『インディーズ映画が世界を変える』クリスティーン・ヴァション
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いくつかの雑誌で本書が紹介されていて、実際に現場で活躍しているプロデューサーだからこそできる具体的な記述が興味深いというようなことが書かれていたが、そうだろうか。確かに、どれそれにはいくらぐらいの費用が必要でとかいった金銭的な面に関してや、また撮影日誌を読めば毎日何をしたのかもわかるけれど、そうやって得られた情報は、前からだいたい見当のついていたことや知ったところでどうしようもないものばかりだという気がした。つまらないオチだが、結局は、現場のことが仮にものすごく詳しく書かれてあったとしても、それを読んでも何もわからない。実際に現場を経験しないとわからないのだということが逆説的に浮かび上がる。
だから本書を面白く読むにはこれをひとつの人生訓のようにして読むしかない。「誰もがすばらしい低予算映画を作れるとは言わない——忍耐と、情熱と、もちろん、才能も必要だ。すべてを知っておくに越したことはないが、高層ビルから飛び降りるのに知識はいらない——そう、最後には信念の跳躍あるのみだ。監督なら、時には絶望感に浸ってみるのもいい。でも、プロデューサーには許されない。もしそんなことをしたら、すべてが制御不能の状態に陥ってしまうのだ」。「映画製作とは、常軌を逸した仕事だ。正気を保つこと、それでいて狂気に取り憑かれなくてはいけないのだ」。
著者は、学生時代からの盟友であるトッド・ヘインズが監督した『ポイズン』のプロデュースを皮切りに、『ベルベット・ゴールドマイン』や『キッズ』などのいわゆるインディペンデントな映画を成功へと導いてきたプロデューサーである。本書は、企画段階から公開までのさまざまな段取りの記述を主調な流れとして、そこに、彼女がプロデュースした『I SHOT ANDY WARHOL』や『ベルベット・ゴールドマイン』の撮影日誌など、あるいはエンターテインメント業界専門の弁護士であるジョン・スロスやテッド・ホープ(グッド・マシーン会長)、元ミラマックス・フィルムズ買い付け担当のマーク・タスクなどへのインタヴューが挿入されるという構成になっている。1本の映画を企画し、それをなんとか公開に漕ぎ着けるまでには多くの人に会い、多くの苦労をしなければならない。道は険しい。いろいろと無駄に思える寄り道をしながら先へと進まなければいけない。
クリスティーンは映画学校に通うことで映画製作のキャリアを開始した人ではない。彼女はブラウン大学で記号論を通じて映画を学んだ人だ。「パリで一年間ジュリア・クリステヴァやクリスチャン・メッツのもとで学び、ミシェル・フーコーの講義を聴き、その後はブラウン大学に戻って、通過儀礼と呼ぶべき難解な学生映画を作った」。しかし、彼女はアカデミックな世界には留まらなかった。生まれてからずっと映画に情熱を持ち続けているクリスティーンは、映画について深遠な思考を巡らすよりも、現場で動き回るほうを選択した。しかも、もしかしたら監督になりたかったのかもしれないが、彼女はみんなが「監督になりたい」と思うなかで、それをサポートする側を選んだ。誰かがやらなくてはいけないことを自分がやろうと思ったのだ。彼女は映画づくりのノウハウを学ぶべく、いろいろな仕事に携わる——編集のアシスタント、ミュージック・ビデオのロケ探し、第二班撮影隊のコーディネーター、第二助監督、そしてスクリプターなどなど。そして1987年、「大学時代の友人のバリー・エルスワースが寛大な出資者と出会い、同じくブラウン大学の同期生だったトッド・ヘインズといっしょに製作会社を作らないかと持ちかけてきた」。かくして、彼女のプロデュース業が始まった。
彼女がこれまでにプロデュースしてきた映画の評価に関してはとりあえず脇に置いておこう。彼女が情熱を傾けて次々と映画を製作するのはなぜだろうか。それは、また新しい映画を製作するためだ。そして、彼女は自分の製作する映画にはかならず観客がいると信じている。だから次々と製作するし、映画は公開されて観客がそれを見て初めて1本の映画になると考えている。ある監督のつくった映画をなんとか公開したい。より良い方法で観客まで届かせるにはどうするかということに彼女は全精力を注ぐ。観客は世界中にいる。だから彼女は映画祭を巡って、世界を旅している。同じく低予算映画のプロデューサーとは言っても、ロジャー・コーマンの自伝とはかなり趣きが異なると読みながら思っていたが、彼の場合はいかに少ないリスクで大きな報酬を得るかということがその主眼にあったということがその理由ではない。資金の回収方法が多様化した。ひと言で言えば、そういうことかもしれない。ロジャー・コーマンのつくる映画は「アメリカ映画」でしかあり得なかった。アメリカとその他の国との間に明確な境界線があるからだ。クリスティーンには初めからそのような境界線がない。B級映画とインディーズ映画の違いというのはこんなところにあるのかもと思った。ちなみに本書の原題は "SHOOTING TO KILL"というらしく、日本語でつけられたタイトルよりもちょっとかっこいい。