特集 アラン・ギロディ

『ミゼリコルディア』
©2024 CG Cinéma / Scala Films / Arte France Cinéma / Andergraun Films / Rosa Filmes

 現代フランス映画を代表する、いや世界の現代映画をリードすると言っても過言ではない映画監督アラン・ギロディの作品3本が、日本で劇場初公開される。これまで一本も劇場公開されてこなかったのが不思議でもありまた当然でもあるような彼の作品は、既存の規範を軽々と飛び越える。どこまでも過激で、だからこそ果てしなく優しいギロディ作品に、この機会にぜひ出会ってほしい。

アラン・ギロディ インタビュー

秘められたものと明らかなもの

 アラン・ギロディの映画にはいつも秘密がある。初長編の『勇者に休息なし』(2003)の「最後から2番目の夢」をはじめとする初期作品における謎の固有名詞、『湖の見知らぬ男』の殺人や、『ノーバディーズ・ヒーロー』のホームレスのアラブ人青年ははたしてテロリストの一味なのか否か、など。だがそのうちの一本でも見れば明らかなのだが、謎が解けることがカタルシスをもたらすことなど決してなく、不明な点が払拭されようがされまいが、あっけらかんとそれはそれとして、ある。
 最新作『ミゼリコルディア』では、ジェレミー(フェリックス・キシル)は殺人を犯した夜のことを人から尋ねられるたびに嘘を重ねる。二転三転する彼のアリバイに、周りの人物たちは疑いを深めていく。一方で、この映画では、奇妙に思えるほど頻繁に、登場人物たちがジェレミーに「きみは〇〇のことが好きなのか?」と聞く。事件の謎とはさして関係ないところで投げかけられる質問に、駆け引きなどもなくジェレミーは素直に答えているように見える。

アラン・ギロディ(AG) ジェレミーという人物は、ミサの時に神父の手助けをする侍者のようなとても信心深く善良な側面と、シリアルキラーのような道徳を逸脱した側面との、両面を併せ持っていると思います。だから彼が結局そのどちら側にいるのかを私たちは決して知ることができない。
 彼はあの夜の出来事については嘘をつき、周りの人々は彼の言葉に惑わされます。ですが、彼は嘘をつく必要がないところでは正直なのだと思う。彼が他の人々に対して持つ欲望は、彼にとっては隠すべきことではない。だから「〇〇のことが好きなの?」という問いにする彼の答えは、嘘のないものだと思います。

 登場人物たちにとって謎である、ヴァンサン(ジャン=バティスト・デュラン)が失踪した晩にジェレミーはなにをしていたのか?という問題は、現場を目撃した観客たちにとっては全然謎でもなんでもない。一方で、登場人物たちにとっては自明なことであるかのようにやりとりされる好意や性的な関心は、観客にとっては必ずしもそうとは限らない(え?この人はあの人のことが好きなの?え?あの人も?といった具合に)。隠されたものと、隠しもせずさらけ出されたものとが、モザイクのように組み合わされていく。
 そして欲望が包み隠されるべきものではないのは、なにも『ミゼリコルディア』に限った話ではない。『湖の見知らぬ男』の全裸で性器を隠そうともしない湖の周りの男たちや、『ノーバディーズ・ヒーロー』で屋外まで響き渡るイザドラ(ノエミ・ルヴォウスキー)の喘ぎ声のように、性的な欲望は秘められた小さな部屋から広い場所へと飛び出していく。しかし『ミゼリコルディア』にはギロディ作品としては珍しいことに(!)性行為のシーンが存在しない。

AG『ミゼリコルディア』では、セックスの行為そのものは描かないことを試みました。つまり、欲望はいたるところに蔓延しているのに、満たされ充足することはない、そういう作品になっています。
 それが神父が重要なキャラクターとして登場する理由でもあると思います。しばしば人は神父を性的なものからかけ離れた存在として思い浮かべがちです。性生活とも恋愛感情とも無縁な生活を送り、すべてを神に捧げ、結婚することもなければ、子供を持つこともない、そんな人物として。
 その一方で、真逆の伝統もあります。フランスにはchanson paillardeという伝統的な猥歌があるのですが、そこには必ずと言っていいほど僧侶が出てくる。彼らの性生活を揶揄するような歌が非常にたくさんつくられるほど、聖職者の性欲は昔から非常に関心を持たれていたのだと思います。実際、近年でも聖職者による性加害のスキャンダルは多いですしね。ある意味で聖職者の欲望は否定された欲望と呼べるのかも知れず、僧侶の過ち、彼の性的な欲望についての映画をつくるというのは悪くないアイディアだったと思います。

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取材・構成:結城秀勇、浅井美咲
2025年3月7日

アラン・ギロディ(Alain Guiraudie)

1964年、フランスのアヴェロン県ヴィルフランシュ=ド=ルエルグ生まれ。サスペンスにユーモアを織り交ぜた官能的で独創的な映画が特徴的。これまで、短編3作品、中編2作品、長編7作品を監督している。これまでの主な受賞は、2001年ジャン・ヴィゴ賞、2013年カンヌ国際映画祭「ある視点」部門・監督賞とクィア・パルム賞、2024年ジャン・デリュック賞など。フランスで最も権威のあるカイエ・デュ・シネマ誌の年間ベストテン第1位に2013年と2024年に選出されている。最新作『ミゼリコルディア』は、フランスの劇場公開で、動員23万人を突破し、世界21カ国での公開が決まった。インディペンデント映画としては異例の大ヒットを記録している。

2025年3月22日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開

公式サイト:https://www.sunny-film.com/alain-guiraudie
公式X:https://x.com/alain_guiraudie
公式Instagram:https://www.instagram.com/alain_guiraudie/

『ミゼリコルディア』
監督・脚本:アラン・ギロディ
撮影:クレール・マトン
音楽:ヴァスコ・ペドロソ、ジョルディ・リバスジャンヌ・デルプランブランコ・ネスコC.A.S
美術:ロラーン・ルネッタ
キャスト:フェリックス・キシル、カトリーヌ・フロ、ジャン=バティスト・デュラン、ジャック・ドゥヴレ、ジャン=バティスト・デュラ、デヴィッド・アヤラ
2024年/フランス/シネスコ/103分/5.1ch
配給:サニーフィルム
©2024 CG Cinéma / Scala Films / Arte France Cinéma / Andergraun Films / Rosa Filmes

『ノーバディーズ・ヒーロー』
監督:アラン・ギロディ
脚本:アラン・ギロディ、ローラン・ルネッタ
撮影:エレーヌ・ルヴァ―ル
音楽:グザヴィエ・ボシュロン
キャスト:ジャン=シャルル・クリシェ、ノエミ・ルヴォウスキー、イリエス・カドリ、ミシェル・マジエロ、ドリア・ティリエ
2022年/フランス/1:1.85/100分/5.1ch
配給:サニーフィルム
©2021 CG CINÉMA / ARTE FRANCE CINÉMA / AUVERGNE-RHÔNE-ALPES CINÉMA / UMÉDIA

『湖の見知らぬ男』
監督・脚本:アラン・ギロディ
撮影:クレール・マトン
音楽:フィリップ・グリベル
美術:ロイ・ゲンティ、フランソワ・ラバルトローラン・ルネッタ
キャスト:ピエール・ドゥラドンシャン、クリストフ・パウ、パトリック・ダスマサオ、ジェローム・シャパット、マチュー・ヴェルヴィッシュ
2013年/フランス/シネスコ/97分/5.1ch
配給:サニーフィルム
©2013Les Films du WorsoArte / France Cinéma / M141Productions / Films de Force Majeure

「セックスをしなくても一緒にいることができる」品川悠

『湖の見知らぬ男』
©2013Les Films du WorsoArte / France Cinéma / M141Productions / Films de Force Majeure

 このひとにできるだけ近づきたい、しかしそれは叶わない。アラン・ギロディの映画は、少なくとも今回上映される『湖の見知らぬ男』、『ノーバディーズ・ヒーロー』、そして『ミゼリコルディア』の3本は、そのような成就しない(性)愛の物語とひとまず見立てることができる。そう見てゆくと、ギロディ映画において、ひとの行動を突き動かす「欲望」という動因が浮かび上がってくる。彼らは、自らの欲望を隠そうとはしない。つまり、もし本心なるものがあるとしてもそれはどうであれ、各々が自らの欲求を率直に吐露する。
 このひとにできるだけ近づきたいという欲望は、あられもなく言ってしまえば、まずセックスをしたいという欲求として描かれる。たとえば、とある湖畔の一夏の出来事を描く『湖の見知らぬ男』において、毎夏そこに通う主人公フランク(ピエール・ドゥラドンシャン)は、初日から気になる男を見つける。気になった男にはいつも相手がいたと惜しむ彼は、だが今回は意中の人ミシェル(クリストフ・ポー)と関係を持つことに、ひとまず成功したように見える。いわゆるハッテン場となっているその湖畔では、誰もが湖で泳ぎ、ほとりで全裸で寝そべり、森の中で身を潜めて性行に耽る。『湖の見知らぬ男』は、相手への接近はおろか、性行までをも容易に実現させてしまう。しかしそれゆえにか、ふたりは欲望の方向性においてすれ違ってしまう。湖畔の外でもなお関係を持ち続けたいと主張するフランクと、あくまでこの場所の気楽な付き合いに留めようとするミシェル。実際、彼らの性行為は特別な瞬間としてではなく、同じ運動をひたすら繰り返す作業のようにも見えてくる。そしてその性行為を見て愉しむ他の男の存在が、そのような親密さから二人をさらに遠ざける。

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「コンクリートの地上で愛欲は肯定される」作花素至

『ノーバディーズ・ヒーロー』
©2021 CG CINÉMA / ARTE FRANCE CINÉMA / AUVERGNE-RHÔNE-ALPES CINÉMA / UMÉDIA

『ノーバディーズ・ヒーロー』が、『湖の見知らぬ男』『ミゼリコルディア』と比べてやや異質な物語を語っているように感じられるとしたら、それは端的に田舎ではなく都市を舞台にしているからだろう。なぜ都市であることが物語に影響を与えるのかといえば、この場合おそらく、地面が舗装されているからである。
 この3作品に共通していることの一つは誰かが殺されるということである。『湖の見知らぬ男』においては、終始波の立たない不気味なほど穏やかな湖に一人の男が沈められて殺され、『ミゼリコルディア』では、主人公に殺された男の遺体が森の土に埋められ隠匿される。さらに『ノーバディーズ・ヒーロー』では、クレルモン=フェランの街でテロらしきものが発生している。そして『湖の見知らぬ男』と『ミゼリコルディア』の場合、主人公は水面/地面にのみ込まれた死者の気配に脅かされながら、その場所に縛り付けられることになるのだ。ところが『ノーバディーズ・ヒーロー』の街の舗装された地面には何も埋まることがない。主人公のメデリック(ジャン=シャルル・クリシェ)は「テロ」が起こった広場の地上にやって来て、犠牲者を追悼する市民の姿や手向けられた無数の花束を眺めるが、事件が彼をその地点に、あるいは心理的に拘束することは決してない。彼が「テロ」と関わるのは、ただ事件のせいでイザドラ(ノエミ・ルヴォウスキー)とのセックスが中断させられたままになってしまったという点と、彼が助けたアラブ系の家出青年セリム(イリエス・カドリ)が逃亡したテロリストかもしれないという疑念においてである。ある夜、メデリックは自宅のアパートメントに泊めたセリムが過激派の仲間たちを招き寄せ、祈祷を捧げているのを目撃する。捕まったメデリックはテラスから突き落とされ、彼の目の前に地面が迫り来る——しかしこれは彼の単なる悪夢である。固いコンクリートの地上の死はどこまでも抽象的なものなのだ。

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