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March 30, 2004

『はたらく一家』成瀬巳喜男

[ book , cinema ]

すでに盧溝橋事件が発生し日中戦争に突入している。やがて近衛内閣は大東亜圏建設への宣言を高らかと叫ぶだろう。1939年の『はたらく一家』はそんな状況下でつくられた「反戦映画」である。
あいかわらず成瀬の映画には2種類しかない。大きな家族の関係を描くものと、たったふたりの関係(男と女、夫婦)を描くもの。5人の男兄弟とひとりの女の子と祖父と祖母とを抱える総勢10人の家族が中心となるこのフィルムはもちろん前者に属す。
男たちは働く。父と上の3人の兄たちは毎日まじめに働く。だがもちろん暮らしは良くならない。男4人が働き、きちんと家にお金を入れて、やっと家族が成立するギリギリの状態だ。みな頭も良い。学業成績は優秀だったらしく、家に帰ればみなそれぞれ書物を紐解き、自らの、いまとは異なる未来を夢見る。もうすぐ小学校を卒業する四男も例に漏れない。彼もまた書物を愛し、しかし卒業後は上の兄たちと同じく働きに出されることに怖れおののく。そんな少年/青年たちの口火を切るのが長男「キーチ」だ。
「キーチ」は22歳。いまや、少ないながら一家の稼ぎ頭。だが現在のしがない工場では将来の見込みがないことも十分知っている。そこで電気技師技術を学ぶために家を出たいと言い出す。母は反対だ。ひとりでも抜ければ一家は苦しくなる。一方、父はためらう。キーチの気持ちもわかる彼は答えを出せない。
キーチが家族を出ることが、ここではふたつの意味を持つ。どこかで書生をしながら勉学に励むこと。そして戦場に赴くこと、である。つまりキーチは、勉学を望む熱心な学生であると同時に、戦場へと自ら志願する一兵隊ともなる。それが成瀬の演出であり、このとき家族というものは、ひとりの息子の将来を挫く最大の単位であると同時に、ひとりの息子が兵隊になることを食い止める最小の単位でもある。
キーチに相談された「先生」が一家を訪れ家族会議が開かれる。その会議は家族が示す2方向のベクトルが生まれる原点のような、そんな話し合いだ。キーチは先生に尋ねる。「真の親孝行とは何なのでしょうか」。先生は言う。「僕は答えを出せるわけじゃない。だがとにかく腹を割って話し合おうじゃないか」。
真の親孝行とは何ぞや。一兵卒キーチはそれでも戦場へ赴くのか。あるいは留まるのか。キーチは家族を出るのか、あるいは留まるのか。「家族」とはそのとき、いったいいかなるものなのか。
もちろん答えは出ない。だが3人の弟たちを見るがよい。でんぐり返しをしているではないか。何度も何度も。やがて自らにも来る転倒に備えて、でんぐり返ししているではないか。家族も戦場も一瞬にしてブチ壊し、弟たちの部屋は一瞬のとうそう線を垣間見せる。『はたらく一家』はこのとき、真の「反戦映画」となり「反戦映画」以上のわけのわからぬものとなる。
だがしかし、われわれの世界にはいまだキーチが彷徨っているだろう。

松井宏