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October 11, 2004

『ジェリー』ガス・ヴァン・サント

[ cinema , sports ]

フィリップ・ガレルの『内なる傷跡』を見て一番驚いたのは、まっすぐに歩いていたはずのニコがガレルの元に戻ってきたシーンだ。真っ白な砂の上では彼から遠ざかっていたように見えても、実は円を描いていたというだけのことなのだが、まるでガレルが急いで彼女の先回りをして、何食わぬ顔で再び座り込んでいたように見えたのだ。あんな何にもないようなところで、知らぬ間に一周していたなんてあるわけない、と思った。その後この映画を二回見たが、どうしてもこのシーンだけは不思議で仕方ない。何度見ても、彼女の歩みがどこから直線でなくなったのか、円の描き方がどうしてもわからない。
車を降りたケイシー・アフレックとマット・デイモンが、「荒野の小道」を歩きながら次第に走り出し、マット・デイモンが土の上に倒れ込む。この時点ではまだふたりは方向を見失っていないと信じているはずだ。しかし、ケイシー・アフレックが辺りを見回したとき、カメラはすでに(とっくに)方向を失っているのだと気が付く。カメラの動きが歪み世界がぐにゃりと曲がる。まっすぐ進んでいるようで循環しているし、円を描いてるのに真直ぐ歩いているようにしか見えない。
大きな岩の上に登ってしまったケイシー・アフレックのために、マット・デイモンが着地場所をつくる。必死で土を集め身体を動かすマット・デイモンを、ケイシー・アフレックはただ見つめ下ろしている。突然、彼が飛び下りてくる。そのシーンがどうやって撮られたのか、何の仕掛けもないのかもしれないが、飛び下りる彼の姿はあまりにも黒くスピードが速い。画面に張り付くような黒さがあっけなく落下する。このワンシーンを見たせいだろうか、ふたりのジェリーの歩くスピードさえ信じられなくなる。
方向感覚を失ったわけではない。北、南、東、西、自分達の歩いた方向を振り返りながら、地から浮いたように走る車が矢印によって導かれる。あるいは車の進む方向に矢印が現れる。北に向かっていて、ここで右に曲がったから北西に‥‥‥、方角を説明するジェリーと、上の空でうなずくジェリー。車の映像は上の空のジェリーが見たに違いない。彼の頭の中には、曲り角の度に現れる矢印しか見えていないのだ。どこまでも続く地の上で彼の見ていたものは一本の道であって、東西南北どの方向に曲がるかなんて問題外だ。どう進んだって、いつかは同じところに辿り着く。真直ぐに歩けば循環するし、ぐるぐる回れば真直ぐに進む。だから、自分の隣に座っていたはずの男が正面から歩いてきたとしても、たいして差異はないのだ。ただ彼がここにいる、それだけのことだ。ハイウェイを見つけることができるのがどちらのジェリーか、初めからわかりきっていた。

月永理絵

渋谷ライズXにて公開中