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April 24, 2004

「エットレ ソットサスの目がとらえた『カルティエ宝飾デザイン』展」(醍醐寺 霊宝館2004.3.13〜5.2)

[ cinema , photo, theater, etc... ]

薄明かりの中を進み、小さな金剛石(ダイヤモンド)が散りばめられたティアラが、目の前にすっと現れる。それは、5ミリ程度の大きさの無数に光る粒たちが散りばめられたティアラだが、ほとんど重力を感じさせずに浮遊しているように現れる。粒を支えているだろう白銀(プラチナ)金物の端正な細工はこの目に映っているのだが、果たして本当にこの金物は金剛石と接合されているのだろうか。少しずつ大きさと形を変えて鮮やかに光る粒たちは(それは、本当に鮮やかな色あいを放っている)、丁寧に並べられ、散りばめられ、接合され、離されている。それぞれが意志を持っているように寄り添い、少し距離を置いていて、静かだがしかし何かすぐにでも動きそうな具合に並んでいる。まるで実は本物の金剛石(ダイヤモンド)の粒と粒の間には実は磁力が働いていてそのせいで重力なんて全く関係ないみたいだ。

こんなものを身につけてしまったらどうなってしまうのだろう。粒と粒が発する磁力にまきこまれて、きっと普通ではいられない。とても、わあステキ、似合っているわ、輝いているわ、みたいな微笑ましいことにはならないだろう。永遠の輝きとは、むしろ恐怖の呪詛のようにも感じる。金剛石(ダイヤモンド)の髪が生え、エメラルドの目が開き、唇とルビーが睨み合い、白銀は身体に吸い付き、瑪瑙が隆起し、黄金の鰐が首に生まれるのだ。それはきっと、生物なのか鉱物なのか工芸品なのか、なんだか全く得体の知れない合成獣(キメラ)のようなものだ。
展覧会場をノソノソと歩いていたら、古く深い暗がりだかあるいは新しい広がりだかに足下をすくわれそうな不安な気分と神経が研ぎ澄まされていくような高揚した気分とに同時になってしまって、微笑んだ笑顔がひきつってしまったり、涙がでそうになったりした。

藤原徹平(隈研吾建築都市設計事務所)