『DEMON LOVER』オリヴィエ・アサイヤス
[ cinema , sports ]
4人の女と、1人の男がいる。ディアーヌ(コニー・ニールセン)、カレン(ドミニク・レイン)、エリース(クロエ・セヴィニー)、エルヴェ(シャルル・ベリング)の4人は、「ヴォルフ・グループ」という会社で「東京アニメ社」の買収契約を進めている。「東京アニメ社」との契約には、更にデモンラヴァー社と、マンガトロニクス社という二つの会社の勢力争いが関わっていて、デモンラヴァー社の代表としてアメリカからやって来たエレイン(ジーナ・ガーション)が、新たに加わる。マンガトロニクス社の産業スパイとして潜入していたディアーヌは、エレインのホテルの部屋へと侵入し、過って彼女を襲ってしまう。翌日彼女がホテルの部屋で目覚めると、何ごともなかったかのようにすべての痕跡が消えている。
見てしまった、という事実によって、一人の女の運命が変わっていく。何を見たのかは大した意味を持たない。二つの映像がある。デモンラヴァー社が運営している拷問サイトの映像と、ディアーヌがエレインを襲ったあと、デモンラヴァー社の面々がその後始末のする様子を収めたヴィデオ。拷問サイトを開いてみても、そこに何が映っているのかよくわからないし、彼女がエレインを殺したのか、殺したとしてその死体がどう処理されたのか、映像から決定的な事実を読み取ることはできない。それでも、エリースの言うままに車に乗り込み拷問部屋へと連れていかれるのを容認するのは、私はそれを見てしまったのだ、という取り返しのつかない事態への誠実な態度であるからだ。自分を映したヴィデオを見た後でも、彼女の顔に隠し撮りをされたことへの絶望感はない。むしろ恍惚とした表情、拷問シーンを見た後の興奮状態のようなものが浮んでいる。実際に、私たちは拷問シーンを見ることはできない。パソコンの画面上に現れる映像は、画像が荒く何が映っているかを読みとることはできないし、拷問部屋へと連れていかれたディアーヌは、手錠を掛けられベッドに座らせられた時点でカメラはそれ以上を映さない。
最終的に、カメラの向こう側に、見られる立場へと移項したかのように思えるディアーヌだが、彼女は見るという態度を最後まで崩してはいない。『DEMON LOVER』という映画を、監視カメラ的な視線、という問題から考えることは容易いのが、そうした視線の問題にひずみを与える何かが映画の中に確かに存在している。
あれは東京だけでのことだ、という台詞が彼女の口からこぼれる。しかし東京でふたりの間に何があったのかはわからないまま放置される。彼女は、エルヴェと同じように自分もまた日本人女性のカオリと寝たのだと答える。そんなはずはない、と言う彼に対し、彼女はとにかくどちらでもありえたのだと曖昧な笑みで答える。画面に映されていない以上、どちらでもありえたし、どんなことでも起こりえたのだ。
拷問サイトを見て人々が興奮せずにいられないのは、本当に拷問が行われているというリアルさによってではない。見るという行為は、実際に見たもの以上の何かを仮定し、どんなことだってありえるという仮定が人々を興奮させる。拷問の行われていた一軒家が一体どこにあったのか、目隠しされたディアーヌが乗った車やヘリがどんな道を通ってきたのか、最後までわからない。どこか郊外であったように見えるが、パリのすぐ近くだったのかもしれない。そんな可能性を残したまま、ディアーヌの視線がWebを伝ってどこまでも氾濫していく。