ベルギーの女性映画監督、マリオン・ヘンセル。これまで日本で公開された映画は数少ないが、『Dust』('83・ベネチア映画祭銀獅子賞)、『Quarry』('98・モントリオール映画祭グランプリ)など、その作品は世界的に高い評価を得ている。彼女の新作『雲−息子への手紙』(01)が今秋日本で公開されることになった。
『雲−息子への手紙』はそのほとんどが雲の映像で構成されている。アイスランドの火山、アルプス山脈、スコットランドの牧草地、喜望峰など、世界の様々な場所の上を流れる雲。あるいはいくつもの絵画のなかに描かれた雲。そういった様々な雲の映像が自然の生み出す音と息子へあてた手紙の朗読とともに流れていく。
雲ばかりを撮った写真集はよく知られているが、彼女はあくまでも雲を絶え間なく動き続けるものとして捉えたかったという。
「今回この映画を撮るにあたっていろんな雲の写真を見たのは確かです。ただ私はカメラマンではありません。映画に携わる人間で、動く映像を撮ることが私の仕事です。また、雲そのものが映画的なテーマだと思ったのです。雲は常に変化し、形だけではなく色なども変わっていきます。おそらく永久に動き続けるものです。映画というのは映像と音でできていますが、雲そのものには音がありません。しかし、雨や風があってできるもので、それらには音があります。だから、雲は、それ自身は音がないけれども、音とともにあるものです。そういう意味では、映画にするにはもってこいのものだと思います。
雲はどこにいても見ることができるものなんですが、いま、たくさんの人たちが雲を見ることの楽しさを忘れているように思います。そんなことをするよりも、携帯電話で話すことが楽しかったりして、少し顔を上げれば簡単に見ることができるこんなに美しいものを忘れているのではないかしら。だから、この映画を見て、多くの人がもっと雲に目を向けてくれるようになれば嬉しいですね」
この映画は撮影だけでなく、ポスト・プロダクションにも多くの苦労があり、2400万円(製作費の15%)もの費用がかかったとのこと。
「撮影は35mmを使ったのですが、それを一度HGでとりなおしてデジタルに置き換え、さらに35mmに焼き付け直したのです。この映画のなかには300箇所ぐらいフェードをかけた部分があるのです。雲は始終動いているので、映像もその流れのなかでつくっていかなければなりません。ただカットしてしまうと、雲の動きが止まってしまうようになるので、そうならないように、他の映画よりもかなり多くのフェード・ポイントを必要としました。そのためには、色の調整も細かく必要となりますし、一度デジタル処理をするという方法しかなかったのです。
また、音も同時録音ではなく、すべて後からつけたものです。5カ国語で5つのバージョンをつくりましたので、その度にミキシングをし直しました。言語の違うバージョンをつくったのは、字幕だと観客が文字を追わなくてはならないので、映像をよりリラックスして見てもらおうという考えがあったからです。もちろん世界的に有名な女優たちにナレーションをやってもらうことで、興行的にプラスに作用するのではないかという部分もありましたが(笑)」
カトリーヌ・ドヌーヴ、シャーロット・ランプリングといった女優たちが朗読するテキスト(手紙)は、息子が誕生し、成長していく時間とともにある。世界各地でおさめられた雲の映像がほとんどフィックスで捉えられているのに対し、手紙が朗読されるシーンは病院やホテルの一室が移動撮影によって捉えられている。
「ナレーションで読まれる手紙は、息子が18歳になるまでの、彼と私の時間と関わっていて、そこには具体的な場所−−たとえば出産や私が夫と離婚したときにいた場所−−が含まれるわけです。また、始終動いている雲をフィックスで捉えるのに対して、手紙の朗読が入るシーンは場所は動かないままそこに存在し、カメラが動くわけです。そのように正反対の映像を組み合わせたのは、映画監督としての自分の美意識によるところが大きいですね」
そういったふたつの種類の映像が交互に立ち現れることによって、私たちは彼女が息子と過ごしてきた時間と、ただ雲流れ続ける計り知れない時間を感じることになるだろう。それを意図してか、ヘンセルは1年もかけて移動し続けた過程をフィルムには刻みつけていない。
「雲は掴むことができないし、限りのないものです。自然のサイクルがどのくらい続くかといえば、永遠に続くとしか言いようがありません。だから、雲を見ることによってある時間の流れを感じ取ることは非常に難しいと思います。
移動過程を見せないのは……雲の絨毯にのって移動したからですね(笑)。私はこの映画をドキュメンタリー映画として撮ったわけではありません。ドキュメンタリーとして撮ったなら、もっと撮影過程のようなものを見せていったのかもしれませんが、私はこの映画をもっと詩的なもの、雲が奏でるエッセーのようなものにしたかったのです」
取材・構成 黒岩幹子
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