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August 29, 2004

『丹下左膳餘話 百萬両の壷』山中貞雄

[ cinema , music ]

sadao.jpg江戸は広いから、という言葉が何度も呟かれるが、実際に映される江戸の街はあまりにも狭く、百萬両の壷を探して人々は同じ場所をぐるぐると回ってばかりいる。そしてその狭さゆえに、人々は部屋の中にへばりつき簡単には動き出さない。床にどさりと寝転んだ丹下左膳が腰を挙げると、その動きは売って変わって俊敏で美しい。映画は彼の俊敏さと不動の姿勢とを繰り返すことで成り立っている。それは彼の引きつったような口元が開かれる瞬間も同じことだ。用心棒である左膳は、いつも誰かの後を追いかけている。だが、腰の重い左膳は少しだけ遅れてしまう。遅れて飛び出し、その俊敏さによって追い付こうとする。
左膳が居候する矢場には、表に店がありその後ろには住居として続いている部屋がある。店の入り口である表口と、住居側にある裏口とは、常に対立した関係にあり、表口を女将が見張り、裏口から左膳が飛び出す。二人に引き取られた安吉少年がそっと家を出ていくシーンでは、堂々と住居も店をも突っ切り表口から出ていくにも関わらず誰も彼を見ようとしない。裏口から出た道と表口から続く道は垂直に交わり、カメラの視線はそれぞれの道に設置されている。もう一つ、店の中に置かれたカメラがある。三ケ所から彼らの行動を記録し、視線の位置は三方向を行ったり来たりする。安吉の家出に気づき、裏口から左膳が、表口から女将が飛び出すと、カメラの切り返しは速度を上げていく。橋の上に三人が揃うシーンでは、思わず涙がこぼれそうになった。ようやくカメラの位置は一ケ所に落ち着き、三人の運動も止められる。
矢場に集まった者たちは、またも腰を床に据えている。江戸は広い、と相変わらず男たちは呟く。矢場の女将と左膳、安吉少年、道場の婿養子、矢場で働く娘たち、疑似家族の団らんは、壷が所有されないという保留状態によって保たれる。江戸の街を走り回って壷を見つけ、結局は元いた場所に戻っていく。それほど、江戸の街は広くて狭い。

月永理絵

山中貞雄映画祭
『丹下左膳餘話 百萬両の壷』『河内山宗像』
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