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January 16, 2004

「1st Cut 2003」

[ cinema , cinema ]

今年も「1st Cut」の季節がやってきた。1月にはいって、すっかり寒くなった東京の冬のただ中で「1st Cut」が公開される。去年も確かそうだった。部屋を出るのが億劫になる季節に、渋谷駅を降りて白い息を吐きながらユーロスペースまでの坂道をのぼる。「1st Cut」はそんな記憶と結びついている。

「1st Cut」が冬の記憶をともなうのは、それが季節との関係抜きには見られないからだろう。画面には初夏と呼ぶにふさわしいさわやかな空気が広がっている。冬のただ中で見る初夏の光景は、少しだけぼくたちを励ましてくれる。季節のサイクルを思い出させ、しばらくすると冬が終わり、春がやってきて、寒さは徐々に和らいで暖かな空気があたりを包み込んでいくだろうということを思い出させる。それがちょっとした安らぎになるのかもしれない。

おそらくそのどれもの公開時期があらかじめ決まっているからだろうが、「1st Cut」の諸作品は、5月か6月ぐらいの春と夏のあいだ、つまり初夏と呼ばれる季節に撮影されていると思われる。夏の蒸し暑さが到来する前の、清々しい風が通り過ぎる季節。制服が夏服に替わり始めるそんな季節に撮影されているに違いない。まだ梅雨入りを迎えてはいない、過ごしやすい季節。実際、「1st Cut」の諸作品にあっては、そのような季節の風景を捉えた画面がもっとも素晴らしい。今回上映される作品でいえば、一面に広がる雑草に水を撒く姿(吉井亜矢子『如雨露』)や、澄みきった青空を背景に走るふたり乗りの原付(小島洋平『海を探す』)などだろうか。青山あゆみ『春雨ワンダフル』での木陰に腰をおろしているだけのシーンも忘れられないシーンになるだろう。隈達昭『緑色のカーテン』が不穏な物語を語りながら、そこに漂う雰囲気がどことなく穏やかなのもそのような季節に撮影されたということに関わっているのだろう。

映画は、それがいつ、どこで撮影されたのかという具体的な事柄から逃れることはできない。フィクション第6期初等科によって制作された4作品を見ながらそんなことを思った。4人の監督の中には、ほかの時期に撮影したいと思っていた人もいるのかもしれない。ある作品はそこに雪を降らせていたし、またある作品は室内シーンを多用していた。そうして季節が失われていく。自分の思惑に合致しない季節に撮影をしなければならないとしたら、それは監督たちにとって不幸でしかなかっただろう。しかし、映画はその外がわに広がる具体的な事柄の数々から逃れることはできない。それをおおらかに肯定すべきではないかと映画を見ながら思っていた。雨が降り出す前に外に出て、太陽の下で大きく深呼吸する。初夏にはそんなさわやかさがふさわしい。

須藤健太郎

2004年1月24日(土)~ユーロスペースにてレイトショー
詳しくは、http://www.spritenum.com/firstcut2003/