ポーラ美術館(日建設計・安田幸一 2002)
[ architecture , sports ]
優れてツーリズム的な建築である。
ヒメジャラの木の脇を抜けて、石張りのブリッジを渡る。石の張り方、ガラス手すりが繊細で良い。低く抑えられ、ガラスの繊細な表情を持つエントランスが気持ちを昂揚させる。エントランスの水切りや傘立てのディテールもなかなかに見応えはある。型ガラスパネルでできた巨大な光壁スクリーンもアプローチの空間をそれなりに印象づけている。周りの山山はとても表情が豊かで、季節ごとで艶やかな風景を見せるだろう。
しかし、それだけだ。アプローチ周りのディテールと谷に埋め込むように配置された全体ボリューム計画以外は、きわめて凡庸な領域の表現にとどまっている。
ヘルツォーク&ドムーロンや妹島+西沢を先導にここ10年の建築表現の試みは、現代アートと呼応するように、知覚や認識における繊細な領域を極端に掘り下げてきている。すでに我々は、表層の操作の発明だけでも実に繊細な精度でもって環境と対話をすることが可能であり、空間の配列の発明に空間表現を集中させることで、新しい質の空間をつくることが可能であることを知っている。
ここにはそのいずれもなく、そして「大人の建築だ」などという評価で賞賛されていること自体が、文化的な停滞を生むばかりか、実は建築家に対する圧倒的な侮蔑であることを理解すべきである。国内では優れたコレクションを持ち、これ以上を望むことができないであろう敷地において、この程度の表現の探求で終わってしまったことを、あり得る限りの表現で(そう、例えば「とても箱根的なリゾート施設だ」とか)侮蔑するのが、優秀な建築家に対する当たり前の敬意であり、実は最も優れた賞賛となるだろうことをあらゆるジャーナリズムは知るべきである。現代建築の臨界点はこんなところにはない。
藤田嗣治とガレのコレクションはすばらしく、一見の価値がある。国立公園の環境や登山鉄道でのアクセスなどと絡めたツーリズム的な新しさが際だっている。