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November 26, 2004

『モデル』フレデリック・ワイズマン

[ cinema , cinema ]

モデルはどのようなことばを発するのだろうか。当然のことながら、雑誌やポスターなどの写真から、彼ら/彼女らの声が聞こえてくることはない。このフィルムを見ると、撮影現場においても、モデルたちの声はあまり聞こえてこない。聞こえてくるのは、専らカメラマンや監督たちの声ばかりである。彼らは、モデルの取るポーズに対し、Thatユs it! Beautiful! などと褒めたり、ポーズや表情について指示を送った...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 3:14 PM

『映画の明らかさ—アッバス・キアロスタミ』ジャン=リュック・ナンシー

[ book , sports ]

84229.jpg この書物は、ジャン=リュック・ナンシーがキアロスタミの映画を参照として映画について書いた、いくつかの論考と、キアロスタミとの対談によって構成されている。
このタイトルに付された奇妙な提言、つまり、かつてアンドレ・バザンがネオレアリスモの映画をその「曖昧さ」によって評価していたのに対し、キアロスタミの、ひいては映画の「明らかさ」とは一体なんだろうか。ナンシーはこの「映画」と「明らかさ」を巡って繰り返しテクストを織り込み、ことはキアロスタミの映画の特質を超えて、映画そのものに対する独特な視点へと読む...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 2:39 PM

「涙が止まらない放課後」モーニング娘。

[ cinema , music ]

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モーニング娘。はいつだってその騒がしさが魅力だった。彼女たちはこれまでずっと、過剰なまでに大げさな身振りで、白々しいほど賑やかな声音で、道徳の教科書に書かれてあるようなありきたりな言葉のみで構成された紋切り型の真実を歌ってきた。それは全然静謐なんかではなくて、嘘っぽくて安っぽくてだからこそリアルな騒音まみれの真実だ。九十年代の終わりごろに流行した「LOVEマシーン」には、カラオケのぺらぺらの伴奏で魂を叫ぶしかない多くの大衆の声にならない声が貼りついていた。だからこそ「LOVEマシーン」は広い...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 1:57 PM

菊地成孔クインテット・ライブダブfeut.カヒミ・カリィ@代官山UNIT

[ cinema , music ]

ジャズという音楽が生まれたとき、それがジャズ以外の何ものでもないとその存在自体が証明するために必要な、だが決して必要であると召喚されて始めて姿を現すものではなく自然とその体に纏っているものがある。それはおそらく対極するものとして二種類あり、そのどちらもが正しいのだろうがジャズという音楽に神が存在するとしたら彼が力を貸すのは間違いなくいかがわしさをたっぷりと湛えた黒い極の上に立つものに対してであろう...全文を読む ≫

投稿者 nobodymag : 1:37 PM