《再録》上原知子の顔
『あじまぁのウタ 上原知子ー天上の歌声』青山真治
[ cinema ]
(2003年6月30日発行「nobody issue8」所収、p.53)
※WEB掲載及び著者の意向にあたり、タイトル含め初出より加筆修正したものとなります
「動かぬこと。/自ら任意の定点となって周囲を回転、または交錯させること......」(青山真治「交響」)
去年、新聞を読んでいてだか、テレビを見ていてだか、とにかく唐突に沖縄が「本土復帰」してから30年が経ったということに気付いて、意外に感じた。30年という月日が、
『あじまぁのウタ 上原知子 天上の歌声』(02)には、青い海も、美しい珊瑚礁も、ましてや米軍基地も出てこない。舞台は小規模なライヴ会場と小さなレコーディングスタジオのみに限られる。りんけんバンドの演奏と上原の歌声、加えて上原と照屋林賢の会話が、『あじまぁのウタ』の主旋律になる。照屋は「民謡の世界は惑星のようなものだ」と言う。「外部からやってきた人間にはどうしても同化できない部分がある」。沖縄で生まれ育った照屋でさえも外部の人間になってしまう、それが民謡の世界だ。上原の身体と、それが生み出す音が、沖縄に行ったこともなく、りんけんバンドを聴くことすら初めての私に対しても、その世界の存在を微かに伝えてくれる。
照屋は1967年、ミュージシャンを志して上京したことがあるという。それは「上京」というより、正確には
『あじまぁのウタ』は何よりも上原の顔についての映画だ。それは冒頭からはっきりと示されている。薄暗い照明の中、上原が歌い出した瞬間から、たむらまさきのカメラは、執拗に上原の顔を捉え続ける。角度や表情によって、がらりと印象が変わるその顔は、幼少のころから「ウタ」という、安逸と同一性とはおよそ無縁な事象と、格闘し続けた人間の顔だ。『あじまぁのウタ』には青い空も、美しい珊瑚礁も、ましてや米軍基地も出てこない。けれど何にも増して豊かな上原知子の顔とスタジオの窓に差し込むきつい日差しが、内部と外部が入り混じったこの世界の存在と青山真治の思考の結実をたしかに伝えてくれる。