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September 12, 2004

『ステップ・イントゥ・リキッド』デイナ・ブラウン

[ cinema , cinema ]

極めて倫理的な映画だ。たくさんのサーファーたちがインタビューに応じていて、彼らはみなバストショットか顔のアップで撮られている。印象的なのは、下半身附随の青年が登場するシーンだ。初め、彼が画面に現れても何の違和感もないが、次のシーンでカメラが遠ざかると、彼を囲む友人たちがバストショットで映され、彼の背が明らかに低いことがわかる。ようやく車椅子に乗った姿が見え、友人達の台詞が聞こえてくる。
「彼は下半身不髄だが、波の上では僕達と同じさ。」
国籍、人種、年齢、性別、障害、そんなものは関係ない、波に乗ってしまえば誰だって平等さ。フィルムは、ただ一つのメッセージを叫ぶためにつくられている。それは海でのシーンも例外ではない。
一体どうやって撮ったのか、と驚くようなショットがいくつも登場する。曲線を描き、イルカ(イルカは生物上最も優れたサーファーで、二番目はアシカだという)のように自由自在に海を切り取る人々の姿には、ただため息が出るばかりだ。しかし、素晴らしいショットを数多く披露するというよりは、一つのショットの連続によってこのフィルムは成り立っている。大きな波が、水平線と平行にチューブと呼ばれる波のトンネルをつくる。チューブの中にどれだけ留まれるかが、サーフィンの基本的な技であるらしい。カメラは水平線の正面から、つまりチューブの正面からサーファー達の技を捉える。襲い掛かる波にどこまで耐えられるか。単純そうに思える技だが、何度も繰り返されるうちに、どんな超人的な技よりもスリルを感じるようになる。単純さが、過剰なまでの平等さがスリルをつくりだす。
サーフィンは本来、誰かと比べるなんてできないのさ、とあるサーファーは言う。凍てつく海しかないアイルランドのサーファー達も、独創的な技のために世界トップを取れずにいる男も、女性サーファーたちも、大きな波の中では黒い点にしか見えない。個人競技であるはずのサーフィンが、団体競技に見えてくる。87分かけて、一試合を見終わった。

月永理絵

<シネマライズにて公開中>