『SOFIA FILE』スネイク・ドラゴンフライ編
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『ロスト・イン・トランスレーション』の最後の場面で、ビル・マーレイはスカーレット・ヨハンソンの耳元で囁くが、何と言っているのだろうか。本書に収録されている倉本美津留インタヴューでの彼の解答がおもしろかった。「まあ、ひとつのオチとしての答やったら、「ナニを言ったのか内容はわからないが、とにかくめっちゃめちゃ流暢な日本語で喋ってた」みたいな」。「「大丈夫、オレたち外人だって思われてるんだから、誰もおかしく思わないから、さあ、路上でキスしようぜっ」て言ってたりして」。
本書の試みをひと言で要約するならば、ソフィア・コッポラという人をいろいろな視点から、複数の角度から捉えようとすることだろう。だから、映画監督としてのソフィアだけでなく、デザイナーとしてのソフィア、またカメラマンとしてのソフィアなど、彼女のキャリアを彩るいくつかにスポットを当ててページを割いている。実際、彼女には複数の側面がある。フランシス・フォード・コッポラの娘として生まれてから『ロスト・イン・トランスレーション』の脚本家兼監督である現在にいたるまでに、彼女は、女優、モデル、そしてカメラマン、ファッションデザイナーなど、普通の人の何倍もの職業を短い時間のうちに経験してきた。そんな彼女をまるで模倣するかのように、本書の寄稿者の顔ぶれは多彩だし、それぞれの寄稿者のソフィア・コッポラに対する評価もまちまちである。彼女に近い人の証言やカーマイン・コッポラから始まるコッポラ家の物語などもあって、彼女の作品だけでなく彼女のひととなりも含めた「ソフィア・コッポラ」を本書は浮かび上がらせようとしているのだろう。
しかし、そのようにして浮かび上がったはずの「ソフィア・コッポラ」にはなんの新しさもない。簡単に言えば、この本を読んでも何も「発見」することがないのだ。このぐらいの分量の本に情報量を期待するのも無理な話かもしれないが、ここで得られる情報は既知のものばかりなのだ。
はじめ本屋さんでこの本を見つけた時、最近出た本だとは思えなかった。淡いピンク色を背景に白く少女の横顔のシルエットがあり、「SOFIA FILE」とタイプされた表紙デザインは、この本が『ヴァージン・スーサイズ』公開時に発売されていたとしても、何の違和感も覚えさせない。時間が止まってしまったかのようだ。4、5年のうちにさまざまなことがあって、ずいぶんいろいろなことが変わったと思っていたが、ひょっとするとソフィア・コッポラに対する私たちの態度や彼女に抱く感情はほとんど変化がないのかもしれない。『ロスト・イン・トランスレ−ション』もある意味では時間の流れを感じさせない映画だった。本書は『ロスト・イン・トランスレーション』のそんな性格を、ビル・マーレイに倣って、私たちの耳元で聞こえない声で囁いているのかもしれない。