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March 15, 2004

『ドッグヴィル』ラース・フォン・トリアー

[ book , cinema ]

真っ白な雪が道路を覆う。そこに一本の線が引かれる。集会所からグレースの家まで引かれた一歩の線。それは、彼女の首に取り付けられた錘の引きずった跡である。彼女につけられた錘や鐘は、大きな音を立て彼女の居場所を村の人々に知らせるためにある。伝道所の大きな鐘が彼女に時間や彼女の危機を知らせるように、彼女の首につけられた小さな鐘は、彼女がどこにいて何をしているのかを村の人々に知らしめる。
月明かりが村の人々のすべてをくっきりと映し出す。人々は揃って彼女の姿を見つめている。彼女と村人たちとの間に存在しているはずの壁はいつのまにか姿を消し、彼らと彼女はしっかりと見つめ合う。ただの白線によって示された家やその他の建築物が、実際には見えないけれど確かにそこに在るのだ、ということを証明するため、映画の前半ではいくつもの工夫がなされている。ドアノブを開ける動作を律儀に行い、ドアが軋む音や壁を叩く音が挿入される。見えているはずの光景に、人々は決して視線を送ろうとしない。グレースとチャックがセックスをしている様子は、人々の前に平然と曝け出されている。にもかかわらず、誰ひとりその光景を見ることはできない。それは壁の内側で行われたことなのだから。壁の外側=りんご畑で行われたセックスはいとも簡単に目撃されてしまうというのに。
権力の行使の結果を自分の目で確かめるべきだ、グレースは車のカーテンを開け殺戮の様子を見つめる。しかし、彼女はもはや何も見てはいない。自分がかつて経験したことを、同じように、いやそれ以上の形で彼らに与えていながら、彼女の目には自分自身の姿しか見えてはいない。母親の目の前で殺される子供達の姿は、彼女の目の前で砕け散った小さな人形の姿でしかない。村の人々が徹底して彼女を他者として扱ったのとは反対に、彼女は彼らと自分とを完全に同化する。自分がかつて愛した男を、彼女は自らの手で殺そうとする。だが最後の瞬間、彼から、自分の手に納められた銃から、彼女は目を逸らす。見つめるという義務を放棄したとは気付かないまま、彼女は権力を継承する。
月明かりの下、グレースは初めて知ることとなる。そこには初めから何もなかったのだと。閉じ込められていたはずの厚い壁は、ただの白線でしかなかったのだと。村=集団は消え去り、人間たちの群れが姿を現す。彼らを遮る壁などどこにも見当たらず、そこにはまっさらな土地が広がっている。内/外を作り出すものすべてを破壊し、権力者は去っていく。

月永理絵