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January 3, 2004

『A Talking Picture』マノエル・デ・オリヴェイラ

[ cinema , cinema ]

船出を飾るエンリケ航海王子の像やアクロポリスの神殿やピラミッド、イスタンブールの港で船を迎えるホテルの直線的な矩体と色彩。移動と時間が積み重なれば積み重なるほど、被写体は単純な幾何学的図形に還元されていく。それはオリヴェイラ自身の歩みにも重なるなどとも言えそうだが、だとすれば彼自身が「長生きする事がそれほどめでたい事だとは思わない」とつぶやいていたような意味でのある種の憂鬱が、目に映るものの持つ途方もない明証性の裏にへばりついている。それは達観とは違う。船の舳先が海を切り裂いていく、しぶきを上げる波で画面を横切る斜線が、その都度異なる形に乱れる。港からの引きのショットでは荒れ狂う海で船がぐらりと揺らぐ。この極めて不安定なものたちをオリヴェイラは完全に強固な形象に変えてしまう。それを支えているものはタイトルの通り「Talking」なのだが、しかしそれは聞き手のわかる言葉で語る、あるいはわかってもらえるように話す、そういう個人の能力や技術によってもたらされているのではない。各々が違う言葉で語りなおかつ各々がそれを理解可能である、という船上に展開されるつかの間のユートピアは、会話の主導権を握っている話者の言語能力ではなく、聞き手によってこそはじめて生まれる。この決定的な断絶を乗り越えて強固な関係を築いたうえで――それ自体が辿り着くことが極めて困難なものであるにもかかわらず――オリヴェイラはいとも簡単にそれを崩壊せしめる。イレーネ・パパスの歌と同じ位に果てしなく爆発がリフレインする。絶望に限りなく近い。だが、彼女の歌は永遠に続くかに思えた爆音の後にもまだ響いている。沈みゆく船の上で、新たな船を建てねばならない。

結城秀勇