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January 20, 2004

『ココロ、オドル。』黒沢清

[ cinema , cinema ]

そのタイトルとはうらはらに、踊っているのは人々のカラダだ。婚礼の儀式、太鼓と手拍子の中、輪になった3種類の人々はまぎれ入り混じり、「融合」する。融合とはいくつかのものがひとつになることだろうが、その力点はひとつになることにあるのか、いくつかのものがそれとは見分けがつかなくなることにあるのか。遊牧民のような格好の村の人々、ダウンベストを纏った街の人、レインコートを着た水辺の草原の人。次第にその外見から凹凸が失われつるんとした表面に近づいていく様は、進化とか段階とか過去・現在・未来のような3分割とかを思い浮かべるとしても、いずれひとつになるものはもともと同じものであったに違いない。後戻りの効かない変化はその後で来る。
食器か何か硬いものがぶつかり合う音、人々の足音。街の倉庫のような食堂のような建物の中、音が反響し右耳と左耳には違う音が届いているような錯覚を覚える。とりわけ手前の部屋遠くの部屋をつなぐスノコのような通路のうえを人が歩くと、ひときわ強く空気の震えが伝わる。しかしそれまで奥の部屋で黒い置物のようだった浅野忠信がスノコの上を通り手前の部屋にやってくるとき、彼のブーツはこつこつといたって控えめな音をたてるに過ぎない。村人を旱魃から救い、撃たれた街の人間を救い、人々を先導する羊飼いのごとき浅野忠信が異様なのは何も変わることがないからだろう。右へ左へ後ろへ、うごきまわる人々の中で微動だにせぬ黒い影。不変=普遍の人。投影される背後の雲や木や山は右から左へと流れていくのに、正面からあたる風を顔に受けてピクリともしない彼の顔は、揺れる長髪によってできる影の変化によって、顔がぶよぶよと変形していくかのように見えた。

結城秀勇