『不実な女』クロード・シャブロル
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犯罪には、いつも“見られる”ことへの恐怖がつきまとう。避けられない視線をどう利用するかという問題もまた、犯罪の一部である。田舎での犯罪はとりあえずこの問題から逃れやすい。それぞれの敷地から出なければ“見られる”危険性はないし、視線の範囲がある程度決まっているからだ。都市では視線は至る所にあふれている。だからこそ、都市と犯罪とは密接に関わりあい、その関係はいつもドラマティックだ。
シャブロルの映画には、都市と田舎との対立が描かれている。『不実な女』もまた例外ではない。しかしこの映画は都市の犯罪映画ではない。都市で起こった田舎の犯罪映画だ。田舎で暮らすある夫婦が、妻の浮気によって犯罪に巻き込まれる。事件は妻の浮気相手が住むパリで起こる。死体を運び出すその動作に思わず笑い出しそうになるのは、シーツにくるまれた死体が、まるで扱いにくいペットのように飼い主を困らせるからだ。堂々と、滑稽なほどの大胆さで死体を家の外へと運び出す様子には、犯罪者の雰囲気はまるで感じられない。何故彼の犯行は知られてしまったのか。沼に沈んだ死体が、たった2、3日で見つかったとは考えにくい。恐らく彼はずっと見られていたのだ。都市では、家の外に一歩出ればどこからでも視線が飛んでくることに、彼は気付かなかった。あんなにも堂々と運び出した白い固まりは、きっと窓ふきの男からも十分に見えていたはずだ。他者の視線を感じられなかったこと。田舎に暮らす男の唯一の誤算がそれだ。
夫が、妻の浮気に勘付いたのはいつだったのか。彼の顔はいつも穏やかな笑みに覆われている。妻と顔を合わせれば、それがルールであるかのように、決まって口元に笑みを浮かべる。妻の浮気相手の家を訪ねたとき、ドアを開けた先にも彼の笑みがあった。彼の表情が曇ったのは、車から降りた妻がパリの街へ消えていったときだろうか。夫の背広から愛人の写真を発見したときの、彼女の表情の曖昧さ。その表情を見たとき、これが犯罪映画ではなかったことに気付く。まるで恐怖映画だ。彼女の青い瞳と彼の口元を見るだけで、彼ら二人が怪物のように大きな屋敷を支配している錯覚に襲われる。夫の姿を捉えたとき、カメラはまだピントが合わずにいる。彼の顔に笑みが浮んでいるのか、そして彼女が微笑むのかどうかに、すべてが委ねられている。
二人の刑事がどこからやってきたのか、最後までわからない。彼らが夫婦の家に侵入したところから、物語は展開する。ゆっくりと近付く黒い影に、息子は無邪気に叫ぶ、「また来たよ!」。侵入者たちによって、彼らは屋敷の外へと連れ出される。多数の視線の中に、犯罪者たちは放り込まれる。