『生まれる森』島本理生
[ book , cinema ]
島本理生は変わらない。彼女の新作『生まれる森』を読んで思ったのは、前作『リトル・バイ・リトル』から彼女にはなんの変化も訪れなかったということだ。
仲俣暁生が指摘するように、島本理生の前作『リトル・バイ・リトル』は「ふつうの他人との関係」を志向していた。愛情や友情のドラマというような愛憎が入り乱れて感情と感情がぶつかり合うというより、登場人物がただ単に人と出会い、接するさまが描写されていた。島本の文体は平易で読みやすく物語はするすると流れていく。過去の経験から他人に対する信頼を失っていた主人公が、少しずつだが確実に他人との関係を切り結んでいく。ある人との出会いをきっかけに主人公は変わり、成長する。成長した主人公の前には希望が広がっている。
『生まれる森』に登場する人たちはみな過去の経験をいまだに消化しきれないまま生きている。大学生の「わたし」は、予備校の先生だったサイトウさんに未練があるようなないような状態で、現在進行形の物語に当時を振り返る「わたし」の記述が挿入され、あるいは高校が一緒だったキクちゃんとサイトウさんの家の近くまで行ってみたり、予備校に行ってみたりする。加代ちゃんの家には別れを認められない元カレがたびたび訪れる。キクちゃんのお兄ちゃんの雪生は、母親のことを隠すつもりはなくてもいまだに人に話すことができず、適当な嘘をついてしまう。『生まれる森』は、登場人物たちがそれぞれに抱えた過去をあることをきっかけにして払拭し、新しい人生を歩むまでを描く。「きっかけさえあれば、決壊したダムの水みたいにあふれ出すと思うんだよ。それでいったん空っぽになった瞬間から、また新しい水が入って来るはず」。キクちゃんは「わたし」に言った。
そして登場人物たちは新たな道へと向けて一歩目を踏み出す。「また新しい水が入ってくるはず」という無根拠な希望を前提にして。いったん「空っぽ」になれば。登場人物たちはそうして成長し、変化するのだが、それを書く島本は変わらない。夏休みの1ヵ月間という時間的な限定に加えて、空間的にも出てくる人たちの種類にしても限定されていて、構築されたフィクションには混ざりけがなく純粋だが、その純粋さも含めて島本の小説は変わらない。島本には、野間文芸新人賞を最年少で受賞したというその「若さ」が強調されがちだが、彼女は、次々と変化し、若さゆえに予想もつかない方向へと展開することからは遠く離れている。きっかけさえあれば、いったん空っぽになれば、それも変わってしまうのかもしれないけれど。