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July 22, 2005

2005年7月22日

私は先日たまたまマゾッホの『毛皮を着たヴィーナス』を読みかけていて、そのことをあるお客さんに話していた。数日後、読み終えてみると結局この本は官能小説としては私には(『悪徳の栄え』と同じく!)まったくの役立たずだったことがわかった。今日になって彼が再びお店にやってくると、律儀に同じ本を読み終えてきた彼から言われた感想は、しかし私のそれとはまったく別の代物だった。彼は確かにこういった。「また俺がMだって思うかもしれないけど、変な話この本は下手なエロ本より全然よかったよ。ね」。もちろん私はひどく驚き彼に聞き返した。「え、つまりそれって……」「いや、Mじゃないよ」(これは彼の口癖だ)。「でもなんていうか……エロ本と比べるってことは、そもそも性的に満たされたってことですよね……」「まぁ、やっぱムラムラはするでしょ」。「……」。もちろん私もそれを期待してこの『毛皮を着たヴィーナス』を手に取ったのだ。しかし「体罰」のシーンも特に写実的というわけでもないし、「カップルのいちゃいちゃ」のシーンは微笑ましい限りだったし、「放置」のシーンも、その苦痛を快楽へと置き換える描写に強引さを感じた。もちろんそれらが作品全体の善し悪しを決定するわけではなく、私には「グレゴール」にとっての「ワンダ」の圧倒的な神秘性が全体を通して魅力的であった点で、この本は面白かったと思っていた。しかしわたしは抜けなかった。私は興奮しながら彼に質問した。「具体的にどこでムラムラきたんですか」「……あのじらされる感じがたまらなかったよね」。彼がMかどうかということはどうでもいい。そもそも私はこの本を読んで、マッゾホと現在日常的に言われる「M」には真性仮性の意味ではなく溝があるように思えたし、彼の感想を聞いてもそれは変わらない。重要なのは彼と私は性的な感受性が根本的に異なっているということだと思う。私はこれまで常連の彼の射精は何度も目の当たりにしてきた。当然それは私たちの性的な共同作業の結果だ。しかし私がこれまで性的だと勝手に判断して提供していたいろいろなことと、彼がそう受け取るいろいろなことは、ともすれば思っているほどかみ合っていなかったのかもしれないと、私は突然不安になってきた。その中で繰り返された射精は、何か奇跡的な不一致の結果でこそあったのだ。彼の何をわかった気になっていたのだろう。

投稿者 nobodymag : July 22, 2005 9:16 PM