Lost and Found

松田春樹

 果てない海と空。幾重にも重なった青色が画面一面に広がるファーストショット。続く場面では、その多層的な青色がホテルの窓枠に縁取られ、二人の男が部屋から窓枠を見つめている。ここでカメラは、二人の男を背後から捉えており、一人はベッドに腰掛け、もう一人は窓の傍に立っている。続いて、ショットは腰掛けている男の背中のクロースアップとなり、Tシャツの背には異なるフォントで大小二重にデザインされたUMBROのロゴが浮かび上がる。海の方に身体を向けているその男は、しかしこちらからは背中しか見えないので、海を望んでいるのかいないのか、まだわからない。立っている男が部屋から出て行ったあと、ようやくカメラは腰掛けている男の横顔を映しだす。男は立ち上がり、テーブルの上にあるものを掴みとろうとするのだが、このときの蜘蛛みたいな手の動きがやけに印象に残る。夢から醒めたときのような、現実の肌触りをそっとたしかめるような、そんな動きに見える。

©2024 NOBO/MLD Films/Incline/High Endz

 海沿いを歩くUMBRO・Tシャツの男。波風は近くでゴォォッという荒々しい音を立てていて、ホテルの窓枠から見ていた綺麗な青色ではもはやない。そこへ一本の電話が鳴る。電話の声は、その男を佐野と呼び、凪という名前らしい彼の妻が残した仕事に対する催促をしている。佐野は覇気のない声で二、三適当な返事をしたあと、苛立つように、手にしていた電話を勢いよく海に放り投げる。しかし、放り投げるアクションとは裏腹に、彼がこの旅で為そうとしていることは、ある赤い帽子を探すことだったことが徐々にわかってくる。佐野は一枚のボロボロの写真を取り出し、五年前に無くしたものは見つかったかとホテルのスタッフに尋ねる。そんなものはあるはずもなさそうなのだが、佐野は何かに取り憑かれたように赤い帽子を探し続けるのだった。佐野に同行しているもう一人の男=宮田は、そんな佐野を見かねて「時間や物に縛られている」と言って、捜索をやめるよう促す。しかし、物に執着しているのはどうやら佐野だけではなく、宮田自身にも当てはまるようだ。宮田の小指には金色に輝く大きな指輪がはめられていて、それはSUPER HAPPY FOREVERといういかがわしいセミナーの会員証であるのだという。ボクシングをやっている宮田は、そのセミナーに通い始めてから「相手のパンチがよく見えるようになった」と言い、佐野とは対照的に血色も良く、たしかに好転の兆しがあるようだ。物を無くさずに持っていられる宮田は幸福で、物を無くしてしまった佐野は不幸である──そういうことなのだろうか。
 やがて佐野が探し求めている赤い帽子が凪の物であり、その凪が最近死んだということが明らかになる。佐野が本当に無くしたものは赤い帽子ではなく、凪なのであった。最愛の人を亡くす経験は人生のすべてを失うことだと言い換えてもいいかもしれない。佐野に生気がなく、旅先で出会う人々に片っ端から悪態をつくのはそのためなのだ。閑散とした行楽地を彷徨う佐野の身体は魂のない抜け殻のようであり、モラルなき蛮行も相まって、まるでゾンビのように見える。何をしでかすのか予想もつかない歩く屍は、海の家のような場所で、偶然出会った宮田と同じセミナー会員の女性たちを怒らせてしまう。しかし次の瞬間には、その場ですっと立ち上がってどこかに消えたかと思えば、唐突にボビー・ダーリンのBeyond the Seaをカラオケで歌い始めるのだ。最愛の人を失ったあとに歌なんて……、しかしここで意外にも佐野は、とりあえず声に出してみたというような素朴さで歌を歌う。その純粋な歌声を聞くと、佐野が自身の声を通して、おそるおそる何かを見つけ出そうとしているようにも見えてくる。佐野は途中で歌うのをやめてしまうが、その戸惑いの表情は、わずかながらもたしかな彼自身の変化としてカメラに捉えられている。
 その後、飲酒で派手に暴れた佐野であったが、ある朝ふと耳をすますとホテルの清掃員がBeyond the Seaを鼻歌で歌っている。そんな奇跡を聞き逃すまいと、廊下と部屋を繋ぐドアの間にタバコを挟んだ佐野は、そのメロディを聞きながら、部屋の入り口にもたれかかって眠り込んでしまう。佐野を捉えたカメラは、一度部屋の白壁を映し出したあと、誰もいない窓の方へ向けてパンをする。するとそこに、Tシャツにデニムを合わせたロングヘアーの女性が現れる。女性はキャリーケースを置いたあと、テーブル上にあるホテルの電話で友人と会話をする。このとき、映画の冒頭で宮田が口にした「同じ部屋か?」という言葉がふいに思い出される。佐野が立ち上がって何かに触れようとしたときと、ほとんど同じ立ち姿の女性がスクリーンに映し出されていることに気づく。すると、電話越しの友人はこの女性を「凪」と呼ぶのであった。つまり新たに示される映像は、凪が生きていた時間を映し出しているということが徐々にわかってくる。冒頭で見せた佐野の妙な手つきは、この場所に凪がいたことの痕跡を見つけようとした身振りだったのだろうか。

©2024 NOBO/MLD Films/Incline/High Endz

 佐野と凪が出会った五年前の映像を通して我々が目にするのは、物に執着する男たちとは対照的に、凪がかろやかに物を無くしていく姿だ。旅先での必需品とも言える携帯すらも平然と家に起き忘れてしまい、彼女の性質を補填するためにあるように思えるフィルムカメラでさえもホテルに置き忘れてしまう。では、無くす人と言える凪は不幸に映るのかといえば、必ずしもそうではない。カメラは一人旅となってしまった凪を追っていくのだが、彼女はまずとにかくいろんな場所を見て歩き回る人物である。加えて、凪は身の回りで起きた出来事によく気づく人物でもある。佐野がセミナー会員たちに披露した凪との出会いの逸話が再現されるシーンはその一例だろう。うたた寝した女性が携帯を落としそうになって空中で拾い上げる、映像で見ても驚くあの瞬間を凪は見逃さなかった。他にも、海沿いを歩く凪は、砂浜に弁当を落としたホテルの清掃員=アンに気付き、すかさず駆け寄って食べ物を分け与える。一期一会の出会いと思われたが、そのアンがホテルの宴会場でBeyond the Seaを歌っているところを、凪は偶然遠くから見つけて、二人は再会する。そのようないくつかの気づきがきっかけとなり、凪は佐野と宮田、そしてアンとの特別なヴァカンスを過ごすことになる。それは、それぞれの小さな気づきがひとつでも欠けてしまっていたら存在しなかった時間なのである。
 ひとつひとつ見つけてきた小さなもの、そのうちのひとつを凪は無くしてしまう。佐野から誕生日プレゼントとして貰った赤い帽子である。来た道を引き返しても赤い帽子は見つからず、凪は青ざめて、時間の感覚を失うほどである。そのせいで佐野との約束の時間もすっぽかしてしまい、幸福な時間は一気に崩れ去ってしまう。道端で偶然、佐野と出会った凪は赤い帽子を無くしたことを正直に打ち明ける。すると、佐野は安堵した表情で「一緒に探そう」と言うのである。赤い帽子を再び探しにいく二人の背中を捉えて、過去の映像は終わる。
 現在に戻った映画は、眠りこけてしまった佐野を映すことなく、廊下で清掃に励むアンの姿を映し出す。カメラは丁寧に、閉館するホテルの最終日に働く彼女の姿を追っていくのだ。五年前の凪との別れの場面で「日本で何かしたいことはある?」と聞かれたアンは「何もない、ただお金を稼ぐだけ」と答えていた。そんな労働も今日で終わりを迎える。つまり、このアンもまた、故郷のホーチミンを出て、長い間働いてきた場所を失う人物として映るのであり、新たに何かを見つけようとして、ホテル沿いの桟橋に立つのだろう。佐野が探していた赤い帽子は今、アンの頭上にある。そんな彼女の後ろ姿が、五年前のこの場所で何かを見つけようとしていた凪の姿に重ね合わさって見えるのは言うまでもない。

←戻る