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November 26, 2004

「涙が止まらない放課後」モーニング娘。

[ cinema , music ]

85.jpg モーニング娘。はいつだってその騒がしさが魅力だった。彼女たちはこれまでずっと、過剰なまでに大げさな身振りで、白々しいほど賑やかな声音で、道徳の教科書に書かれてあるようなありきたりな言葉のみで構成された紋切り型の真実を歌ってきた。それは全然静謐なんかではなくて、嘘っぽくて安っぽくてだからこそリアルな騒音まみれの真実だ。九十年代の終わりごろに流行した「LOVEマシーン」には、カラオケのぺらぺらの伴奏で魂を叫ぶしかない多くの大衆の声にならない声が貼りついていた。だからこそ「LOVEマシーン」は広い場所で鳴った。「LOVEマシーン」に流れるやけっぱちの華やかさ、捨て身の全肯定を支えていたものは彼女たちの騒がしさで、そしてそれは多くの人に支持されることで暗い世相を飲み込んでいっそう明るくなっていく性質のものだった。
ここ最近のモーニング娘。の周辺は、相次ぐメンバーの卒業、第七期メンバーオーディションの開催、新しいユニットの展開など、トピックを列挙していけば確かに依然として騒がしい。しかしその騒がしさは既に、限られた狭い空間で受容されるものでしかなくて、かつての底抜けの明るさを失ってしまっている。手法だけが上滑りしているような、終了間際のカラオケでまだしつこくウケを狙ってスキャットマン・ジョンを熱唱している人の物悲しい騒がしさ、なんだかそんな感じだ。
そんな中、モーニング娘。の24枚目(!)のシングル「涙が止まらない放課後」がリリースされた。2001年8月のオーディションで加入した、いわゆる五期メンバーに属する紺野あさ美を初めて大々的にフューチャーした今作は、シングルのカップリングやアルバムの8曲目あたりに収録されていそうな、ある意味でとんでもなく地味な曲だ。しかしもちろん、物語性を補完して眺めれば、「赤点娘」として加入を許され、歌も踊りもちっとも上達しなかった紺野あさ美が、正しい自信とファイトを獲得してグループの真ん中に立った、その輝かしい記念碑として読むことが可能になる。彼女は10月30日のスポーツニッポンのインタビューにこたえて「歌は下手だとは言いたくないんです。私、いまモーニング娘。にいるんですから。歌手ですから。でも、絶対誰よりも頑張んなきゃいけない人なんです。」と言っている。おどおどと蚊の泣くような声で喋っていたかつての紺野を思い起こせば、その頼もしさと成長ぶりに胸がいっぱいになる。
とはいえ、これらの物語はかろうじてコアなファンのみが感受するものでしかない。広い場所ではおそらくただの地味な曲として耳を素通りするだろう。明るい騒がしさが鳴りをひそめたそのあとに、先の紺野の言葉が象徴する全身全霊だけが誰にも知られることなく、凛々と響いている。それが今のモーニング娘。の風景だ。

神徳雄介