——アルノー・デプレシャン監督の作品は、これまでもアメリカ映画への愛に満ちたものばかりだったと思いますが、今作『ジミーとジョルジュ 心の欠片(かけら)を探して』(以下、『ジミーとジョルジュ』)では冒頭のショットからまさしくアメリカ映画的な、西部劇的な風景が広がっています。アメリカで映画を撮るということに対し、強い意気込みがあったのでしょうか?
アルノー・デプレシャン(以下、AD) :すでに私は英語の映画を1本撮っていて、それは『エスター・カーン めざめの時』(2000)という作品です。他の私の作品が人々の集団を描いていたのに対し、『エスター・カーン』と『ジミーとジョルジュ』は両作品とも強迫観念のようなものに憑かれた個人の--『ジミーとジョルジュ』では、ふたりの人物が映画の中心になるわけですが--肖像を描いた作品であると言えるでしょう。
アメリカで撮影をしたのは今回が初めてですが、『ジミーとジョルジュ』は私がこれまで撮ってきた作品のなかで最もヨーロッパ的、最もフランス的な作品です。ジョルジュ・ドゥヴルーという医師がヨーロッパからアメリカにやってきて、アメリカ・インディアン[編註:『ジミーとジョルジュ』は1940年代のアメリカを舞台にしているため、劇中では「ネイティヴ・アメリカン」の呼称は用いられない。本採録ではそれに倣い、文意上必要だと思われた箇所を除いて「ネイティヴ・アメリカン」の呼称を「アメリカ・インディアン」に統一した]のジミーに出会う。かけ離れた世界にあるふたり、一方には古いヨーロッパ的な文化・伝統を持ったジョルジュ・ドゥヴルーがいて、そしてもう一方には絶対的なアメリカ人、アメリカ・インディアンのジミーがいる。彼らがアメリカという場所で出会うわけです。
本作ではアメリカ映画をつくろうというよりも、ヨーロッパの一部をアメリカに持ちこみたいと考えました。私が面白く感じていたのは、精神分析というふつうであれば観客が怯えてしまいそうな題材を用いたことです。精神分析には、たとえば狭い小さな部屋に閉じこもって長椅子に横たわって受けるものだというイメージがありますね。心の内部という小さな問題を西部劇のようなアメリカの巨大な風景の中に移しかえるということに興味があったのです。シネマスコープでの撮影を選択したことも関係がそれにあります。
冒頭ばかりでなく、フラッシュバックで現れるジミーのアメリカ・インディアン居留地での過去のシーンは、本当の居留地でそこに住んでいる人々とともに撮影をしました。フランスでも日本でも子どもにはふたつの種類があると思います。インディアンの存在を知ったときに、カウボーイになりたいと思う子どもと、インディアンになりたいと思う子どもです。私はインディアンになりたいと思った子どもでした。インディアンに関する本を読み、インディアンが使う手話のような動作を学んだりもしました。
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