスをものにすれば合格だ。このゲームでも2トップの片割れの大久保に比べれば高原の出来は悪くなかった。決定的な敗因は宮本の軽いプレー──ヒールパスを奪われる──ことにあった。ゴールを背にしてしっかりキープせず、軽いプレーに走る彼の欠点──ノルウェイ戦、ベルギー戦──はずっと補正されないままだ。このゲームでは森岡を起用すべきだった。だが、軽いプレーを1回だけではなく、何度も繰り返し、その度にボールをコロンビアに与えていたのは、小笠原だ。左足首の怪我の俊輔に代わって登場した小笠原は、事実、このゲームでコロンビアのアタックに何度も貢献している。パススピードが遅すぎ、何度もコロンビアにインターセプトされている。拾われたボールを追っても置いて行かれる。ミドルを1本打ったが、押し込まれる原因のほとんどは彼にあった。Jリーグなら通じるかもしれないパス速度が、スルーパスがこのレヴェルにあって、ピンチを招くことをまったく学ばない小笠原は、所詮、ドメスティックなレヴェルの選手であることが証明された。その小笠原は後半の半ばまで引っ張ったジーコも悪い。私なら──すでにスタメンでは使わないが──すぐに奥か明神にチェンジしていた。多くのチャンスを与えられて、常に期待を裏切る選手はやはりダメだ。国内で心を空しくしてボールを蹴っているしかないだろう。イエロー累積の稲本に代わって入っている中田浩二も何度かピンチを招くことに貢献した。W杯トルコ戦の教訓をまだ学んでいない。つまりヒデと遠藤しかしない中盤は苦しい。次々にコロンビアにボールを奪われる。対応に追われるひたりに輝きを求めるのは酷だ。遠藤はフランス戦のリヴェンジのチャンスなのに一度もFKを蹴る機会がなかった。監督にできることは限られている。そのもっとも大きな仕事は選手起用と交代だ。負けてはいけないゲームに宮本、小笠原、中田浩二を使った罪は大きい。5日間で3ゲームめの選手たちに疲労がたまるのは当然だ。そして負けてはいけないゲーム。ならばフレッシュな選手を起用するべきだった。アレックス、小笠原、中田浩二、宮本、大久保の代わりに、服部、明神、奥、森岡、永井だった。まず負けないこと、そして後半の20分から勝ちモードに入れること。交代期はその時間帯だった。ジーコには、ラグビーで言う「フレア」(煌めき)がない。コンフェデレーション・カップは、今日からフランスとブラジルの強化試合になる。日本チームにとって、決勝トーナメントに残れなければ、コンフェデは無意味な大会だった。
梅本洋一
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