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June 30, 2003

《再録》さまよう時間たち

『秋聲旅日記』青山真治

黒岩幹子

[ cinema ]

(2003年6月30日発行「nobody issue8」所収、p.56)

nobody8_表1.jpg 「そこの庭の向うに、その遠く下に犀川が流れるのを見ていると少なくともこの町にいる人間が時間をたたせるのではなくてたつものであることを知っていてその時間が二つの川とともに前からこの町に流れているという気がした」(吉田健一 『金沢』)

 金沢シネモンド映画講座ワークショップの一貫として撮られた本作は、そういった制作背景を別にしても、金沢という「町」を抜きにしては語れない映画だ。「金沢が生んだ三大文豪」のひとりとされる徳田秋聲の作品を原作としているが、ここでの主人公・秋聲はすでに「金沢の人」ではない。移動しているのではなく、流されている(移動させられている)ような空撮ショットで始まる冒頭。その時点で、私たちは早くも、秋聲がここに(再び)流れてきたのだということを知ることとなる。
 愛着や郷愁、はたまた旅の手帖の類を介さずに「ある町」に送られる眼差し。そこには何よりもまず地理的な構造が介在していなければならない。それぞれ丘を背にして流れる犀川と浅野川というふたつの川。それらの川に挟まれていくつもの交わりをつくる路地の集積。そして、路地に沿って立ち並ぶ日本家屋に内包された無数の線(畳、梁、鴨居、敷居、障子、板の眼)。
 常に秋聲の眼差しの焦点となる女性、お絹はそういった無数の線、空間の上に立たされている。自ら選んだわけでも、課されたわけでもなく。しかし、彼女はたしかに金沢という町によって生かされているのだ。だからこそ、その線上に立つことができない秋聲は、お絹に対して常に斜めから視線を送り続ける。その(視)線が彼女によって反射され、屈行することによって初めて秋聲の前に「金沢」が立ち現れるのだ。つまり、秋聲にとっての「金沢」は彼女によって照射され、生かされている。
 しかし、この映画が地理的構造を内包し、それを介して物語られているにも関わらず、カメラが決してその構造をフレームに定着させようとしていないのはどういうことだろう。カメラは決して構造を「構図」として規定していない。
 たとえば小津安二郎が畳(の緑の線)がフレーム内に入ることを忌避していたというのはよく知られていることだが、それは彼が一貫して「構図」=フレーミングによって世界を象ろうとしたことの表れでもある。畳の(の線や空間)の存在は、その構図に否応なしにも影響してくるからだ。この映画にはそのような拒絶の姿勢は感じられない。畳に限らず、空間を形づくるたくさんの線がフレームの中を当然のように横切っている。だから、もしそこに「構図」というものが求められるならば、それらの線もその「構図」のなかで消化されねばならないだろう。だが、それらはあくまでも「金沢」という町を形成するものとして存在し、「構図」のなかに取り込まれるのをするりと回避しているように思えるのだ。
 厳密に言えば、この映画にも「構図」は存在する。それは恐らく秋聲という主人公の視線として形成されるものだ。言い換えれば、秋聲のお絹に向ける眼差しは前述した性質を持つ以上「構図」化されていると言えるだろう。が、この映画には、お絹が介されない視線、つまり「金沢」を漂う、外部からのものではない視線が存在している。路地を歩く秋聲を置いてきぼりにしてさまよう視線。ジャズ・バーの暗闇のなか観客の間をそろそろと泳ぐ視線。
 恐らくその「構図」として取り込まれえない視線の主を「これ」と確定する術はない。だが、それこそが金沢という町を流れてきた時間、その時間によってのみ生み出されるものに他ならないのではないか。