『ラスト・ダイビング』ジョアン・セザール・モンテイロ
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海を覗き込みながら2時間以上も佇んでいたらしい青年に、それをずっと見ていたらしい中年の男が話し掛ける所からこの映画は始まる。それからの2日間男たちはひたすら飯を食い、酒を飲み、踊り、女と寝る。
中年の男の娘であるエスペランサ(ファビアンヌ・バーブ)は口がきけない。彼女と青年が初めて共に過ごす夜、彼らは何かを見てふざけあうが何を見ているのかは定かではない。彼らのやり取りは無音の空間に留められていて、見ている私達の耳にはおそらく隣の部屋のものであろうあえぎ声が聞こえてくる。みだらな騒音の中で無邪気にはしゃぐ彼女は、まさにその名の通りパンドラの箱のあらゆる絶望が飛び出したあとの希望のように、静謐で美しい。その騒音の底に眠る静寂が炸裂するのは作品の中ごろだ。それまで彼らの通り抜けてきた酒場やパーティ会場を満たしていた騒音が積もり積もった極地で、サロメのダンスが2度繰り返される。唐突に始まる2度目のダンスはファビアンヌ・バーブによってまったくの静寂の中で踊られる。まったく同じだがまったく異なる2度のサロメのダンスによって、音と映像の位相がずれ込んでいく。エスペランサの発する声は、「愛してる」という意味を伝えるための音であるにもかかわらず、まるであえぎ声のように途切れ途切れに響くだろう。男は静かに女の口を塞ぐ。
初めてふたりの男が出会った晩、彼らが最初に訪れたバーには1匹の犬がいた。何度か挿入されるそのショットによって、犬は青いチェックのパンツを履いた人の足下にいることがわかる。しかし、ふたりの男はどちらもそんな服を着てはいないし、見渡す限りそのような服の人は見当たらない。犬はどこにいるのか。まったく何の脈絡もなくその存在は強調されるのに、いったいどこにいるのかわからないのだ。狂気のようなヒマワリの海、飛ぶフラミンゴの群れ。2度目のダンスを経て私たちは徐々に犬のいる場所へと連れてゆかれる。