『負ける建築』隅研吾
[ book , cinema ]
隅研吾『負ける建築』とても興味深く読んだ。ポストモダンの終演以降、阪神大震災、オウムのサティアン、そして9.11のWTCまで建築の脆弱さばかりに焦点が当たる事件が続発した。この書物は、95年以降──つまり阪神大震災以降──に隅研吾が折に触れて書いた長い文章を集めて成立している。循環するがゆえに決定的な解決という地点が見いだせないケインズ流の経済学の中にあって、最終的な決定にも似た堅牢な建築物を建てるのが仕事の建築家、「強いもの」の代表だったはずの建築への疑いが震災やオウムのサティアンやWTCの破壊によって再審に付される現実を前に建築家は、そんなリフレクションを行うのか、本書は、ひとりの建築家が書く、その思考の軌跡だ。
そして隅研吾が書くのは、至極まっとうなことだ。上記のような建築への疑いを真摯に受け止めること。美学を主張するのではなく、デモクラティックな過程を重視したサステイナブルな建築を目指すこと。それは決して「負ける建築」ではないこと。それが結論だ。だから、本書は、現代建築を取り巻く状況について整理する教科書としても使用可能かもしれない。
だが、私にとって、この書物が面白かったのは、そうした誰にでも理解でき、賛同を得やすい本書の議論の進め方ではない。ここにある議論は、単に当然の出発点なのだ。その出発点から、どのような過程を経て現実の建築が行われていくかということの方がより重要なのはもちろんだし、それは、この書物が書かれていく時間帯と平行してできあがった隅自身の建築を詳細に見ていくことで理解は深まるだろう。それよりも、たとえばデ・ステイル、シンドラー、村野藤吾、内田祥哉についての隈の分析を読むことは、それが具体的であるが故に、状況論を読むよりもずっと興味深いのだ。村野藤吾に潜む二面性やデ・ステイルの持つ地域性という面は、従来の紹介からはなかなか得られない視点だと思う。