見えない顔は常に

池田百花

 窓の外に海が広がるホテルの一室。カメラは、白い光が差し込むこの部屋でベッドに腰掛けて外を眺めるTシャツを着た男の背中をとらえている。そして、彼と一緒にこの部屋にいる浴衣姿の男がフレームインすると、画面に背を向けた男のほうを振り向いて声をかけるこの浴衣の男の顔が先に映り、彼が間もなくフレームアウトして部屋から出て行く音が聞こえてようやくTシャツの男の横顔が映し出される。うつむいてどこか上の空の彼の顔はその後もしばらくはっきりとらえられないまま、ふたりの男がこの海辺のホテルにやって来た理由が徐々に明らかになっていく。ここで最初に登場する佐野という男性は、5年前にこのホテルで出会ってその後結婚した凪という女性を亡くしたばかりで、当時彼女がなくしてしまった赤い帽子を探しに来たのだった。こうして、同じ場所を舞台に、凪がいない現在と、彼女と佐野が出会った過去というふたつの時間軸が交差しながら物語は展開していくのだが、そのなかでこの冒頭の背中のイメージに繰り返し引き戻されることになる。

©2024 NOBO/MLD Films/Incline/High Endz

 はじめに現在のパートで、ホテルを訪れた日の夜、凪の死を受け入れられず半ば自暴自棄になって海で酔いつぶれた佐野が、部屋まで自分のことを連れて帰って倒れ込むように眠ろうとする宮田に話しかける場面がある。そこで佐野は、自分に背を向けて横になる宮田に対して、凪が起きなかったときのことを思い出すから背中を向けないでくれとつぶやく。このように、冒頭で顔よりも前面に押し出されていた佐野の背中のイメージは、彼にとって凪の死を連想させるイメージに結び付く。
 続いて過去のパートで、佐野と凪が出会った次の日の朝、画面に最初に映るのも、横たわっている凪の背中のショットだった。それこそが、佐野が最後に見た彼女の姿だったことをこの時点ですでに知っている私たちは、次の瞬間起き上がって動き出す彼女を見ても、その姿にどこか実体のなさを感じざるをえない。そしてこのときから彼女の顔もそれまでとは違う仕方で画面にあらわれていないだろうか。赤い帽子を被って海辺を歩く彼女の顔は遠くからのショットではっきりとらえられず、そうした存在の不確かさからか、彼女そのものが、寄せてくる海の波にいまにも呑み込まれてしまいそうに感じられる。つまり彼女の顔は、もちろん実際には画面に映っているのだが、見えないという印象を与えるのだ。
 果たして、背中のイメージの延長に、顔の見えない女性としての凪のイメージが浮かび上がってくるとすれば、佐野が追い求めていたのもそんな彼女のイメージだったのではないか。実際、彼が帽子を探すために人に見せる写真に写っている凪の顔はカメラのフラッシュで真っ白になって消えてしまっているし、彼が探している帽子自体が彼女の顔を隠すモチーフであるとも考えられる。
 さらに、もともと佐野が凪にプレゼントしたこの帽子をめぐる物語には、そのキーパーソンになる人物として、アンというベトナム人の女性が登場し、いわば第三者の立ち位置にある彼女が、本人も知らぬ間にふたりの物語に関わっていくことになる。5年前からすでにこのホテルで清掃員の仕事をしていたアンは、凪の滞在中に彼女と何度か言葉を交わしていた。浜辺で凪がアンに話しかけたところから彼女たちの交流は始まり、その後ふたりは度々再会する。特に、アンがホテルのカラオケ大会のリハーサルで歌っていた『Beyond the Sea』という曲は凪の記憶に残り、彼女と佐野の関係性のなかで重要な役目を担うことになる。そしてチェックアウトの日の朝、帽子をなくしてしまい、帰らなければいけない時間までにそれを見つけられなかった凪は、もし帽子が出てきたらアンに持っていてほしいと頼むのだ。
 実際に『Beyond the Sea』は、いわばライトモチーフのように用いられながら物語の過去から現在にわたって何度も登場する。佐野と凪が、出会った日の夜、バーからの帰り道にコンビニに寄り、店の前に並んで座ってカップラーメンを食べる場面があるのだが、そこでラーメンができあがるのを待っている間、凪は、少し前にアンが歌っていたこの曲を思い出して鼻歌を歌う。そしてそれは佐野にとっても思い出の曲になり、彼は、あるときはこの曲を自ら歌い、あるときは偶然耳にして、その度に彼女を思い出すことになるのだ。このコンビニの場面で凪は言っていた。「カップラーメンでこんな幸せになれるんだったら、永遠にずっとめちゃくちゃ幸せでいられる」。まさしく映画のタイトルを想起させるこの言葉は、そう言っていた凪がもういないということがこの時点ではわかっているがゆえに、日常の些細な幸せが実は奇跡のようなものだということをより浮き彫りにする。

©2024 NOBO/MLD Films/Incline/High Endz

 さて、こうしてこの映画では、帽子というモチーフを通して、失った何かを再び見出そうとすることが問われているとすれば、今作のもとになっている『水魚之交』(2023)という短編もまさに、なくしたものが見つからないところから物語が始まっていた。『SUPER HAPPY FOREVER』の前日譚のような位置づけにある前作では、幼馴染の佐野と宮田が、凪に出会うよりさらに前に同じホテルを訪れていて、その冒頭から佐野の片方の靴はなくなったまま出てこない。しかし最後にその靴を探すのを諦めて帰ろうとしていたとき、それは不意に見つかり、同時に佐野は、さっきまで遠くに見えていた海が目の前にあったことに気づくのだ。このように、『水魚之交』のラストで、なくしたものが見つかるのとときを同じくして立ち現れてくる海は、この一連の物語に通底する要素として『SUPER HAPPY FOREVER』にも引き継がれ、より一層広がりを見せることになる。一方で『SUPER HAPPY FOREVER』の結末は、前作の物語と響き合いながら、佐野がなくして探していたものを思わぬかたちで画面に映し出している。
『水魚之交』では、佐野が探していたものが彼自身のもとに戻ってくるのに対して、この映画では、彼ではなく、ホテルの清掃員のアンによって再発見されることになる。ラストシーンで帽子を被った彼女は、かつての凪と同じように波打ち際に立って海を見つめ、最後に振り返ったアンの顔は帽子の影で隠れて見えず、彼女が画面から姿を消すと、ときおり水しぶきを上げる海だけが映される。こうして、もはや顔が見えないがゆえに、アンでありながら凪でもあるかもしれないひとりの女性のイメージがあらわれ、佐野が失った対象は、彼の知らないところで、別のかたちで見出されるのだ。いまやイメージと化したその女性は、画面から姿を消してもなお、常にそこにありながら別の場所にもある海に散種して微笑んでいる。そして「永遠にずっとめちゃくちゃ幸せ」な日常が失われて光が見えないように思える瞬間も、世界の別のどこかではそんな幸せがあり続けるのかもしれないという希望が、煌めく明るい海に瞬いている。

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