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October 25, 2004

日本代表の一次予選最終戦に向けて

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ジーコはワールドカップ一次予選の「消化試合」に、日本サッカーに貢献した往年の名選手を招集しようとしている。カズ、ゴン、秋田といった、今なお現役の選手たちがそれだ。確かに、彼らの果たせなかった代表引退試合としてスタジアムは盛り上がるだろうし、一時的に代表のシャツが売れ、協会も潤うだろう。事実、すでにチケットを求めるサポーターは15万を超えているという。したがって、ジーコは資本主義に則った見世物として完璧な「演出」を施したことになる。しかし、ジーコは何を「演出」すべきか履き違えているのではないか。
もうすでに誰もが言っているように、日本サッカーの将来を見据えるならば、「過去の名前」には目もくれず、新しい素材を試すべきだ。また、使ってもらえないのは分かっていても、呼ばれれば律儀に合宿に参加し、ベンチから声援を送るだけの選手たちが見せ場を貰ってしかるべきである。何しろ彼らは日給わずか1万円程度で代表に「拘束」されている。選手交代も碌にしないジーコは、まずその事を自省し、選手を見る必要がある。だから、今からでも遅くはない。前言撤回をして、せめてもの償いに日本全国を行脚すべきである。勿論、Jリーグの試合を見て回るという意味だ。だが、代表の試合が終わればすぐに母国ブラジルに帰省するジーコにそれは望めないだろう。また、ジーコは幾ら反発が起きようとも、意地になって「過去の名前」を強行召集するかもしれない。そうすると残された道は自ずとひとつしかないことになる。カズもゴンも、他の「過去の名前」も、正式に代表召集されようものなら、絶対固辞すべきである。例え、それが「神」の思し召しといえども、召集固辞こそが日本代表の将来にとって有益だからである。過去に「貢献」した日本代表に今何が必要か、彼らは分かっているはずだ。間違ってもブルーのジャージにもう一度袖を通したいなどと思ってはならない。彼らの固辞こそが、今の、未来の、代表への「貢献」になるからだ。

小峰健二