『子猫をお願い』チョン・ジェウン
[ cinema , sports ]
職業と住所。自分が誰なのかを証明するために絶対に必要なもの。初対面の相手に聞かれるたび、何とかこの質問から逃れる術はないものかと、いつも思う。5人の女の子たちは、たったワンシーンによって自分たちの現在の職業と住居とを解説する。仕事場へ向かおうと、両親のいるマンションを後にするヘジュ。仕事をクビになり、家への帰路を歩くジヨン。一番活き活きとしているのは、騒々しく街を渡り歩く双子の姉妹、ピリュとオンジョだ。小さな部屋の中でタイプを打つテヒを除いて、5人はそれぞれの方法で、外へと飛び出していく。彼女たちは、職業も住所も持っていないことを証明しようとする。風景のどこにも帰属しない。そこは偶然居合わせた場所に過ぎない。彼女たちが走り廻るその周りを取り巻く風景は、彼女たちの速度に合わせてゆらゆらと震えている。留まろうとするカメラを拒否するかのように、彼女たちはせわしなく動き続ける。それは、自分の住む家を見つめる姿勢とはまるで正反対だ。
立ち並ぶビル街が次々に映し出され、あっという間にフレームから溢れ出るバスから見える風景も、彼女たちが実際にその目で見つめる風景も、同じ速さで通り過ぎていく。ソウルの街が薄っぺらな風景にしか見えないのは、彼女たちが観光としてこの街を訪れたからではない。どこにいようと、彼女たちの目に風景は映らない。今いる場所がどこなのか、誰一人わかる者はいない。バラバラになった5人を集めるのは、携帯電話による声と偶然の出会いだけだ。地図も方向感覚も必要ない。歩いていればいつかは会えるし、電話をかければすぐに勢ぞろいだ。
家族写真から自分の顔だけを切り抜いたところで、そこに残された白い穴は、以前よりもその存在を強く示してしまうだろう。この場所から逃げ出すのではなく、とりあえず見えないようにすること。逃避、ではなく保留状態。飛行機に乗り込むことで、地上を離れることで、新しい保留状態を作りだす。呆気無く訪れるラストシーンは、何の解決にもならないし、まして始まりにもならない。家から逃げ出すためにバスや電車に飛び乗り、家を失えば刑務所の中へ隠れ、最終的に飛行機へと逃げ込む。地上で行き詰まったのだから、上空へ逃げればいい。映画を支配するのは、そんな笑ってしまうような単純さだ。
子猫は、もう子猫とは呼べない大きさになっていた。流れていく風景の中でも、確実に時間が存在していたことに、はたと気付く。保留状態を続けるのは意外と大変だ。風景からは逃れられても、時間からは逃げられない。とりあえず飛行機にでも飛び乗ってみようか。