『山本昌邦、勝って泣く』田村修一 『代表戦記』大住良之
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さっき終了したU-23 壮行ゲームでは、それほどモティヴェーションのないベネズエラ代表の前にU-23がはつらつと走り回っていた。そして酷暑の重慶では、アジアカップに出場中のA代表が本当に堂々と予選を突破し、明日からはいよいよ決勝トーナメントだ。
フットボールの関する2冊の本を読んだ。 まず『山本昌邦、勝って泣く』。トゥルシエとともに4年間を過ごしたのは山本昌邦ばかりではない。もっともトゥルシエの近くにあって彼の声を記述した田村修一もまたトゥルシエとともにあった人だ。その彼が今度は、トゥルシエ──彼はカタール代表の監督を解任された──の本ではなく、山本昌邦についての本を執筆した。釜山のアジア大会からオリンピックアジア予選までがその記述の範囲だ。もちろん選手時代の山本、オフト、トゥルシエのアシスタント・コーチ時代の山本についての多くのエピソードが含まれている。
そしてヴェテラン、大住良之がNIKKEI NETに連載中の『代表戦記』の単行本。ジーコと山本昌邦のふたりの「代表」チームについて、それぞれのゲームごとに書かれたコラムの集成がこの書物だ。
どちらの書物も、今、目の前でゲームをしている代表に向けての書物だ。だが、おもしろさでは大住の圧勝。おそらく書き下ろしの形が取られている田村の書物が、オリンピック出場権を得た後から考察されているのに対して、大住の書物は、もともとがサイトに連載された文章だから当然なのだが、ジーコがA代表の監督に就任以来の各ゲームごとに戦評が記されているから、次のゲームの結果を大住が知っていることはあり得ない。トゥルシエからジーコへの大きな期待、それが次第に失望に変わり、解任すべきだという結論が繰り返されるが、この春のヨーロッパ遠征でポーランドに惜敗し、チェコに勝ち、イングランドに引き分けたあたりから、大住の判断にブレが出てくる。田村が、結末を知ってから文章を構成しているのに対し、大住の結論は永遠に宙づりにされたままだ。おそらく、これからのアジアカップ、そしてアジア地区2次予選、幸運にも2次予選を突破したなら、ドイツのW杯まで、大住の書く物語の結末が遅延されることになる。紆余曲折があっても、結局はまっすぐの道なのだったというのは結末を知ったからこそ生まれる物語であって、結末が分からないとき、物語は、かならず小文字の目の前の1ゲームでしかない。
スポーツのおもしろさは、山本昌邦が、国士舘大学時代の監督に気に入られたから、このゲームがあるのだと推測することではなく、目の前の阿部勇樹のパスが平山に当てられ、阿部が平山を追い越してゴールに正対する瞬間を発見することの方だ。かならずしも阿部とか平山という固有名を持っていなくてもかまわない。9番の選手と5番の選手でもいいのだ。どんなフットボールを志向しているのかということは、ゲームの中でこそ「見える」ものであり、監督の出自を追うことではないだろう。それほど語彙が多いわけではないが、大住の筆は、その事件を明瞭に、そしてロジックに伝えようとしている。大住の記述するゲームをほとんどテレビのモニターで見たことのある私は、大住の筆でそのゲームを反芻することができるし、そのゲームから生み出された大住の思考の多くを共有できる。フットボールの批評とは、そういうものではないのだろうか。
大住がアジアカップのジーコをどう評価するのか。NEKKEI NETを覗きたくなった。