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December 26, 2004

『シルヴェストレ』ジョアン=セザール・モンテイロ

[ book , cinema ]

美しい娘シルヴィアは、父の「自分の外出中は、誰も家に入れるな」という言いつけを守らず、悪魔の手を持つ旅人を家に招いてしまう。旅人はシルヴィアの妹を犯し、シルヴィアは彼の右手を切り落とす。旅人は姿を変え、シルヴィアを娶るために、彼女たちの前に姿を現す。彼は二度、彼女の夫となるが、どちらも彼女の妹に正体を見破られ、最後には命を落とす。
タイトルである「シルヴェストレ」は、シルヴィアが何者かにさらわれた父親を探し出すために性別を偽って父親の捜索隊に加わったときの偽名であるが、この名前はシルヴィアの本質的な性格を示している。彼女はシルヴェストレとして従軍している間、勇猛果敢に敵兵を斬り殺す。だが彼女は死体から目をそらそうとし続ける。自らが直接下した死さえ、直視することができない。それは彼女が全編を通して繰り返す行為でもある。自らの過失によって、すぐ隣の寝台で妹が犯されている間、彼女は瞳を堅く閉じている。旅人の腕を手にした剣で切り落とすとき、その行為を彼女は目を背けたままで行う。
彼女の態度は、このフィルム自体の構成ともシンクロする。書き割りの舞台の上で登場人物たちが会話を交わしていたかと思うと、河での水浴びや洗濯、畑での収穫、廃墟での野営といった、紛れもない現実の風景が見事な美しさで挿入される。その現実の風景を通して、書き割りの向こうからは、せせらぎや鳥の声、たき火のはぜる音が確かに響いてくる。貧相な書き割りと奇妙なまでに現実的な音響はひたすら異和を与え続け、ちょうど終盤に現れる、自分にそっくりな人形を持った道化師の顔をアップで写したカットのごとく、このフィルムは目に見えるものを、真実とその似姿の二重写しに変えてしまう。死に魅入られ、死に魅了される彼女の視線がそこから逃れようとし、最終的には時空さえ超えてしまうのは、この映画がはじめからそうであるものに彼女が遅ればせながら近づくに過ぎないのである。
皮相なものと深遠なものの対立さえ無効にする『シルヴェストレ』の映像と音は、季節の巡りと共に実りと枯死を繰り返す大地の中に埋没していく人々や、時間の流れと共に自らの中を流れる血の中に取り込まれていく人たちに対する、徹底的な個である少女の戦いを描く。彼女の本当の敵は、悪魔の手の持ち主でもなく、謎の軍隊でもない。そのようなものすべてを呑みこんで消化する時間の流れである。モンテイロ扮する国王は、手紙や声だけの登場という演出を経て、ただ食事をするだけのシーンでわずかに姿を見せる。彼の前では黒い犬が、テーブルに並んだ大地の恵みのおこぼれを貪り食っていた。

結城秀勇