『ウェンディ&ルーシー』
池田百花(大学院生)
© 2008 Field Guide Films LLC
映画は、いくつもの列車が停まっている車庫の中に、一台の貨物列車がゆっくりと走ってくる音と映像から始まる。それからシーンが切り替わり、ミシェル・ウィリアムズ演じるウェンディの途切れ気味の鼻歌が画面の外から聞こえてくると、彼女が愛犬のルーシーと森の中で遊んでいるところをカメラが追いかけていくが、次の瞬間、ウェンディはルーシーを見失い、その名前を呼ぶ彼女の声だけが画面に響き渡る。走る列車、ウェンディの鼻歌、そして不在のルーシーに呼びかける彼女。このように冒頭で立て続けに展開されるモチーフに思いをめぐらせる間もないまま、画面にはウェンディの旅の様子が映し出されていく。
作品内で反復されるこれらのモチーフについて考える前に、ひとまずウェンディの彷徨の物語の成行きをたどってみると、仕事を求めて、愛犬と一緒に車でアラスカへ向かう彼女は、その途中で車が故障して足止めにあったことから、大切なものを失い、予期せぬ運命に直面することになる。まず、家を持たずに移動するウェンディたちにとって住むための場所でもあった車は、修理のために持っていかれてしまう。続いて、愛犬の餌が残り少ないことに気づいたウェンディは近くのスーパーへ向かうが、それを万引きしていたところを見つかって取り調べを受けている間に、店の前で待たせていたルーシーはどこかへ行ってしまっている。彼女は、目的地までの長くて孤独な旅を共にする車も愛犬も一挙になくすことになるのだ。こうしてさ迷う彼女の描写と並走するように、作品の初めに示されていたモチーフは、最後まで要所要所で反復されていくのだが、それらはいったい何を意味しているのだろうか。
中でも不思議なのはウェンディの鼻歌で、彼女の身に次々と困難な出来事が起こる最中にも、どこか穏やかな印象を与えるそのメロディーが差し挟まれている。この鼻歌に象徴されるように、彼女からは悲劇的な要素が感じられず、そのことこそがウェンディという人物の特異性を表しているように感じられる。事件に見舞われた時、彼女は、たとえ一瞬悲しんだとしても、次の瞬間には文字通り歩き始めていて、立ち止まって考えるということがほとんどない。その澄んだ視線は、たとえば、物語の中でただひとり、彼女を助けようと手を差し伸べてくれる警備員の男性をも戸惑わせてしまうほど、一切のものを躊躇なくまっすぐと見つめている。この映画の主人公は、自ら悲劇のヒロインになることを望まず、起こっていることを正面から見つめてそれを全身で引き受けようとするのだ。
物語の最後、それまで持っていたものをすべて失ってしまったウェンディが、身ひとつで貨物列車に乗り込む場面でも、やはり同じ鼻歌が聞こえてくる。そしてここでの彼女の姿からは、マルグリット・デュラスの「ボア」(『木立の中の日々』所収)という初期の短編に登場する少女の姿をも連想させられる。
© 2008 Field Guide Films LLC
そしてわたしは、わたしの人生の未来、そもそも人生というものの可能な唯一の未来の世界が姿を現すのを見た。その世界が、からだをくねらせてすすむ蛇の音楽性、純粋性をもって開かれていくのを見たのであり、わたしには、もし自分がその世界を知ることがあれば、その世界はやはりおなじようなかたちで、つまりわたしの生が幾度となくとりこになり、休息もなく疲れも知らず、恐怖や、陶酔の忘我状態のうちに終局へとみちびかれるという、壮麗な連続性をもった展開のなかで現われるにちがいないと思われた。
デュラスの描く少女が、自らの人生の展開を、長い身体を持った蛇の姿になぞらえるように、ウェンディも、いくつもの車両が連なってまるで蛇のように長くうねりながら進む貨物列車に乗り込んで、これからの人生へと進んでいく。ふたりを重ねてみると、彼女たちは「終焉」へと運ばれてゆく列車の中で、人生というものが絶えず「捕えられ」、それが休みなく進んでいく展開から逃れられないことを引き受ける。しかしそうした展開は「歓喜の興奮」のうちにあるものでもあり、デュラスが用いる「歓喜」という言葉が同時に「喪失」という意味を孕んでいることもまたウェンディの主題と重なる。
これまで見てきたウェンディの鼻歌と走る列車のモチーフの他に、作品の冒頭で、いなくなった愛犬に呼びかける彼女の声が響いていたことも、ここで思い出しておきたい。物語の始めからすでに、ウェンディが大切な存在を失うことが予告され、『ウェンディ&ルーシー』というタイトルでも、彼女はその不在の対象と結びつけられている。しかし彼女にとっての「喪失」は、デュラスにおけるそれと同じように、一義的な意味だけで捉えられるものではないだろう。揺るぎない眼差しを持って喪失の先へ踏み出すウェンディの姿を最後に、彼女を乗せて走る列車の音にあの鼻歌が重ねられ、いつまでも響き続けている。