« previous | メイン | next »

August 18, 2004

フットボール オリンピック日本代表の敗北

[ sports , sports ]

4-3、3-2──対パラグアイ、対イタリア戦のスコアだ。初戦のパラグアイ戦の2得点はPKでそのうち1点は、{もらった}PK。つまり、パラグアイからは2点、イタリアからも2点とったことになる。セットプレーからの得点がほとんど。だが、とりあえず強い2チームから2点ずつとっている。つまり勝つなら、2-1で勝つしかない。失点を1点以内で抑えなければ勝機はなかった。
パラグアイ戦では、那須のクリアミスと左サイドでの1対1に敗れて2点くらい、イタリア戦では、最初のバイシクルシュートでの1点目は仕方ないにせよ、茂庭がやはり1対1に敗れジラルディーノに決められ、阿部がクリアミスしたところをまたジラルディーノに決められた。多くはミスによる失点。選手たちはショックが大きいだろう。それまでの親善試合ではバックラインはかなり安定していたし、これほどやられたことはなかった。2ゲームとも開始早々に失点し、プレッシングからボールを奪って15秒以内にシュートという山本昌邦の戦術は一度も実行できなかった。必然的に得点はセットプレーがらみということになる。ボールを回してやっとフリーキックを得て、ようやく得点。選手たちはストレスがたまったろうし、対パラグアイ戦を終えて、小野伸二は3点とって負けるなんて、と話していた。
どちらのゲームでもゲームの入り方が悪く、開始早々に失点。相手に引かれた中でアタックを組み立てていかねばならなくなった。これではセットプレーを除いて点が入らなくなる。悪循環を断ち切れなかった。経験の無さ故にバタバタしてしまった。ゆっくりとボールを回しながら攻める余裕は見られなかった。高原が不出場になった時点で、バックラインに誰かオーヴァーエイジを加えておくのも手だったろう。この年代の選手たちに過度なプレッシャーを与えて、それでも結果を出せることはないだろう。もっとリラックスさせて臨めば、ゲームの入り方もちがったものになっていたかもしれない。
問題なのは、パラグアイ戦での失敗をイタリア戦に活かせなかったことだ。キャプテンマークを巻いた那須が痛恨のミスをして敗れ、「坊主」になった那須をイタリア戦では外し、4バックにした。私はイタリア戦では、何度も試した3-4-3を実行すると思った。監督も選手も弱気になり、また同じ失敗を繰り返した。パラグアイ戦に敗れて一番ショックだったのは山本昌邦だったかもしれない。失うものがないときには、強気になるしかないじゃないか。3バック、4バックを併用するほどこのチームは器用ではなかった。
確かにアジア予選を頑張って勝ち抜きはしたが、アジアで当たったチーム以上の力を持っているチームには、選手たちがベストのパフォーマンスをしても勝つか負けるかの境界線だろう。山本昌邦が優秀なコーチであることは疑いない。だが、彼もまた、いくら代表、オリンピック代表を長年見てきているとはいえ、一段上の修羅場──チャンピオンズリーグの決勝トーナメント以上──の経験はない。イタリア戦で前半は1点負けていても、後半20分勝負だと予想していたというが、ラストチャンスなら、最初の15分で1点とって来い!と言えなかったろうか。
ふたつの代表を見ている内にプレミアリーグが始まった。モウリーニョのチェルシーはマンUに勝利し、アーセナル──結局ヴィーラは残留することになった──は、エヴァートンに4-1で快勝した。

梅本洋一