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November 8, 2004

『我々のあいだに、書類のない、顔のない、言葉を持たない人々がいる』キャロル・シオネ

[ cinema ]

ここには文字通り、顔のない人がいる。声のない人がいる。それは誇張ではなく、むしろ控えめな表現であるとすらいっていい。“ソン・パピエ”、すなわち紙を持たぬ人々は自らの存在を確信することすらできないのだ。
パリにやって来たある家族の妻は画面に顔を映し出されることはなく、代わりにせわしなく動く手だけが映し出される中で、私たちは動く死体、リビング・デッドのようなものだと口にする。その夫は、その顔もその声も晒け出すが、法的にはまったくの無存在である。10年以上パリに住み続ける──存在し続けるといったほうがいいのか──彼も、息子が楽しそうに公園で遊ぶ姿を横目にこう呟くほかない。「これは生活ではない」(フランスには10年以上滞在を続ける不法滞在者には滞在許可証を発行するという法令があるらしいが、そのためには確かな証拠の提出(傍点・・・・・・・・)が求められるのだという)。
彼らは単なる社会的弱者ではない。この映画は単なるマイノリティ擁護のためのドキュメンタリーではない。不法滞在者という響きが与える「不当なプロセス」という印象はここではいっさい問題にならない。あらゆる手続きはただひたすら遅延され、無視され、却下され、それでもただ正当に(傍点・・・)存在するためだけの闘争=逃走が文字通り展開されるのを目にするだけである。存在することが罪になる──それは都市に住むことの本質的な恐怖にほかならない。
黒い肌に白い仮面を付けた人々が無言で行進する。身も凍る静けさの中、プラカードに書かれたsolidaritéいう文字。目に見えない巨大な力に昼夜を問わず存在を脅かされ続ける、紙を持たない人々の「居心地の悪さ」は、私たちの「居心地の悪さ」だ。

結城秀勇

「新しいフランス・ドキュメンタリーのパノラマ」東京日仏学院にて上映中